展開ジェットコースターになってても許してね 桃水だよん (次回はコメ欄で多い𝖼𝗉にする)
お昼ごろ、きゅうにくらりと目が回って、ほとけはまたか、と思った。
こうなることに理由はとくになかった。
いやなことがあったとか、言われたとか、そんなことはたぶんなくて、雨が降ったとか、そんなことも関係がなくて。
ただ、どうしようもなく不安になって気分が落ち、落ちた気分のぶんだけ体調が悪くなる日があった。
こういう日にかぎって彼は出勤日で部屋にひとりだった。
いつの間にかほとけの体に住み着いた眩暈という症状は、落ち着くまで薬を飲んでおとなしく横になっているしか対処方法がない。
こうなっているときは感覚がやけに澄むというか、するどくトゲトゲになるというか。
部屋の明かりが眩しいことにも気が散って、カーテンを閉めた薄暗闇の中で続く浮遊感と吐き気にじっと耐える。
ざわざわと揺れ続けるどうしようもない胸の騒がしささえも気持ちを疲弊させる材料でしかなくて、もういやだ、だれかたすけてと思っても彼はいない。
とにかく、いつものごとく前兆もなく始まった眩暈のせいで平衡感覚をうしないつつある身体が言うことをきかなくなるまえに、と半ば焦るような気持ちで薬のシートからひとつ錠剤を取り出し飲み込んで、早々にベッドへともぐりこんだ。
彼は夕方には帰るとたしか言っていた。それまでの我慢だ、と、寂しいと叫ぶ気持ちに蓋をして、目を瞑った。
かたん、と、物音がして目が覚めた。随分と眠り込んでいたらしい。
いつもはこんなとき浅い睡眠しかとれないのだけれど、めずらしく心が和らいで思考もすっきりとしていた。
起き上がってみて、だいぶ眩暈が落ち着いていると気づく。
彼が帰ってきたのだろう、ベッドから降りて部屋を出る。
ドアを開けてすぐ視界に桃色が目に入って、すこし安心した。
玄関先にいる彼におかえり、と言うけれど、彼からの反応がない。
ん? と思いながら近寄ってみると、靴を脱いでいる彼の髪がゆらりと揺れて、……なんだかふらついているような、気がする。
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ふらりと顔を上げた彼は、おそらく傍に立つまで僕がいることに気がついていないようだった。
壁にもたれかかりながらもまだちゃんと靴を脱げていない彼を支えて、荷物を持ってあげる。
いつから調子が悪かったのか、朝はそんなこと言っていなかったはずだ。
ようやく玄関を上がった彼はやはりふらふらと足もとの覚束ない様子で、肩で息をしている。
触れた背中はかなり熱い。
とりあえず寝かせて、体温を測らせて。冷却シートとか風邪薬とか、あったっけ。
一気に考えるべきことが押し寄せてきて、起き上がって動いたせいか急にフル回転させた思考のせいか、落ち着いていたはずの眩暈がまた戻ってきてしまったような感覚があった。
しっかりしなきゃ、と思うけれど。もしかして少し、いや結構やばい状況じゃないか? とも思い始める。
気合いを入れなければ、共倒れになりかねない。それだけは避けたい。ぜったいに。
さきほどまで自分が漁っていた救急箱の中身を思い出せないまま、ぐったりと辛そうに眉を寄せ、ほとんど目を閉じてしまっている彼をベッドに寝かす。
大丈夫だ、と、気持ちをふるいたたせて。
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ベッドに横になった彼はそれだけでも安心したらしく、力を抜いてふー……、と息を吐いた。
その様子に、よく頑張ったね、と声をかけてから部屋を出て、必要なものをとりにリビングへと戻る。
ああもう、視界がふらふらとぶれて気持ち悪いし鬱陶しい。
ぎゅっと目を瞑ってから開けてみても、変わらない。
床に広げっぱなしだった救急箱の中から体温計を取り出し、ついでに冷却シートも風邪薬も常備してあったことに安堵して、それも出す。
水分を取らせて、ゆっくり寝かせてあげなければ。
普段は引くほど健康体の彼が熱を出すなんて、かわいそうに。
しかし彼の様子を見て看病スイッチが入ったことによって、気持ちはだいぶ立て直せた、と思う。けれど。
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やばい。立ち上がった瞬間にきいんと耳鳴りがして、ぐらり、と視界がひどく歪んだ。
