『しばらく帰れません ごめんなさい』
SMSで両親に送信してから、桜は弥生以外の全てのアドレスを着信拒否した。
下手に言い訳するより、こうした方が踏ん切りが着く。
浄海に先導され、桜達は東原市内を走る。
目立たないよう裏通りを渡り歩き……たどり着いたのは、一棟の廃ビルだった。
深山桜
浄海入道
深山桜
錆びついた扉をあけて、地下の階段を降り……
とある一室にたどり着く。 元がどういうビルだったのかも分からないくらい荒れ果てているが、一応は身体を休められそうだ。
浄海入道
息長姫子
弥生の首なし死体を抱えたまま、浄海がそばのソファにどっかりと座り込む。
姫と呼ばれた女性は、奥の小部屋に入っていき……人1人乗る大きさの、大きめの台車を持ってきた。
ドサッ
浄海が弥生の身体を台の上に乗せる。 上半身を起こして、
浄海入道
深山桜
桜は大切に抱えていた弥生の首を持ってくる。
浄海は台車の隅に置かれていたビニール袋を拾い上げた。 口をほどき、中の粉末を大雑把に手ですくい上げる。
弥生の首の生々しい切断面に粉を振りかけ、なじませるように手で何度か揉み込む。
ジュクジュクジュクジュク……
スライムをかき混ぜるような少し不快な音が、首から聞こえ始めてから、桜はそっと、弥生の頭部を置く。
ジュクジュクジュクジュクジュク
音は少し強まり、粉の下から這い出てきた新たな皮膚が、首とくっつき始めた。
日本医学は、ほぼほぼ滅んだ。
世界に誇る高度な医療技術は、この1キロ数十円で買える超万能細胞により根本から崩壊した。
白米の品種改良の研究の最中に偶然発見されたこの細胞は、日本人のあらゆる傷や疾病をまたたく間に治癒し、若返りや体力増進の効果ももたらす。
万能細胞によって日本人は死の恐怖から解放された。 同時に日本人のマンパワーも飛躍的に増大し、現在の日本経済の隆盛をもたらしている。
ここでいう日本人の定義とは? それはいまだ明らかになっていない。
日系外国人には再生効果が現れない一方、日本に長年住み続ける他民族や他人種には効果をもたらすことから、遺伝ではなく日本固有の環境が、なんらかの要因になっていると推定されるのみだ。
いずれにせよ、怪我や病気とは無縁の最強人種となった日本人は、今や世界中から最高の人材として引く手あまたである。
桜達が簡単に海外移住を決められるのもこのためだ。
無論、万能細胞による日本人の超人化は、ブランドのようなガン細胞をも生み出す結果となったが……。
ジュクジュクジュク……
音が大分弱まってきた所で、桜は手を離す。
落ちることはない。 ぴったりくっついているようだ。
血色の失せていた顔も、すっかり生き生きとしている。 閉じていたまぶたが、ゆっくりと開き──
弥生
浄海の姿に驚き、彼を突き飛ばした。
浄海入道
弥生
弥生
弥生はガバッと立ち上がり──台車が滑って、
ドテッ!
弥生
情けなく転んだ。 せっかく生き返ったのに、早くも傷ついた。
深山桜
深山桜
弥生
浄海入道
弥生
弥生
弥生
浄海入道
弥生の怒りも意に介さず、浄海は腕を組んでガハハと笑う。
浄海入道
浄海入道
浄海入道
弥生
深山桜
弥生が顔を真っ赤にして掴みかかろうとするのを、桜は慌てて止めた。
浄海入道
弥生
浄海入道
ニヤリ……。 聞こえるはずもないのに、面頬の奥で、浄海が笑う音が耳に届いた気がした。
浄海入道
浄海入道
浄海は台車を持ってきた奥の部屋の扉を指差す。
姫子とかいう女性は、弥生の再生が終わり台車を片付けに行ったきり帰ってきていない。
弥生
浄海入道
浄海入道
大して面白くもない冗談を言いながら、浄海はガチャガチャと笑う。
弥生
浄海入道
深山桜
浄海入道
弥生
浄海入道
深山桜
桜はためらいがちに頷く。
先程の乱戦の際、ダークホースの社員相手に戦った……戦わせられたのは、あの女性の能力によるものだったのだろう。
深山桜
浄海入道
浄海入道
弥生
浄海が出したブランドに、弥生は騒ぎ立てる。 桜も肝を冷やした。
Z'feelは総計3万人の社員が所属する、東原で一番の勢力を誇るブランドである。
『衰退した医療業界の支援』を名目に、裏で万能細胞を元にした非道な人体実験に手を染めているという噂もある凶悪組織だ。
数も質も、先程相手にしたブランド達とは比べ物にならない。
浄海入道
浄海入道
浄海入道
浄海入道
浄海入道
浄海入道
弥生
浄海入道
浄海は桜の顔面を付くように、指をビシッと向けてくる。
浄海入道
ドクン……桜の心が酷くざわついた。
深山桜
浄海入道
浄海入道
弥生
バチン!
