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瀬崎徹
重たい瞼を押し上げると、視界に飛び込んできたのは見慣れた観光バスのシートの背もたれだった。
どうやら俺は長時間の移動に耐えきれず、いつの間にか意識を飛ばしていたらしい。
高島隼人
瀬崎徹
すぐ隣から呆れたような声がした。クラスメイトの高島隼人だ。
高島は俺が起きたのをこれ幸いとばかりに、さっきまで車内で起きていたという「最高に面白い出来事」とやらを熱心に語り始めた。
だが、寝起きの頭には内容が一切入ってこない。というより、入ってこなくて正解だった。どれもこれも、わざわざ起きて聞くほどでもない、取るに足らない世間話ばかりだったからだ。
瀬崎徹
高島隼人
瀬崎徹
適当に相槌を打って、窓の外へ視線を逃がした。
景色は最悪だった。今朝から降り続く雨は勢いを増し、今はもう土砂降りと呼ぶにふさわしい。
修学旅行のバスは今、人里離れた険しい山道を唸りを上げて進んでいる。
浅木豊
不意に、後方の座席から野卑な声が響いた。
その声の主はクラス内で不良生徒として有名な浅木豊(あさぎ ゆたか)のものだった。
高島隼人
瀬崎徹
案の定、その標的は気弱な生徒の細波将太(さざなみ しょうた)に向けられている。
細波将太
浅木豊
細波将太
瀬崎徹
浅木と他の連中による細波への執拗な「イジリ」。それは傍目から見れば、笑い事では済まされない「イジメ」そのものだ。
けれど、この狭い車内において、その不快な空気に異を唱える者はいない。誰もが関わり合いを避けるように、見て見ぬ振りを決め込んでいたんだ。
瀬崎徹
胸の内に広がる澱んだ気分を振り払うように、俺は再び目を閉じようとした。
――その直後だった。
ドォォォォォンッ!!
瀬崎徹
鼓膜を突き破るような轟音と共に、凄まじい衝撃が車体を襲った。
座席から体が浮き、次の瞬間には激しく横に揺さぶられる。悲鳴とも怒号ともつかない声が、狭い車内に充満した。
新堂章吾
根岸彩乃
パニックに陥る生徒たち。阿鼻叫喚の渦の中、前方の座席から担任の吉原が必死に声を張り上げた。
吉原先生
香川真由美
震える声で問いかけたのは、学級委員長の香川麻由美だった。彼女の顔からは血の気が引き、真っ青になっている。
吉原は窓の外を、あるいは前方を確認するように視線を泳がせた後、苦渋に満ちた表情で口を開いた。
吉原先生
香川真由美
その絶望的な響きに、香川が息を呑む。
だが、吉原はそれを打ち消すように、努めて明るい声を出した。
吉原先生
その言葉に、ようやくクラスの緊張がわずかに解けた。あちこちから安堵の溜息が漏れる。
高島隼人
高島が胸をなでおろしながら、ほっとした笑みを浮かべる。俺もそれに合わせるように、短く言葉を返した。
瀬崎徹
……そう口にしながらも、心臓の鼓動はいまだに早鐘を打っていた。
バス全体がひっくり返るかと思うほどの衝撃だったからな……
土砂崩れの衝撃から、およそ十分が経過した。
バスは予定していたルートを大きく外れ、頼りない細波のようなエンジン音を響かせながら山道を這い進んでいる。
瀬崎徹
高島隼人
高島の視線を追うと、最前列で担任の吉原とバスの添乗員が、眉間に深い皺を寄せて密談しているのが見えた。
二人の表情は険しく、時折外の雨を指差しては首を振っている。
拭いきれない悪い予感が、胸の奥をチリリと焼いた。
それは俺だけではないらしく、クラスメイトたちも不安を隠せない様子で、縋るように前方の二人を注視していた。
吉原先生
香川真由美
吉原先生
吉原先生
香川真由美
吉原先生
吉原が言葉を切り上げると同時に、車内は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
瀬崎徹
高島隼人
高島が頭を抱えて唸る。
高島隼人
現実的な不満を漏らす高島の横で、俺は窓の外をじっと見つめていた。
進むことも戻ることもできない。この鉄の箱の中に閉じ込められたまま、いつ来るとも知れない助けを待つしかないのか。
底知れない不安が、足元から這い上がってくるのを感じた。
それからさらに、どれくらいの時間が過ぎただろうか。
低く唸り続けていたバスのエンジン音がふっと消え、車体は静かに停車した。
瀬崎徹
再び吉原が立ち上がる。その顔には先ほどまでの困惑に代わって、一筋の光明を見出したような安堵の色があった。
吉原先生
香川真由美
吉原先生
吉原先生
その発表に、車内からは一斉にブーイングが巻き起こった。
特に女子たちの落胆は激しく、制服や髪型を気にする声が飛び交う。
根岸彩乃
吉原先生
吉原先生
吉原が必死になだめる中、後方からは相変わらず不遜な声が聞こえてきた。
浅木豊
浅木が舌打ち混じりに吐き捨てると、それを取り巻く取り巻きの一人がここぞとばかりに細波を小突いた。
新堂章吾
細波将太
新堂章吾
細波将太
理不尽な言葉を浴びせられ、細波は顔を真っ赤にして俯く。
瀬崎徹
吉原先生
吉原の号令とともに、バスの中は一気に慌ただしくなった。
高島隼人
隣で高島が恨めしそうに窓の外を睨んだ。ガラスの向こうでは依然として雨が滝のように流れ落ちている。
瀬崎徹
高島隼人
高島の顔がパッと明るくなる。俺は自分の座席の下からスポーツバッグを引きずり出し、中身をまさぐった。
瀬崎徹
ジャージ、お菓子、ガイドブック……指先に触れる感触はあるものの、探している硬い円筒形の物体が見当たらない。
瀬崎徹
高島隼人
瀬崎徹
バッグの底まで手を入れてみるが、やはりない。
記憶の中では確かに準備したはずなのだが、玄関に置いたままにしてきた光景が脳裏をよぎった。
高島隼人
瀬崎徹
高島ががっかりして肩を落としたその時、通路を挟んだ隣の男子生徒が声をかけてきた。
男子
高島隼人
その誘いに、高島は即座に飛びついた。現金なやつだ。
高島隼人
瀬崎徹
吉原先生
前の方から吉原の声が飛ぶ。それを合図に、生徒たちはぞろぞろとバスを降り始めた。
開け放たれたドアから吹き込む湿った風が、車内の空気を冷やしていく。
俺はと言えば、皆が降りていく騒がしさの中で、往生際悪く鞄のポケットを裏返していた。
瀬崎徹
どうやら本当に入れ忘れてきたらしい。
俺は深く溜息をつき、バッグのジッパーを閉めた。まぁ、走ればなんとかなるか。
瀬崎徹
バッグを肩に担ぎ直し、立ち上がろうとした時だった。
月村冬美
ふと横を見ると、ほとんど空になった車内にまだ座っている生徒がいた。
月村冬美(つきむら ふゆみ)。 窓際の席で、喧騒など我関せずといった様子で外を眺めている。
彼女はクラスでも浮いた存在で、基本的にいつも一人でいるタイプの女子だ。
瀬崎徹
月村冬美
瀬崎徹
まるで他人事のように言い捨てると、彼女はまた窓の外へと視線を戻してしまった。
瀬崎徹
まあ、本人がそう言うなら無理に誘う義理もない。変に構うと余計に嫌がられるだけだろう。
俺はそれ以上何も言わず、月村を残してバスのステップを降りた。
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