僕
___ですから、この銀貨はお渡しします。
僕
えぇ、えぇ、そもそもこんなもの僕が持っていてはいけないのです。
僕
どうぞ貧しい者への慈善活動にでも使ってください。
僕
え?『どうして銀貨を持っていてはいけないのか?』……?
僕
あぁ…まあ色々ありましてね。
僕
あまり声を大にして言えないのですが…人のタヒによってもらったものです。
僕
どうせだし、ここで懺悔させていただけませんか?
僕
どうも…僕一人で抱えるのには重すぎる感情で…………
僕
___僕と彼は同い年でした。
僕
いや三月くらい僕の方が早かったかな?
僕
まあそんなことはどうでもいいのです!
僕
とにかく僕と彼は対等な関係であるはずなのです!!!
僕
彼は私の師でありましたが人と人の間にそんな違いがあるはずありません。
僕
それなのにあの人ときたら酷い。
僕
あの日、あのときまで僕がどれだけひどくこき使われ、嘲弄されてきたか!!!!!
僕
…失礼、取り乱しましたね。
僕
とにかく、あの人はとにかく僕に酷いのです。
僕
彼と一番長くいるのは僕、
僕
彼が一番世話になっているのも僕です。
僕
それでも、いくら僕の一番が彼でも彼にとってはそうではないのです。
僕
彼は博愛主義者でした。
僕
僕一人を愛してくれることなど決してないのです。
僕
それでも、僕はよかった。
僕
彼はいつも幸せそうに微笑みを浮かべているのです。
僕
いくら弟子たちや周りの者が失礼なことをしてもにこりとしてやり過ごすのです。
僕
あるとき、彼は僕に言ったのです。
僕
「そんな不機嫌な顔をしていてはいけないよ」
僕
「お前が寂しいのはわかっているが、寂しいときに寂しそうにするのは偽善者のすることだよ」
僕
「どんなときでも笛を吹くような調子で微笑んでいなさい」
僕
「寂しさを人にわかって貰えなくたっていいじゃないか」
僕
「少なくとも天の父はわかってくださっている。それでいいじゃないか」
僕
「寂しさは、誰にでもある者だよ」、と
僕
そう言われて、僕はひどく泣きたくなりました。
僕
僕は神様なんかにわかって貰えなくても、世間の者たちにわかって貰えなくても、彼一人にわかって貰えていたら、それでよかったのです。
僕
僕は彼をそれほどまでに深く思っていたのですから。
僕
他の彼の弟子たちとは比べものにならないくらいに愛していました…
僕
だから、僕は彼が幸せに笑っているのを見れただけで、同じように幸せな心地になれました。
僕
そのときの僕には多少の嫉妬心はあれど、独占欲はまだ分からなかったのです。
僕
あるときのこと、一人の女が僕たちの暮らす場所を訪ねてきました。
僕
顔も名前もぼんやりとしか覚えていませんが、とにかく美しかったことは覚えています。
僕
それこそ神の子も惚れるほどに…ね。
僕
彼女は彼に近づくと彼の足に香油を塗り始めました。
僕
僕は彼女を叱りつけました。
僕
香油はとても貴重で高価なものです。
僕
労働者の一年分の給料と同じ価値です。
僕
それひと壺でどれだけの貧しい者が救えるか…
僕
その上、香油を足に塗ることは、通常タヒ体の匂い消しにやることです!!
僕
彼はまだ生きている、それなのにそんなことは失礼極まりない!!!!
僕
それなのに彼はなんて言ったと思います!?