弥生が浄海の頭──正確には兜を、右手でひっぱたいた。
弥生
だが、相当硬かったのか、あっさり返り討ちに合う。
浄海入道
浄海入道
弥生
浄海入道
弥生
浄海入道
弥生
プライバシーを暴かれて、弥生はいきり立つ。 一方桜は、怒る気にも追及する気にもなれなかった。
浄海入道
浄海が自分を指さして告げた言葉が……桜の心の奥底に突き刺さるように、深く響いていたからだ。
本当にただ、体格が似ていたから選んだだけなのか……? 先程の思わせぶりな態度を、冗談として片付けることが、なぜか今の自分には出来なかった。
深山桜
ズズゥゥゥン……!
地響きが室内を襲った。 パラパラパラと、コンクリートの欠片が天井から落ちてくる。
弥生
浄海入道
浄海入道
弥生
浄海入道
浄海はガバッと立ち上がった。弥生はにわかに焦る。
弥生
浄海入道
深山桜
悩みこんだものの、桜は頷いた。 弥生は『えぇっ!?』と驚き、弾かれたように桜に顔を向ける。
弥生
深山桜
深山桜
胸の内に残る不安を隠して、桜は弥生に言い聞かせるように話す。
浄海入道
浄海は懐に手を突っ込み、丸い缶を取り出す。
蓋を開けると、中にはギッシリと粒ガム程度の大きさのタブレットが詰まっていた。 適当にいくつか掴み、口に放り込む。
浄海入道
深山桜
桜は恐る恐る、1つ……いや2つつまんで、口に入れる。 奥歯で噛み砕くと、カシスのフレーバーが口腔に広がった。
ピルロイド──万能薬の成分を調合した筋肉増強剤だ。 『ひと粒でヒグマもイチコロ』というキャッチコピーで大流行した。
ブランドの社員のほとんどは、このピルロイドを服用すること、超人的なパワーと再生能力を得て、蛮行を働いている。
依存症や副作用もあると言われており、今まで自分が服用することはなかったが……まさかこんな日が来るとは思わなかった。
息長姫子
いつの間にか、姫子がすぐ後ろまで来ていた。 桜と弥生は驚く。
浄海入道
弥生
蓋を閉じようとしていた浄海の手を退けて、弥生も何粒かピルロイドを口に放り込んだ。
浄海入道
ニヤリ……
また、浄海のほくそ笑む音が聞こえた気がした。
ブラックドラゴン社員A
一行が錆びついた自動ドアから出てきた瞬間、凄まじい数の怒声が鳴り響いた。
ストリートファッションに身を包んだガラの悪い男達が、鉄パイプや角材、金属バットといった狂気を手に、廃ビルを取り囲んでいた。
浄海入道
圧倒的な戦力差を前に、浄海は不敵に笑う。
ブラックドラゴン社員B
浄海入道
ブラックドラゴン社員C
浄海入道
ブラックドラゴン社員D
ブラックドラゴン社員E
ブラックドラゴン社員F
ブラックドラゴン社員G
ブラックドラゴン社員H
オアアアアアアア──
弥生
理性の欠けたけだもの達が、発狂するように次々と吠え叫び轟かせる。 桜は身がすくんだ。
???
小さく聞こえた、誰かの声。
ザザッ!!
直後に、全く統率の取れていなかった社員達が、一斉に動く。
一行の向こうの人垣が割れる。 奥からツカツカと歩いてきたのは……取り巻き達とは異なる、スポーティな服装の女性だった。
身の丈を越える長さのバールを背負っている。どこから持ってきたのか。
???
