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翌朝
五島に朝日が昇った。
実達はホテルの510号室に泊まっていた。
飯田 実
飯田 葉佑(実の父)
飯田 実
飯田 葉佑(実の父)
飯田 実
数十分後
飯田 実
飯田 実
飯田 葉佑(実の父)
一行は朝食を食べ、旅館を出た。
車を暫く走らせ向かった先は、香珠子(こうじゅし)海水浴場。
飯田 実
飯田 花
飯田 花
飯田 実
階段を降り、2人は走って砂浜の方へと向かっていった。
飯田 花
ザブーン…
飯田 実
飯田 花
飯田 花
飯田 実
花が砂浜を見ていると何かが落ちている。
飯田 花
飯田 実
見ると、それはイカの軟甲だった。
飯田 実
飯田 花
飯田 花
飯田 花
飯田 実
飯田 実
飯田 実
そこへ両親が来た。
飯田 芽衣(実の母)
飯田 実
飯田 花
飯田 花
飯田 葉佑(実の父)
飯田 花
飯田 葉佑(実の父)
飯田 花
一行は足を洗って一行は車に乗りこみ、隣の大浜海水浴場に向かった。
長崎県五島市 大浜海水浴場
車は海水浴場の近くの駐車場に停めて、実と花は歩道の方に向かっていった。
飯田 実
飯田 花
飯田 実
続いてやってきたのは、鐙瀬溶岩海岸。一行は駐車場に車を停めた。
飯田 花
飯田 実
一行は展望台の階段を登る。
飯田 花
飯田 実
飯田 花
階段を登り終えた花は、手すりの方に掛け、景色を望んだ。
飯田 花
飯田 実
飯田 花
実は看板を見ながら言う。
飯田 実
鐙瀬溶岩海岸は、鬼岳周辺から流出した溶岩流の上に、約1万年前に海が進出してできました。約7kmにわたって複雑な海岸線を形成しています。ここでは、ハワイ語で表面がガサガサした溶岩であることを意味する「アア溶岩」が見られます。 海岸の溶岩を観察すると、斜長石や輝石などの鉱物が取り込まれていることがわかります。これは、マグマが上昇する時に周辺 の岩石を巻き込んで出てきたものです。 鐙瀬は島で最も暖かいところで、南方系植物も見られます。近くの「ビジターセンター」では、五島の自然情報を展示や映像で紹介しています。 また、海岸沿いには遊歩道が備されています。天気の良い日は散策してみてはいかがでしょうか。
飯田 花
飯田 実
飯田 花
飯田 花
その後、一行はビジターセンターに行き、五島の地理や生き物について沢山学んだ。
その後、一行は鬼岳にやってくる。
飯田 花
飯田 芽衣(実の母)
飯田 実
飯田 花
飯田 葉佑(実の父)
飯田 葉佑(実の父)
日本列島の、西端に位置している五島列島の福江島に古くから作り伝えられてきた「ばらもん凧」。 絵柄ついては、全体の上部が鬼、中段部が武者兜の後ろ姿、下段部が嵐の中の渦を表現しています。嵐の中、鬼が真正面から兜をくわえたままでも武者が前へ進み続ける勇猛な姿を表現しています。 このばらもん凧の特徴として絵柄の中にクルス(十字架)の形があります。隠れキリシタンの島、あるいは外来船の基地として、歴史をもつ五島列島であるだけにその特徴及び、出所は不明ですが興味深いものがあります。 ばらもん凧の「ばらもん」と言う呼び名においては、五島の方言で、「ばらか」に由来し、「元気者、荒くれ者」「荒々しく 向こう見ず」、と言う意味に用いられています。 男の子の初節句(旧3月3日)に我が子を思う祖父や父親が作り、凧の上部に付けられた「うなり」で独特の唸声をだし、子供の厄を払い無事成長と立身出世、家内安全を祈願しながら天高く凧揚げするものであります。 ※凧の由来 ー 五島ばらもん凧販売店 五島民芸 参照
