凄く豪華な社屋だ。ウール素材であろう踏み心地の良いカーペット。温みを持ったベージュの大理石で出来ているであろう壁。
これまでの人生、あまり高級なものに触れて来たことのない優華にとっては『ウール』も『大理石』もたぶん、といった判別しか出来ない。
和彦
優華ちゃん、こちらへどうぞ

とてもモダンな棚があり、花瓶にはたくさんのトルコ桔梗が活けられ華やかだ。白、紫、アプリコットに桃色と美しい。
大きなソファーが何人も座れるようスマートに配置されている。奥まった場所に大きなデスク。
和彦
優華ちゃん、ソファーへどうぞ

勧められた席に優華は座った。
和彦はテーブルを挟み優華の向かい側に腰掛けた。
優華
素敵なオフィスルームですね。というか社長室ですか? 和彦さん

和彦
ううん、優華ちゃん。社長は父だからね、別室です。ここはオレ専用の役員室です

優華
凄―い。豪華でなんと言って良いか

冷房が程良く効いており、レースのカーテンからの柔らかい日差しがこの8月に心地よいぐらいだ。
和彦
はい

秘書
専務、お飲み物をお持ちいたしました

和彦
入ってくれ

中年の……和彦よりも随分年上であろう男性が繊細なデザインのお盆を手に部屋に入って来た。
秘書
失礼いたします

カップの縁が薄く神秘的な花模様の描かれたーヒーカップがテーブルに置かれた。
和彦
コーヒーで良かったかな?

優華
ええ、もちろん。わたしはコーヒーが大好きですから

和彦
良かった

優華
和彦さん……相談って? なにかお悩み事が?

和彦
ああ、うん……。悩んでいます。スカウトのことでね

優華
と言いますと……

和彦
うん。社長の古い考え方に辟易しているし、明らかに違法だ

優華
ああ、迷惑防止条例違反ということですか?

和彦
よくパッとすぐその言葉が出るね、優華ちゃん

優華
笑ったりして御免なさいね

優華
あたし、和彦さんを警察に突き出してやろうかと考え付き、ネットで調べた日があったんです

和彦は髪の毛をバサバサッとかくようにしすまなさそうな顔をした。
和彦
そっかー。本当に御免ね、嫌な思いをさせて。やっぱり、嫌に決まってるよね!

優華
ええ。だからそんな取り締まりが始まったんですよ。それにしても『ミミ―バタフライ』はいわゆるキャバ嬢も足りているんじゃないですか?

和彦
うん、手前味噌ですけど、うちは優良店だから女の子が集まるんです。でも最近ことごとく何者かに連れて行かれちゃうの

優華
え! 誘拐?!

和彦
あ、優華ちゃん、誘拐ではないんだ。どうやらそのグループは女の子に甘い話をちらつかせてね、もっとハードな接客を強いるお店へ引っぱって行っちゃうのさ

優華
『ちらつかせて』って、じゃあ女の子は騙されているんですか?

和彦
それがそうでもなく、女の子自身の意思で移り、のちにも長く勤まっているんだよね。だから厄介なんだな

優華
では、最近の『ミミ―バタフライ』は女の子を引き抜かれ人手不足?

和彦
そうなんだ。それで親父は、スカウトをし続けろって言うんだけど、執拗に女性に声掛けするのは犯罪になるからね。企業としてそんなことをしていてはいけないのは当然だよ

優華
わたしになにが出来るかしら……

和彦
うん。オレね、今日優華ちゃんをスカウトするためにここに呼んだんじゃないんだよ。女性の率直な気持ちを知りたいと思った。それと……

優華
和彦さん、それと、なあに?

和彦
うん。オレはただ優華ちゃんに聴いて欲しかった

優華
……

なんと答えれば良いかわからぬ優華。
助けてあげたいな、なにかアドバイスは……と考えるし、なによりも自分を求められたことが嬉しい。
優華
ねえ、和彦さん、こんな時に御免なさい。なんだか今気になりました。和彦さんってお幾つなんですか?

和彦
ン、オレ? オレは今年30になったところだよ

優華
わ、やっぱりわたしと同世代だったんですね! わたしは来月31になります

和彦
ささ、さんじゅういちぃ~? 嘘

優華
ほんとですよ! わかっています、ドジな所があるからいつも幼く見られるんですよ

和彦
ううん。優華ちゃんは可愛いからだよ、あ……

和彦
オレね、初めて優華ちゃんに逢った時、なぜか座敷童のイメージが浮かんだの

優華
へ

優華
あたし、妖怪

和彦
そうじゃないよー! なんと言うかなあ、無垢な少女のようだなって

優華
ありがとうございます。本当は大人ですよ、ウフフ

そこで優華はふとある人を思い出した。若い彼女のことを。
優華
あのぉ……

和彦
ン? 優華ちゃん

優華
麻衣子ちゃん、わかります?『ミミ―バタフライ』での源氏名はわかんないけど

和彦
ああ、咲(さき)ちゃんだ。もちろん知っているよ。彼女はお客様に気配りが出来る人気者でね、入店しすぐにナンバーワンになったんだよ。良い子だった

優華
だった?! 今はいないんですか?