深山桜
ドスの利いた声で言い放つ彼女の姿に、桜は痛みを覚える程の恐怖を覚えた。
女性でありながら、立ち上る迫力と恐ろしさは、周囲の暴漢達を軽く上回る。 恐らくこの人が……ブラックドラゴンのリーダーだ。
浄海入道
佐渡
佐渡
浄海入道
佐渡
弥生
深山桜
佐渡という女性が言及した人数に、桜は戦慄する。 まさか……。
佐渡
佐渡
ドガァッ!!
佐渡はバールの先端を、地面に叩きつけた。 強固なコンクリートが簡単にえぐれる。
佐渡
地面から引き抜いたバールを突きつけ、怒りをみなぎらせて、佐渡は叫んだ。
浄海入道
佐渡
浄海入道
浄海入道
自分達の前に一歩躍り出た浄海は、佐渡、そしてブラックドラゴンの社員達に向けて、高らかと言い放つ。
浄海入道
浄海入道
佐渡
佐渡はくるりと後ろを向く。 バールを背負い、つかつかと向こうへ歩いていく。
佐渡
彼女の叫びが、
ウオオオオオオオオ!!!
無数の暴漢の咆哮と、突進の足音にかき消された。
ガッ!
腰に衝撃。 完全に足が凍っていた桜は、姫子に抱えられる。
息長姫子
深山桜
答える前に、連れて行かれる。
桜を抱えた姫子と、弥生を抱えた浄海は、脱兎のごとくビル内に引っ込んだ。
桜は通路を走る。 正確には、通路を走る姫子に抱えられ、情けない体勢で運ばれる。
弥生
浄海入道
深山桜
息長姫子
浄海入道
浄海入道
荒れ放題になったビルの通路を、2人は走る。
『死ねころ糞待て逃げす追えぞんなや生きコて死ね帰すボケなラがァァァァァァァァァ!!!!!』
ありとあらゆる罵声が一緒になった、混濁とした殺意。
それらが自分達の後方数メートルから、足音と足音と足音と足音と足音と足音と足音と足音と足音と足音と足音と共に聞こえてくる。
2人は走る。ビルの階段へ──
ダッ
ブラックドラゴン社員
階段手前、消火栓の物陰から、社員の1人が飛び出してくる。
先回り──!? 避ける暇などない。 奴は鉄パイプを振り上げ、
浄海入道
ドゴォッ!!
ブラックドラゴン社員
弥生
浄海が突如突き出した弥生の頭に吹っ飛ばされた。
浄海入道
弥生
浄海入道
弥生
浄海に抱えられながら、弥生は声を荒げた。
現在の日本人は、全員が頭蓋骨をいかなる衝撃にも耐えうる強化骨格に換装する外科手術を受けている。 現代日本に残された数少ない医療技術である。
万能細胞により肉体のあらゆる部位が怪我とは無縁になったが、さすがに脳が損傷してしまうと、当人が受ける影響は計り知れない。
頭部へのダメージを最小限にするため、首から上の骨は、核攻撃にも耐えられる超硬度の特殊素材で覆われているのである。
更に、血流が止まっても当分の間は脳の機能を保持できるよう、超小型核融合炉を内蔵した自立生命維持装置も組み込まれている。
先程の乱闘で頭を吹っ飛ばされた弥生も、頭部は強化骨格で守られていたがために、首の接着後は無事に回復できたのだ。
とはいえ、だからといって他人の頭を武器に転用するなど、非常識極まりないのだが。
一行は階段を駆け上がる。
2階、3階、4階へ。
4.5階の踊り場で、社員がガバッと現れる。
ブラックドラゴン社員
浄海入道
ドカァッ!!
ブラックドラゴン社員
浄海が放った右ストレートで、社員は即座に倒れ込む。
背中を踏みつけ、再び上がる。
5──6──7──8──9──10──11──
上へ── 上へ── とにかく上へ!
