吠えろ

私は見た。狂気によって破壊された、同世代の最良である精神達を…

この一節が脳に焼き付いている。

私は常に、正しくあろうとしていた。 正しく学問に励み、正しく会社に勤め、正しく妻子を持ち、愛した。

だが、今は私1人、いや…独りになってしまった。

額の汗を拭い、カサカサと音を鳴らしながら、冷たいレインコートを脱ぎ、男は呟く。

愛車のトランクにレインコートを放り込み、ボンネットに腰掛ける。

暗くて見えにくいが、汗と土で汚れたであろう、白のワイシャツの胸ポケットからタバコを取り出し、火をつけた。

足元の土は柔らかく、腰掛けていても、重さに耐えられていないのだろう、微かにぬかるみを感じる。

足先から1メートル程か。自身が掘り起こした土を眺めながら、男は呟く。

土に語りかける。オレンジの色に光り輝くタバコの火は、ゆっくり光を失い、土の表面に消えていく。

ボンネットから立ち上がり、ポケットから彼の私物を取り出す。

これは…財布…免許証か

虚な瞳でレンズを眺めていたのであろう、写真の男は辟易としたような顔をしていた。

男は何故こんな狂気に駆られたのか。 私は狂気に駆られているのか？

なら私は…？

狂気と言う、この場では怨嗟と呼ぶそれは、伝播する。

光を失ったタバコを土に投げ、男は車に乗り込む。

渇いたエンジン音が、鳴り響き、車は走り去る。 夜の森の環境音と、男の亡骸を残して。