ビュォォォ……。
飯田 花
飯田 葉佑(実の父)
飯田 花
花は双眼鏡を覗く。
飯田 実
飯田 花
飯田 花
飯田 実
飯田 花
花は実に双眼鏡を譲った。
飯田 実
飯田 葉佑(実の父)
飯田 実
しばらく登り、鬼岳の頂に来た。
飯田 葉佑(実の父)
飯田 花
飯田 芽衣(実の母)
飯田 葉佑(実の父)
次に訪れたのは堂崎教会。
一行は受付し、教会内へと入っていった。
禁教令が解かれたあと、五島キリシタン復興の任を帯びて、フランス人宣教師フレノー、マルマン両神父が五島を訪れ布教にあたり、1880年にマルマン神父によって、五島における最初の天主堂(木造)が建てられました。 その後着任した、ペルー神父によって1908年に、現在のレンガ造りの教会堂が完成しました。建築の際には資材の一部がイタリアから運ばれ、内部は木造で色ガラス窓、コウモリ天井などの教会堂建築となっています。 現在は、弾圧の歴史や資料を展示する資料館として、一般公開されています。 1974年に、県の有形文化財(建造物)の指定を受けました。 ※五島列島五島の島のたび五島市観光サイト 参照
飯田 花
教会内部はこの堂崎教会についての資料などが多く展示されており、日本のキリシタンの歴史を多く公開していた。
飯田 実
教会の祭壇はとても豪華で綺麗なものだった。
飯田 葉佑(実の父)
飯田 花
飯田 芽衣(実の母)
飯田 花
長崎県五島市 福江城
飯田 実
飯田 花
飯田 実
飯田 葉佑(実の父)
飯田 花
資料館では五島の歴史や文化、福江藩についてなど様々なものが展示されていた。
飯田 実
飯田 花
飯田 実
飯田 葉佑(実の父)
飯田 芽衣(実の母)
飯田 花
飯田 花
飯田 芽衣(実の母)
その後、一行は福江城付近を散策した。
飯田 芽衣(実の母)
飯田 実
飯田 花
チャンココは福江に伝わる古い念仏踊りである。語源は「チャン」が鉦の音、「ココ」は太鼓を叩く音であろう云われている。起源は不明であるが伝承によると、文治3年(1187)7月、五島家始祖字久家盛公が宇久島に渡って間もない頃、島民による念仏踊りを見たという記録があるため、それ以前より踊られていた と考えられている。 藩政時代は藩の御用芸能で、各地区のチャンココが招集されて城内でも演じられたと云う。 現在、チャンココに似た踊りは、福江地区(上大津、下大津のほか崎山地区、本山地区、大浜地区など)、富江町、玉之浦町、三井楽町(嵯峨島)、上五島の有川町などに伝えられている。太鼓を首にかけるのは同じだが、奏楽、歌唱、衣装等はそれぞれ異なっている。福江の歌詞は「オモーオモンデー」「サー サーエ、サーエ」と繰り返し唄う。 掛けと呼ばれる踊り手達が帷子(かたびら)を着て、腰蓑(蒲の葉で作る)をつけ、鼓鉦に和して踊る。 チャンココは、盆の8月13日より3日間、町内より市街地へ繰り出し、お盆の一大風物詩となっている。
飯田 実
飯田 葉佑(実の父)