深山桜
浄海入道
浄海入道
息長姫子
弥生
弥生の疑問には答えず、2人はひたすら駆け上がる。
そして屋上へ。
きしむスチールのドアを、浄海が一息で蹴飛ばし、4人は躍り出た。
止まらず突き進む。 後方からは、最早聞き取れない怒声が聞こえる。
浄海入道
ドサッ
弥生
いきなり浄海は弥生を投げ渡す。 姫子が掴み、両脇で女子を抱える。
身軽になった浄海は、姫子を先導し、沙紀に屋上の縁ギリギリにたどり着く。
突如後ろを振り向き、仁王立ちで腕を組んだ。
浄海入道
息長姫子
シュタッ
姫子は跳ぶ。 桜と弥生を抱えたまま。
2mを越える巨体の肩に、軽々と着地する。 そのまま器用に足を入れ替え、ぐるんと後ろを向いた。
視界が回転──屋上には、既に大量のブラックドラゴンの社員達が詰めかけている。
佐渡
聞き覚えのある声。 塔屋の給水タンクの上に、佐渡がふんぞり返っていた。
息長姫子
佐渡
浄海入道
深山桜
怒り狂う佐渡と暴漢達を前に、真下の浄海は意味不明な話を始める。
浄海入道
浄海入道
ブラックドラゴン社員
浄海入道
ピョン
軽い躍動。 10センチ上方、30センチ後方に上昇した後、
浄海入道
30メートル、落下が始まり、
屋上の向こう、佐渡が座っていた給水タンクが、爆発した。
視 各 界 階 が の 落 景 ち 色 て が い 映 く る ゜ ゜
11 階 は 社 長 室 の 壺 が 爆 発 し た ゜ 10 階 は 会 議 室 の モ ニ タ | が 爆 発 し た ゜ 9 階 は サ | バ | ル | ム の エ ア コ ン が 爆 発 し た ゜ 8 階 は カ フ ェ テ ラ ス の 厨 房 が 爆 発 し た ゜ 7 階 は 事 務 室 の デ ス ク ト ッ プ が 爆 発 し た ゜ 6 階 は オ フ ィ ス の コ | ヒ | サ | バ | が 爆 発 し た ゜ 5 階 は オ フ ィ ス の レ タ | ケ | ス が 爆 発 し た ゜ 4 階 は 不 発 だ っ た ゜ 3 階 は ト イ レ の ロ ッ カ | が 爆 発 し た ゜ 2 階 は 休 憩 室 の 自 販 機 が 爆 発 し た ゜ 1階は既に火の海になっていた。
弥生
深山桜
目の前で見せられたフリーフォール爆破(←なんだそれは)に、桜と弥生は言葉も出なかった。
ストン
2メートル落下した。 2人はゆっくりと、姫子に地面に降ろされる。
浄海入道
ズボッ!!
妙な破砕音。 腰砕けになりながらも振り返ると、浄海が地面にめり込んだ右足を無理やり引き抜いているところだった。
深山桜
息長姫子
浄海入道
弥生
浄海入道
深山桜
ドサドサドサドサッ!!
深山桜
爆発に巻き込まれた社員達が、次々と空中から落下してくる。
ブラックドラゴン社員
一行の真上に、大柄な社員が。
ドガッ!!
ブラックドラゴン社員
左足を引き抜いた勢いで、浄海が真上に蹴り上げ、弾き飛ばした。
暴漢の豪雨が収まり、浄海の足元で縮こまっていた桜と弥生は、ようやく立ち上がる。
元からゴーストタウンだったのか、近隣住民の騒ぎなどは聞こえてこない。
それだけに、満身創痍の男達がガラクタのように散らばり、なんの手当ても受けられずに放置される様は、より一層異様な雰囲気を醸し出していた。
シュタッ……
佐渡
部下達から大分遅れて、ビルからやや離れた所に佐渡が降り立つ。 恐らく落下の最中に、どこかに捕まって衝撃を和らげたのだろう。
佐渡
浄海入道
佐渡
佐渡は怒りを顕にしてバールを構える。
塗装が剥げ、金属がむき出しになった先端に、赤い汚れがこびりついている。
ドドドドド
騒々しい足音。 振り返ると、燃え盛る廃ビルから、ブラックドラゴンの社員達が次々と出てきた。
ブラックドラゴン社員A
ブラックドラゴン社員B
多くは爆発により歩くのがやっとというレベルで負傷しているが、軽傷の者は一様に敵意をたぎらせている。
浄海入道
拳の骨を鳴らしながら、浄海はビルの出口に向かっていく。
深山桜
全身の血管を、刺すような緊張感が流れていく。 桜は息を呑んだ。
ガクッ
息長姫子
佐渡
姫子が突如崩れ落ちた。 佐渡が怪訝な声を上げる。
息長姫子
そう言い残して、姫古は倒れ伏した。
その直後、桜の身体が動く。 物言わぬ塊と化した姫子の肉体を抱え上げ、
ブンッ!