あやうくバランスを崩して倒れこむところだった。
持っていたものを落としそうになり、あわててぎゅっと胸のところで抱えて傍にあった冷蔵庫にもたれかかる。
大丈夫、だいじょうぶだ。息を吸って、吐く。よし。
少し吐き気がするけれど、まだ大丈夫。
ないちゃんが眠ったら自分ももう少し眠ろうと決意し、また部屋へと向かった。
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手渡したそれを緩慢な手つきで脇につっこみ、鳴るのを待つ。
そのあいだ頬に触れると、やっぱりひどく熱かった。
こんな調子で出勤だなんて、本当に。
無理するなと言うつもりはないけれど、せめて一人で帰ってくるんじゃなくて、言ってほしかった。
頭が回ってなかったというのもわかるけれど。
僕だって体調を崩しているとき、自分のことでせいいっぱいで余裕なんてないし。
それでも、と思ってしまうのはエゴだと、それもわかってはいるのだ。
我儘と、出来ることがあればすべてしてあげたい、と思うその感情のあいだで、思考がまとまらない。
全部こんな体調のせいだ。ままならなくて悔しくなる。
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こくんと頷いた彼に、貼ってやろうと一枚取り出して前髪をあげるよう促すけれど、自分でやる、と言うように手が差し出される。
そう、とそれにしたがってフィルムだけ剥がしてやり、手渡した。
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ごめん、と言う彼に気にするなとだけ告げて、部屋をあとにする。
実を言うと僕も限界だった。
視界はさきほどよりもつよく、絶え間なくぐらぐらと揺れていて、気持ち悪さが増してきている。
彼のほうが調子が悪いだろうということはわかっているし、彼が起きたときにおなかがすいていたらごはんだって作ってあげたい。
ベッドできちんと横になって眠りたかったけれど、そうするともう動けなくなりそうなのでやめた。
とにかく気分が悪くて、吐き気がつよくなってきたことを認識してしまえば、もうそのことしか考えられなくなる。
その感覚から逃れたくて、コップに少しだけ冷たい水を注いで飲み、胸のあたりをさすっても何も変わらなかった。
ソファに座り込んで、深く息を吐く。
彼が目を覚ますまで、いったん自分も休憩、と思っているうちに、また僕は夢の中へと吸い込まれていった。
ふ、と目が覚めた。ここはどこだ、と一瞬記憶が曖昧になる。
見慣れた部屋で、ベッドに横になっている。
それで、ああ、そうか、と気づく。熱があるんだった。
寒くて、でも暑くて、よくわからない感覚のままようよう仕事を終わらせて帰宅し、彼と二、三会話をしたことは覚えている。
ということはここまで連れてきてもらい、寝かせられたのだろう。
だんだんと思い出してくる。ぺらん、と額から何かが剥がれ落ち、ぬるくなった冷却シートだとわかる。
枕も随分とあたたかくなっていて、その暑さで起きたのだ、と悟った。
どれくらい眠れたかわからないけれど、熱は、ほとんど下がっていないような気がした。
上がっている体温のせいでぐらぐらと頭が揺れている。
もう一度体温計を手に取り、熱を測っているあいだ、起き上がって水を飲んだ。
しかしそれももう常温になってしまっていて、つめたいものが欲しい、と思う。
思考がぼうっとしていて、あまりものを考えられない。こんなふうに体調を崩したのはひさしぶりのような気がした。
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やっぱり薬を飲まなくてはいけないだろうか、と思う。あまり好きではないのだけれど、そうも言ってはいられない。
軋む身体に早くこの苦しさから逃れたい、と思うのも本当だったから、立ち上がって、地面が波打っているような浮遊感を飼いならしながらゆっくりとリビングへと向かった。
ドアを開けると、ソファに座る彼のすがたが目に入る。
こちらからは表情が微妙に見えないけれど、うつむいているから寝ているのか、と思う。
