折畳傘

頬を撫でる風が冷たくなってきた頃、2人は東京の路地裏を歩いた。

学校の帰り道。 本来寄り道は校則で禁止されているが彼女は気にも止めず歩いて行く。

黄色になりきれなかった街路樹の葉が落ちている。 その周りには水玉模様のように雑踏に踏み潰された実が変色していた。

なんて、呑気に言う彼女。

私たちはきれいに整ったタイル地の上を行くあてもなく歩いて行った。

道沿いのコンビニに入る。 人気のアニメとコラボした商品が 整然と並べられていた。

店員と彼女の会話が聞こえる。 どうやら彼女のお目当てのものは 無かったようだ。

何も買わないまま店を出るわけにいかない私たちは仕方なくアイスを買った

そう言って財布を覗き、 困ったような表情をする彼女。

しかし私の目には どこか楽しそうに映った。

情勢的に店内イートインを使うのは 躊躇われる。 しかし、店の目の前でバクバクとアイスを食べるわけにはいかない私たちは適当な路地に入った。

と言って彼女が取り出したのは暗号の様な文字の異国語を使いこなすための参考書。

2人でアイスを口に含みながら その本を覗いた。

持ち主である彼女は楽しげに文字を読み、ときどき口に出して覚えようとしていた。 一方、それらを全く知らないこっちはちんぷんかんぷんで参ってしまった。

アイスがどんどん溶けていく。

彼女は呟いて手に垂れてきた 果汁アイスだったものを舐めとった。

パラ、パラ、ポツポツと 雨が降ってきた。

翌日の予報は台風。 このまま帰ってもよかったのだが、 何故かまだ彼女と一緒にいたかった。

明朗快活に話す彼女とひきかえに空にはみるみる暗雲が立ち込めていった。

しかし、探せど探せど東京の路地裏なんてそう雨宿りできる場所があるとは思えず、なかなか良い場所は見つからなかった

仕方ないので私は背負っているリュックから折畳傘を取り出す。

シューッ、バサッ

広げて彼女に手渡すと、 彼女は何も疑わずにそれを受け取った

私は彼女の方が上背があって様になるからと思って渡したのだが、 それを素直に受け取るところが彼女の純真さを表しているようで 私はなんだか悔しい気持ちになった。

それから私たちは30分ほど埃の被った自販機の並ぶ薄暗い通りを歩いた。

そして、話した。

話す内容なんて 特にこれといったものじゃない。 普通の学生が普通に話すような 他愛もない話だった。

これは彼女のお決まりの質問。

私も彼女が他の人にこれを聞いているのを幾度となく見かけた。

そう言って互いに笑う。

と、軽くあしらってしまう。

これはあまりに彼女が明るく言ったからであるが、本来ならこんなに軽く扱っていい問題ではなかった。

よくよく考え込んだ挙句、 とうとう口に出てしまった。

なんでもないような彼女。

雨はさっきより強く傘を叩いていた。

彼女は他の女の子とは少し違った。

髪はショートカット、 口調もとても上品ではない。

かと言って女子力、 というものがないわけでもなく、 メイクや食べ物の勉強をしていた。

きっと何にでも興味があるのだろう。

そんな彼女はいい意味で 他の子とは一線を画していた。

そして、彼女は明るかった。 行動力があった。 リーダーシップも才能もあった。

彼女のかく絵や小説はどれも、 彼女の作品への愛がこもっていた。

私は密かに彼女を尊敬していた。

一通り歩き終えたところで 大通りに戻った。

少し後ろ髪引かれるような様子の彼女

なんて事のないただの散歩なのに そんなに楽しく思っていてくれたのだろうか、と少し嬉しくなった。

彼女が通学に使っていたのは地下鉄。

私は折角なので 改札口まで彼女を見送ることにした。

と言って互いに手を振る。

すると突然、改札を通ろうとしていた彼女が急にこちらに近づいてきた。

そして、私に抱きつき、 二枚の不織布越しにキスをした。

彼女はいつも色々な人に 抱きついている。

こう言うとなんだか語弊があるが、 彼女はいつも彼女の友達を見つけるとハグを要求していた。

例に漏れず私も要求されていて、 初めは少し恥しかったが、段々と慣れ 外国風のあいさつのつもりなんだろうな、と解釈して特に気にしないようにしていた。

そして、そういったスキンシップが 私の中で普通になっていった。

しかし、キスをされたのは 初めてだった。

きっと他の誰にもキスをしているのを見たことがなかったために 余計驚いたのだろう。

もしかしたら他の人にも私の知らないところでしていたのかもしれない。

それにしても、私自身彼女からされるのは初めてだったし、他の誰にも、 親にでさえも、 キスなんてされたことはなかった。

動揺して赤面する私を置いて 彼女は改札を抜ける。

そう彼女は告げ、ホーム階への階段を駆け上がって行った。

まだぼうっとした頭のまま 地上へ続く階段を登る。

外の雨は一層強さを増している。

私は 彼女に渡し、彼女が持ち、 彼女が閉じて、彼女が渡した折畳傘を 開く。

なんて 誰もいない通りに呟いた私の頬には 彼女の体温がまだ残っていた。