五島藩主五島氏は江戸初期、それまでの居城であった江川城を焼失して以来、久しく石田陣屋(石田城の前身)で過ごしていた。 幕末になり、五島近海に外国船(いわゆる黒船)が出没し始めると、五島藩は幕府に築城願いを出したが、約半世紀の間築城許可が下りなかった。しかし幕府はついに嘉永2年(1849)、「海岸防衛を厳重にせよ」と築城許可を下す。 14年の歳月と工費2万画を使って、文久3年(1863)に福江城は完成した。石田の浜にちなみ石田城と通称される。 城郭は、東西160間(約291m)、周囲740間(約1346m)、本丸、二ノ丸、三ノ丸等からなり、築城当時は三方を海で囲まれた海城であった。 石垣は、いわゆる野面積みで自然石を積み上げている。海防目的で築城された城らしく、各郭の要所には石火矢台場が設けられている。 表門と裏門には櫓門が建てられていたが、今はその礎石だけが残っている。 かつては、城の石目は外海に面し、波が打ち寄せ、潮風に吹かれる松が風情をそえていた。
飯田 芽衣(実の母)
嘉永2年(1849)、幕府の命令により石田城(福江城)の築城工事が始まった。完成間近となった安政5年(1858)主五島盤成は家を子息五島盛徳に譲り、当地にあった藩校「育英館」を北の丸松原(現裁判所) に移し、その跡に隠殿と庭園を造った。 この庭園の作庭者は、京都の僧、善章(全正)であり、五島藩の御庭方を命じられていた。心の字をかたどった池にちなみ、心字が池庭園ともいわれる。 この庭園は、江戸時代以来の伝統的日本庭園の地方伝播を示す好例であり、溶岩や南方系植物など風土が加味された貴重な庭園である。 また、作庭時期が明確で、隠殿屋敷も一体となって保存されていること、全国的に見て保存例の少ない城郭内の庭園で、日本庭園文化史上高い価値があるとして、平成3年、国の名勝に指定された。
飯田 花
飯田 花
庭園の入口に着いた。
飯田 実
飯田 花
一行は受付を済ませた。
受付の人
受付の人
飯田 葉佑(実の父)
門を潜り抜けた先には、素晴らしい庭園が広がっていた。
飯田 花
飯田 花
飯田 葉佑(実の父)
飯田 花
飯田 芽衣(実の母)
実達は庭園敷地内を1周し、例の板を槌で叩いた。
カン、カン、カン……。
ガララララ……。
屋敷の障子が内側から開かれた。
案内人
入口の扉を内側から開いたのは、正座して待ち構えてくれていた屋敷の案内人。
案内人はこの屋敷内部を周りながら、ここについて詳しく説明してくれるようだ。
案内人
案内人
案内人
受付の人
飯田 葉佑(実の父)
案内人
案内人
案内人
案内人
案内人
案内人
案内人
飯田 花
飯田 実
受付の人
受付の人
そして、案内人は障子の柱についても解説した。
案内人
飯田 花
飯田 実
案内人
飯田 芽衣(実の母)
案内人
そうして一行は、数十分掛けて解説してもらいながらお屋敷を巡った。
その後、一行は武家屋敷通りを通る。
飯田 花
飯田 芽衣(実の母)
飯田 実
飯田 実
風情ある道を通り、実達は車で福江港へと向かっていった。
教えてリージョン解説 Part7
〜五島列島(福江島以外)〜
飯田 実
山岬 鳩深
飯田 実
山岬 鳩深
山岬 鳩深
飯田 実
山岬 鳩深
山岬 鳩深
山岬 鳩深
飯田 実
山岬 鳩深
飯田 実
山岬 鳩深
飯田 実
山岬 鳩深
山岬 鳩深
山岬 鳩深
飯田 実
山岬 鳩深
飯田 実
山岬 鳩深
飯田 実
山岬 鳩深
飯田 実
山岬 鳩深
山岬 鳩深
飯田 実
山岬 鳩深
飯田 実
飯田 実
飯田 実
山岬 鳩深
山岬 鳩深
飯田 実
山岬 鳩深
山岬 鳩深
飯田 実
山岬 鳩深
山岬 鳩深
飯田 実
山岬 鳩深
飯田 実
飯田 実
山岬 鳩深
山岬 鳩深
飯田 実
山岬 鳩深
❖参照元❖ 【用語解説】 凧の由来 ー 五島ばらもん凧販売店 五島民芸 より 五島ばらもん凧の由来 五島列島五島の島のたび五島市観光サイト より 堂崎教会 チャンココの看板 石田城(福江城)跡の看板 石田城五島氏庭園の看板