とりあえず冷蔵庫から水を取り出して、コップに注ぐ。
喉をとおる冷たさが気持ちよかった。
熱があるのってこんなにしんどかったっけ、と思いながら、彼が出してくれていた薬のシートが置かれているのを見つける。
これかと手を伸ばしたものの、何か食べてからにしろと言われていたことを思い出す。
食欲はないがどうするかと悩んでいると、となりにもう一枚シートの残骸があることに気づいた。しかしこれは解熱剤ではない。
そうわかったのはそれがふだん彼が飲んでいるもので、俺も何度か見たことがあったからだ。
ふたつ一組になっているシートのうち、ひとつがまだ残っていて、その錠剤の色が俺の飲むべきものとちがった。
ここ最近は飲んでいなかったはずだ、なのになんでここに、と思う。
いつもは専用のケースに入れられ、救急箱にしまわれているはずだ。
ぼんやりとした鈍い思考では結論に至るまでにいつもより時間がかかって、ようやく思い立つ。
え、もしかしてこいつも今日調子悪かったのかも、と。それなら、今ここで彼が眠っているのも合点がいく、ような気がする。
彼のほうを振り向けば、彼も俺の存在に気がついたようでみじろぎをし、顔を上げてこちらを見た。
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大丈夫? と問いかけてくる彼が立ちあがろうとするのを制し、そちらへと向かう。
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なんでわかったの、と言わんばかりに目が泳ぐ。
いや、泳いでいるのか、眩暈がしているせいでくらくらと瞳が動いているのかはわからないけれど。
なぜかばつがわるそうに目を逸らされ、怒っているわけではないのにな、と思う。
彼は調子が悪いことを隠していたのがばれたとき、いつもこんな表情をする。
最近は眩暈を起こすことが多くて、そのうちに甘えてくれるようになったほうだと思っていたのだけれど。
言い出せなかったのだろうな、と思って俺は申し訳なくなった。
気を遣うことについては他の追随をわりと許さないくらい、こいつは他人優先なのだ。
おおかた俺の不在中に調子が悪くなったけれど、こんな状態で帰ってきてしまった俺の具合を見て、自分も体調が悪いとは言えなくなってしまったというところだろう。と、推測する。
ふらふらと視線をさまよわせていた彼に、ごめん、と呟く。
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大丈夫か、と問えば一瞬、顔が歪む。たしかにしんどかった、と言う彼は、目を合わせずにでもいつものだし、薬飲んでないちゃんが帰ってくるまで寝てたから、と返してくる。
そのようすに、なんだか無性に、いとおしくなって。こいつのめまいの症状がひどいのは、自分が一番知っている。
一度めまいを起こすと半日、へたをすると一日ずっとそれに苦しむ羽目になることも。
いかんせん吐き気が永遠におさまらず、ずっとトイレに閉じこもって、出し切っても気分の悪さは消えずにうんうんうなりつづけているすがたも。
ときおり耳鳴りのせいで俺の声が聞き取れず、ひどく不安そうな顔でこちらを見つめるその瞳も。
ひどさの波はあれど、体調の悪さにキャパオーバーを起こしてひとりで耐え切れなくなって、うまく眠ることもできずに横になりながらポロポロと泣いているところも何度か見たことがあった。
本人は隠れて泣いているつもりだっただろうけれど、俺は知ってしまっている。
かわいそうに、と何度思ったことか。代われるならば代わってやりたい、と。
そんな状態のときに、俺まで体調を崩してしまったものだから、こいつはめちゃくちゃ我慢して、頑張ってくれたのだろう、と思う。
俺を不安にさせないように、気を遣わせないように、と思って、ひとつも表情に出さないようにしていたのだろう。
だから、ごめん、と心から思ったし、そう言った。
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よかった、と、高熱のせいでぐらつく視界で彼の表情をとらえ、つめたい頬に触れる。
いまは、と言うのにひっかかったけれど、良くなっているのならば安心だ。
