僕
西暦565年、その生物はイギリス最大の湖で目撃された。
僕
コルンバという男に発見された、水面に浮かぶ首の長い生物。
僕
人々はそれをネッシーと名付けた。
僕
ネッシーは、人々が知らない未知の生物であり、その後多くの目撃情報を残している。
僕
しかし、未だにネッシーは捕獲もされておらず未だに伝説の未確認生物として語り継がれている。
僕
さて、
僕
ここで一つ重要な要点について議論したい。
僕
ネッシーは何故ここまで騒がれ、語り継がれたのかということだ。
僕
ネッシーは別に人々に危害を加えたわけでない。
僕
ネッシーが何か人類にとって重要な役割がある訳でもない。
僕
では何故?
僕
私が推測するに、それはネッシーが「未知」だからだ。
僕
もっと簡単に言えば、人々がネッシーについて知らないからだ。
僕
人は知らないものに興味を持つ。知らないものは知りたいと思う。
僕
知識欲に人は勝てないのだ。
僕
だからこそ、謎の生物で人々の知らないネッシーを人々は解き明かしたがる。
僕
しかし、
僕
もし人々がネッシーについて全てを解き明かしたらどうなるのだろう。
僕
ネッシーは伝説ではなくただの1動物にすぎなくなる…。
僕
人々はネッシーについて興味を失い、ネッシーについて知ることを辞める事になる。
僕
ここに人間の大きな矛盾が存在する。
僕
人々は何かを知りたい知識欲があるにも関わらず、それを知ってしまうと興味を失いそれ以上知ることを放棄するのだ。
僕
仮にもしも人々が全ての物事を知ってしまったらどうなるだろう。
僕
私は思う。
僕
全てを知った先にあるのは絶望。
僕
全てのものに興味を失い、全ての思考がストップする。
僕
何かを知るという行為はまさに……
僕
「パンドラの箱」を開ける行為に他ならない!!!
キーンコーンカーンコーン
先生
はーい、チャイム鳴ったぞ!
先生
生物のテスト終わり。午後からは英語のテストだから頑張れー!
僕
(…そう、知らぬが正義だ。正義なのだ………。)
先生
ん、おい田坂!どうした!なんで泣いてる!?
僕
…テスト科目間違えてて、今日生物のテストあるなんて知らなくて
僕
完全に、未知の生物でした……