和彦
あ、知り合いですか? 優華ちゃん。咲ちゃんも引き抜きにあってさー、今はZZ区の色街にいるんだよね。活躍しているみたい

耕太君、知っているのかなー……。それとも麻衣子ちゃんがずっと『ミミ―バタフライ』に通っていることになっているのかな……?
和彦
こういう仕事してたらさ、人間のダークな部分も垣間見るよ。ああ、咲ちゃんは天真爛漫で元気いっぱい。今も仕事は仕事と割り切って頑張ってると思うな

優華
はい……

和彦
どうしたの? 浮かない顔だね、優華ちゃん。やっぱり知り合いなんだ、咲ちゃん

優華は迷ったが、和彦の人となりを知った今だから正直に話した。
優華
実はうちの食堂『時家』のバイト君の彼女なんです。最初は彼、彼女がキャバ嬢になることに反対していたらしいんだけど、結局彼女が仕事を押し切る形で始め『彼女とは意外にも旨く行ってる』と言ったわ。でも……彼、今麻衣子ちゃんがお店を変わったことを知らないんじゃないかな~って、なんとなく感じたんです

和彦
そっかー

優華
はい。耕太君、繊細な所のある子だから少し心配です

和彦
優しいんだね、優華ちゃん

優華
いいえ、わたしはなにも。ただ、時家のみんなは家族みたいな存在だから

和彦はうつむく優華のことを静かに見守っていた。
そして口を開いた。
和彦
ン……。難しいな。耕太君が元気そうにしているならそっとしといてあげるのも手かもしれないかな。なにせ咲ちゃんという子は気持ちの切り替えが上手な子だからね。新しい店でも旨くやっているだろうし、納得出来ないことははっきり言う子だと思う

優華
はい

和彦
優華ちゃん、協力して欲しい

優華
あれ? あたしをスカウトしないと仰いましたよね

和彦
違う、違う。スカウトはしないさ。教えて欲しいんだよ、女性の気持ちをね。色々質問してみたいんだ

優華
はあ……

和彦
あ、コーヒーまだある?

優華
はい、ありがとう

和彦
うん。じゃあ早速お訊きします。優華ちゃんはどうしてキャバクラで働きたくないの

優華
うーん……まず、好きでもない男の人に近寄りたくないです

和彦
そうか。もうこれ以上訊けないなあ

優華
そうですね。わたしみたいなタイプに質問をしても、和彦さん……。10年前に付き合っていた友達は割り切って水商売していましたけどね、わたしには全く理解出来ないです

和彦
ウーン

和彦
食堂のお仕事も男性に近づくよね

優華
もー、なに言ってるんですか、和彦さん。求めるものが違うでしょう? きっとキャバクラに行く男性はごはんを求めては行っていない

和彦
うん、そうだね

優華
お色気にごはんを足すとか言っても無理ですよ?!

和彦
あ、言おうとしたこと言われちゃった

和彦
わかった! 撤退するかな、ナイトワークから

優華
えええ! でも、和彦さんの会社って夜の業界でも大手さんでしょう? 大きな収入源を失うことになるんじゃあ……

和彦
でも、女の子を確保するために違法なスカウトを続けるのは大問題だ。親父に今一度言うしかない

優華
そうなのですか……。あの、その『引き抜き屋』って言うんですか、そういう人たちと話し合って折り合いとか付けられないのかな

和彦
そんな甘い世界じゃないよ

その時優華は和彦の魅力をとっても感じ取った。30才らしからぬ、もっと大人のクールさ。
ドキン!
和彦
新しいマーケットを探し、これまでにないレジャーを創り出す

優華
お色気のですか?

和彦
その路線にこだわることはないよ。しっかし、うちの親父は頑固だからな~。参る

優華
そうなのですね

和彦
うむ。今日はありがとう、優華ちゃん。優華ちゃんに話せたことで、新しいアイディアが湧いて来そうな予感がするよ

優華
あ、そう言って戴けると嬉しいです! 良かった

和彦
ああ、帰りも送りますね、優華ちゃん

優華
ありがとうございます

――――優華のマンションにリムジンが到着した。何度も言うがリムジンだ! 優華は一生懸命エレガントに振る舞った。
和彦
優華ちゃん、ありがとう。明日も時家に行きますよ

優華
はい、お待ちしています

和彦はマンションの階段に優華の姿が見えなくなるまで立って見送った。