主
主
ころん
ちょうど空になったグラスを手にして、いったん逃げるように退室した。
ぎゅうぎゅうに詰め込まれた薄暗い部屋を出て、息を大きく吸い込んで吐き出す。
心なしかあの部屋の中は酸素が薄かったように感じる。
前に付き合っていた人の話をみんなは案外あっさりと口にする
こんなことがあった。とか、こんな理由で別れた。とか、喧嘩したとか。
でも僕には難しい。
自分の思いを口にするって、恥ずかしいし、相手のいないところで勝手に話題にすることも躊躇してしまう。
みんなみたいに、冗談っぽく笑いながら話せたらいいんだけど、口下手なのもあって変に重い空気にしてしまいそうで、余計に言えなくなる。
せっかくの楽しい雰囲気を壊したくない。
そう思うと、言葉を飲み込んでしまう。
だから、先輩ともうまくいかなかったんだろう。
ジュースを入れて、ため息を地面に落としたところで背後から呼びかけられた。
振り返るとさとみ君がポケットに手を突っ込んで、不機嫌そうな顔で立っていた。
驚いて、グラスの中のジュースを少し零してしまった。
さとみ
なんで、どうして、と考えるよりも先に、彼の素っ気ない口調が聞こえた。
心なしか侮蔑が込められてるように感じる。
さとみ
これまで、何度かさとみ君の顔を見た。
放送室前でぶつかったり、靴箱で話したり。
だけど、今目の前にいるさとみ君の表情は初めて見るものだ。
僕をバカにしてるような、見下してるような、そんな冷たい瞳だ。
凍てつくような冷たい視線に頭が真っ白になった。
“あんな感じ”って何なんだろう。
どうして突然そんなこと言われたんだろう。
何に対して怒ってるんだろう。
無言の数秒は余計にさとみ君をむかつかせたらしい。
音にならない舌打ちが、僕には聞こえた気がする。
さとみ
ああ、やっぱりそのことか。
どう説明すればいいんだろう。
頭をフル回転させたけど、一文字も浮かんでこない。
さとみ
さとみ
さとみ
責めるような強い物言いに、言葉がどんどん失われていく。
ころん
さとみ
厳しい言葉が、僕の頭上に落ちてくる。
ガツンと頭を鈍器で殴られたような衝撃で、思わず涙が出そうになった。
ダメだ。泣いたらだめだ。
だって、彼の言う通りなのだから。
反射的にうつむいて、歯を食いしばった。
ころん
さとみ
さとみ
びくりと肩が震える。
僕はやっぱり、人にそんな印象を与えてしまうんだ。
相手に合わせて、適当に過ごしているように見えるんだ。
相手に不快感を与えてしまう。
自覚はある。
だからこそ、思ったことをすぐ人に言える人は羨ましい、そして同時に、同じくらい怖い。
羨ましくて、惨めになる。
さとみ君みたいに、思ったことを率直に言える人からすれば、僕のような性格は苛々するんだろう。
言葉が突き刺さって、痛くて苦しくて、余計に何も言えなくなってしまう。
さとみ君には、そんな僕の気持ちなんてわかんないだろう
でも、なんで、ほとんど話したことのないさとみ君に、ここまで言われなくちゃいけないんだろう。
ほぼ初対面なのにどうして。
それは、莉犬が関係してるからだ。
莉犬の好きな曲を友達と話を合わせて笑ってるからだ。
そんな笑ってるだけの僕に怒ってるんだ。
でも、本当はそうじゃない。
本当は僕の好きな曲だ。
莉犬の好きな曲ではない。
遠井さん
ドアを開け、出てきた遠井さんが僕とさとみ君に気が付いたらしく、突然大きな声で呼びかけてきた。
二人とも体を大きく跳ねさせて、遠井さんの方に視線を向ける。
遠井さん
首をかしげる遠井さんは、僕たちの気まずい雰囲気には気づいていない様子だ。
ころん
ころん
遠井さん
とっさに出たでまかせに、遠井さんは笑って突き当りを指してくれた。
遠井さん
遠井さん
遠井さん
ころん
ころん
遠井さんの言葉に甘えてグラスを預けた。
気づかれなくてよかったと思いながら、さとみくんにもペコリと頭を下げてそそくさとトイレに向かう。
また適当なこと言ってる。と思われただろうか。
痛む胸を押さえるように、服の胸元をギュッと握り締めながら個室に入った。
一人きりになった途端、涙腺が緩んできて、目を固く瞑る。
あのタイミングで遠井さんが来てくれてよかった。
あれ以上さとみくんと話してたらきっと耐えられなかった。
赤い目のまま部屋に戻るわけにもいかないので、涙が収まるまで深呼吸を繰り返す。
ゆっくり吸って、ゆっくり吐き出す。
大丈夫。不意打ちでちょっと驚いただけ。
さとみくんに言われたからショックだった訳じゃない。
言われた言葉が図星だったから。それだけだ。
彼に“僕”がどう思われたって関係ないじゃないか。
さとみくんに嫌われたって、なんの問題もない
莉犬のフリをしてる僕は、遅かれ早かれ、いつかは嫌われる。
愛想笑いをしていることよりも、もっとずっと酷い事をしてるんだ。
両手で顔を覆って、大きく深呼吸をした。
そして、何度も何度も自分に言い聞かせる。
少なからず傷ついた自分にそんな資格ないよって。
僕が今まで見ていたさとみくんは、莉犬のことが好きなさとみくんだった。
かわいいなって思った表情も、嬉しく感じた笑顔も、莉犬を思うさとみくんだったんだ。
今日みた、僕に向けられる顔とは全く違ってた。
それを悔しいと思ってしまうのは、おかしい。
だってさとみくんは僕のことなんとも思ってないんだから。
主
主
主
主
主
主
主
コメント
28件
この話ほんと好きです!毎週…いや、毎日読みたい!
りょうさんの小説ほんとに心がギュッて、、、ギュッてなります、、、文章作る天才なんですか? もう最高です!!!!