遠くに放り投げた。 身体は宙を飛び、落下して折り重なっていた社員達の山に混ざる。
残った刀を拾い上げる。 ここまで、桜自身の意志は全く介入されていない。
弥生
深山桜
桜は口だけ動かす。 恐らく、今の身体に限界が来たのだろう。
即座に幽体離脱し、桜の身体を乗っ取ったのだ。
息長姫子
脳内で彼女の声が響く。 桜は他の人に聞こえない声量で、
深山桜
息長姫子
脳内で彼女の返事が聞こえる。 今まで無機質だった彼女の声が、少しだけ柔らかくなった気がした。
息長姫子
息長姫子
深山桜
ヒュッ──
斜め下から一閃。避ける暇なく
ザンッ!!
深山桜
弥生
左の脇腹に激痛。 すぐさま引き抜かれ、ブラウスに血が滲んでくる。
佐渡
桜の血の汚れを、バールを払って振り落とし、佐渡は叫ぶ。
息長姫子
深山桜
息長姫子
息長姫子
深山桜
息長姫子
脳内に優しい声が響く。 自信に満ちたその口ぶりを少しだけ疑問に思うものの、安心感の方が勝った。
深山桜
桜はしっかりと頷いた、その時、
弥生
まさかの、弥生が動いた。 左腕を大きく振り上げ、やや精彩に欠ける動きで佐渡に迫る。
バドガッ!!
彼女の攻撃は容易くいなされた。 拳が届く前に、佐渡が右足を弥生の腹部に叩き込む。 彼女は後ろに吹っ飛ぶ。
弥生
深山桜
地面を転がる彼女に、桜は駆け寄る。だが彼女は、
弥生
深山桜
佐渡
佐渡のうめき声。 見ると、弥生の攻撃など食らっていなかったはずなのに、右足の太ももの付け根を手で抑えている。
手の下から血がたらたらとにじむ。 漂ってきた硝煙の匂いに桜は気付いた。
深山桜
弥生
弥生は痛みをおして立ち上がる。学生服のスカートの右ポケットに、茶色く焦げた穴が開いていた。
ブランドによる合法の暴力に対抗するため、一昨年に銃規制が一部緩和された。
ただ、弥生が拳銃を身に着けていることは知らなかった。 彼女は左手で殴る振りをして、右手でふとももを撃ったということか。
息長姫子
深山桜
弥生
深山桜
弥生
脳内の姫子に諭され、桜は痛みに唸る弥生を残して、佐渡の方に駆け出す。
タッ──
深山桜
感じたことのない軽やかさに、逆に戸惑う。
どうして……すぐに分かった。 自分と姫子の行動が一致していたからだ。
深山桜
息長姫子
深山桜
桜は、いや、桜と姫子は、佐渡に対峙する。
浄海入道
バキィッ!!
ブラックドラゴン社員E
浄海入道
ドゴォッ!!
ブラックドラゴン社員F
浄海入道
グシャッ!!
ブラックドラゴン社員G
後方から、浄海の無双の証拠がひしひしと伝わってくる。
彼の奮闘に勇気を貰い……やっぱり若干怖い。
それでも桜は、逃げずに立ち向かう。
佐渡
佐渡
怨嗟の言葉を吐きながら、佐渡はバールを構える。
湧き上がる恐怖を振り払い、桜は刀を鞘から抜こうとする。
息長姫子
深山桜
柄を持つ手が、ピタリと止められた。
息長姫子
深山桜
ビュッ!
ギィン!!
深山桜
佐渡
佐渡が振るったバールを、桜が、いや姫子が瞬時に日本刀で受け止める。
息長姫子
息長姫子
息長姫子
ブンッ!!
桜の腕が果敢に動く。 佐渡の動かせない右足を狙う。
ギィン!!
だが、佐渡は二の矢もバールで防ぐ。 今度は弾くように。
曲がった先端が鳥のように舞い、桜の胸へと。
ガクン!
上半身が揺れる。 スウェーで避けた。
深山桜
姫子の意図が読めない。 なぜ刀を抜かない? なぜ狙いは顎?
深山桜
疑問を振り払う。 今は彼女を信じるだけだ。
ビュッ!