眩暈がしているときは眠れないことが多いのだが、それも大丈夫みたいだし。
いまだ合わない視線がもどかしくて、俺の目ぇ見て、と言えば、ようやくその不安げな瞳と目が合った。
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彼の目は、茶化すような声色ながら、やさしい、やさしい目だった。
熱で潤んでいるせいでよけいに、そう思うのかもしれないけれど。
まっすぐなんだけれど、どこかゆらゆらと揺れているような瞳で、僕のことをじっと見つめている。
その目に見られていると、おさない子どものように甘えたくなってしまうのだ、いつも。
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しんどい、しんどかった、全然帰ってこないし、帰ってきたと思ったら僕よりボロボロで、熱出してふらふらしてるし。
じゃあ僕が頑張るしかないじゃんって思ったけど、別にそれはヤじゃないし、現に今も、気づいてくれたのがうれしくて。
こんな子供っぽい感情がいやになる。
何で甘えさせてくれるんだよ、とも思うし、甘えたかったと、心のどこかでちいさな自分が叫んでいる。
それらは言葉にはしなかったしならなかったけれど、彼にはすべて伝わったのだと思う。
自分が座っている、その傍に普段よりも高い温度が寄り添い、汗の匂いがふわりと漂う。降参。
彼のほうがやっぱり一枚も二枚も上手で、僕はそれに勝てない。ずっと。
そう思ったら、ぽろ、と涙がこぼれた。なんで泣いてんだ、意味わかんない。
だけれどそれは止めようとしても止まらなくなって、太ももがいくつも落ちるしずくで濡れていく。
それを、熱い熱いゆびさきがすくって、頭を撫でられる。
ばかみたいだ、ほんとうに。体調が悪いときは、感情もぐちゃぐちゃになっていやだ。
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ふだん、自分が体調を崩して寝込んでいるとき、彼はすこしでも楽にしてやりたいと、いつも言う。
かわいそうに、つらいよな、と言ってくれて、上下左右が絶えずひっくりかえり続けているようなめまいが落ち着くまで、背をさすったり、頭を撫でてくれる。
その手つきはひどくやさしくて、気持ちが安らいで、きっと薬よりも効くものなんだろうな、と思う。
この手に触れられているうちは大丈夫だと、無条件に信じることができてしまうのだ。
ないちゃんが大丈夫だと言えば、かならず大丈夫になる。そんな魔法を、かけられているような。
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あはは、と笑う彼の声がかすれている。それさえも、僕の弱った心をくすぐって。
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この人は本当に。茶化すように言われて、心臓がどきっと鳴ってしまった。
顔を上げて、すでに立ち上がってリビングのドア付近まで歩いていった彼のほうを見れば、してやったり顔でこちらに微笑みかけている。
くそ、いっつもそうやって結局てのひらで転がされるんだ。目尻に溜まっていた涙がひとつ流れて、強引に拭う。
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やさしさでは、ないちゃんには勝てない。
自分で言うのもなんだか恥ずかしいというかあれだけど、彼は僕のことを、ひどく深い愛の中で見つめてくれているのだと、そう思う。
リビングを出て行った彼のすがたを追いかける視界はいまだにふらふらと揺れていたが、心の中はしずかに満たされていた。
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コメント
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みんな次『赤水 白水 桃水 青水 黒水』どれがいい?
見るの遅くなってごめんなさい( ; ; ) りり先輩書くの上手すぎる… まじで尊敬してます!! 🩷🩵尊い🤦♀️💓
最高…、 ほんとらぶ🫶 ねるちモチベ上がった笑 みた人強制のやつ、そのシートだけ裏でくれたらやるよ!