僕
「いいんだ。困らせてはいけないよ。」
僕
「貧しい人たちはいつまでもお前と共にいられるけれど、私はそうはいかないからね。」
僕
「それに彼女は私のためを思ってやってくれているんだ。それを無下にはできないよ。」、なんて…
僕
僕は彼の横顔を見ました。
僕
先ほども言った通り女はとても美しかったのです。
僕
神の子___博愛主義者である彼も一目惚れしてしまうほどに…………
僕
その日の宵、僕は人知れずこっそり抜け出しました。
僕
彼が博愛を捨てて、一人を愛したと思い、正気なんて保っていられませんでした。
僕
僕は考えました。
僕
彼はまだ気づいていないようだったが、きっとあの女一人をそのうち愛してしまうのだ。
僕
彼に出逢ってからずっと愛し、尽くしてきた僕をよそに出会ったばかりの女と恋に落ちるのだ。
僕
そうしたら、彼の全てはあの女のものになり、僕のものになることは一切なくなる…
僕
___それならばいっそ、僕のせいで死んで欲しい。
僕
僕は抜け出したその足で彼に批判的意識を持つ祭司や村の長老たちのところへ行きました。
僕
その次の日も、また次の日も通い続けました。
僕
しばらくしてのことでした。
僕
祭司たちに彼をコロすことが可決したと告げられました。
僕
群衆の目前で捕らえたら必ず暴動が起きる。
僕
だから彼と弟子だけでいるところを役所に報告しろ、と。
僕
僕は最後に彼を自分のものにしたい、最期くらい触れておきたいと思ったので誰が彼かわかるように口付けすると祭司たちに言いました。
僕
彼を訴える日、彼と僕ら弟子たちで食事をしているときでした。
僕
唐突に彼が雑巾を持ってきて僕らの足を拭き始めたのです。
僕
当然僕らは止めました。だってそれは普通奴隷のすることなのです。
僕
しかし彼は、それを止めたらお前たちはもう私の弟子ではないよ。と言ってしまいました。
僕
僕は悟りました。
僕
彼は自分がもうすぐタヒぬことがわかっていたのです。
僕
だから彼は香油を足に塗られることを喜び、弟子にこんな施しをするのだ。
僕
僕は涙ぐみました。
僕
彼はやはり底抜けに美しかった。
僕
「今すぐ弟子たちと一緒にここから逃げて遠くで暮らしましょう」と喉まで出かかっていました。
僕
しかし、全ての弟子の足を拭き終わった彼の言葉によってそれは引っ込みました。
僕
「この中に私をコロそうとしている人がいる」
僕
その声、その言葉が今も耳の奥に焼き付いています。
僕
弟子たちは当然ざわめきました。
僕
犯人探しをしだす者、泣き始める者、怒りを露わにする者…
僕
僕は彼に問いました。
僕
「それは誰ですか…?」
僕
「私が今から浸したパンを与える者だ。ああ、本人のためにも、その人は本当に生まれてこない方がよかった。」
僕
彼は僕の口に浸したパンを押し付けました。
僕
そして言ったのです。
僕
「今すぐ成さねばならないことをしなさい」、と。
僕
僕はすぐに役所に駆け出しました。
僕
その翌日のこと、彼は街の広場へ来ました。
僕
僕以外の弟子を全員連れて。
僕
僕が現れたとき、弟子たちは何かしら反応を見せましたが、彼だけは相変わらず美しく微笑んでいるだけでした。
僕
「こんにちは、先生」と言って僕は彼に口付けをしました。
僕
その瞬間、隠れていた兵たちが飛び出して彼を捕らえました。
僕
その後数日意味のない裁判が続いたあと、彼は十字架に磔になりました。
僕
13日の金曜日のことでした。
僕
その後、僕は祭司たちに銀貨三十枚を貰いました。
僕
その時はまだ正気ではなかったのです。
僕
数日後、いきなり僕に正気が戻りました。
僕
それまでは、頭にベールがかかったような、悪魔に取り憑かれていたようでした。
僕
そこで僕は自分がしたことに気づきました。
僕
誰よりも愛していたはずの彼をタヒに追い込み、金を得る…
僕
その日はひどく泣き腫らしました。
僕
そう、これは愛した人を手にかけて得たものなのです。
僕
こんな物、僕が持っていていいはずがない。
僕
ですので、こちらはどうぞお納めください。
僕
僕はこれから、誰も僕を知らないところで静かに裁きを待つことにします。
僕
なあに、後追いなんてしませんよ。
僕
僕にそんな資格はないのだから………
輪を作って、潜らせて、捻って、おろす。
元を木に括り付けてのぞいてみると彼がいた。
相変わらず、美しい顔、瞳。
それら全てを僕に、僕だけに向けて微笑み、手を差し伸ばしている。
それに応えるように僕は足を離した。
農夫の男
___こりゃあひでえな。
農夫の妻
お前さん、どうかしたのかい?
農夫の男
あんま見ない方がいいぜぇ?お前首吊りタヒ体とかあんま好きじゃなさそうだしな。
農夫の妻
やだねぇ、ウサギとかがむごいことになってるのが嫌なだけで平気だよ。
農夫の男
それにしてもこれ最近引っ越してきたあの坊主じゃないのか?なかなかの好青年だったのに…なんか思い詰めていたんかねぇ?
農夫の妻
…そうじゃないと思うよ。
農夫の男
?どういうことだ?
農夫の妻
だってさ、このタヒ体の顔を見てなよ。思い詰めてたやつがこんな安らかな笑顔すると思うかい………?
終.