両腕が振るわれる。 佐渡の右足へ再び、短く鋭い──フェイント。 佐渡は引っかかり、バールを右足に沿わせる。
息長姫子
鞘の軌道がとんぼ返りした瞬間、脳内で声が響く。桜は力を込めた。
軽やかに動く。 円弧を描き、足から腹へ、そして顎へ、鞘の先端を、
ガシッ!
止まった。いや、止められた。 佐渡に左手で、悠々と。
ビシィッ!!
奴の右足が飛んだ。 桜の左腰に、安全靴がぶち当たる。
深山桜
鋭い痛みが走る。 桜は後ろに飛び、一旦距離を取る。
佐渡
深山桜
響く腰の痛みをこらえ、桜は刀を構える。
だが、息を合わせて振るった斬撃も、あの女には見えていた。 自分達の剣技は通用しそうにない。
深山桜
バン!!
銃声。弥生が佐渡に向けて、1発撃った。
バシィ!
銃弾は──握られた。 佐渡は左手で、弥生が撃った弾を握って止めた。 桜は神業に目を剥く。
弥生
佐渡
佐渡は手を開く。 赤く濡れた銃弾が落ちていく。 手のひらはえぐれたが、もう再生が始まっている。
右足の方も、早くしなければ完全にふさがってしまうだろう。 だがどうやって攻め立てれば。
深山桜
息長姫子
息長姫子
深山桜
浄海入道
ブオン!!
空を切る、というか割る、そんな轟音。
弥生
弥生が避けた所を、ブラックドラゴンの社員の1人がぶっ飛ぶ。 地面を転がり、ズズズズと佐渡の足元で止まる。
ブラックドラゴン社員
佐渡
ゴシャッ!!
ブラックドラゴン社員
佐渡は左足を掲げ、自分の部下の胸を、躊躇なく踏み砕いた。
桜がそれを見た瞬間、
深山桜
威勢をあげて突っ込んだ。 刀を右から鋭く振るう。
ギィン!!
バールで防がれる。百も承知──! 左に素早く切り替え、もう一度振るう。
ガンッ!! ガッ! ギンッ!!
闇雲に力任せに、とにかく全力で、桜は攻め立てる。
佐渡
佐渡は鼻で笑う。 桜の攻撃の全てを、最小限の動きで防ぎ続ける。
深山桜
嘲りを一蹴し、脳天へ刀を振り下ろす。
ガッ……!
真横に構えたバールに受け止められ、
ゴキィッ!!
深山桜
左の腰を再び蹴られる。 激痛が走り、本能で骨折を悟る。
それでもひるまない。 歯を食いしばり、全力で刀を押し付ける。
ギリギリギリ……!
深山桜
佐渡
佐渡は余裕を崩さない。 左足で部下を踏みつけたままという不安定な体勢でも、桜の全力に右手一本で綽々と対抗する。
佐渡
深山桜
佐渡は空いている左手を見せつけるように、固く握り込む。 そのままゆっくりと、頭の後ろまで振りかぶった。
ガクンッ
佐渡
佐渡の姿勢と、余裕が崩れた。
既に治りかけていた右足が、真下に引っ張られたのだ。
足首を掴んだ、ブラックドラゴンの社員──
彼に憑依した、姫子によって。
深山桜
あらん限りの声を上げて、桜は右足を振り上げた。
型も何もない。ただ全身全霊で。
予想外の妨害に、佐渡は反応できず、
ゴシャッ!!
馬鹿にしていたガキに、自らの顎を蹴り砕かれた。
佐渡
混乱と痛みが混じった叫び。 彼女はそのまま、地面に倒れた。
深山桜
刀を落として、桜は息をつく。
タッタッタッ
弥生
ガシャガシャガシャ
浄海入道
後ろから弥生と浄海が、
息長姫子
戻った姫子が脳内で、声をかけてくれた。
佐渡が自分の足元に転がってきた社員を踏みつけた時、桜に1つの作戦が浮かんだ。
深山桜
息長姫子
深山桜
深山桜
息長姫子
佐渡に聞かれないように小声で話し合い、計画を立てていたのだ。
いくら部下を蔑ろに扱ったとて、あの場で反撃されるとは夢にも思わない。 佐渡も下からの妨害には対処できないはずだ。
ただ、その隙も恐らく一瞬……。 その一瞬で、顎を攻撃できるか、賭けだった。
深山桜
桜はふうっと息をついて……
違和感に気付いた。
佐渡
佐渡は起き上がらない。 彼女も混乱しているのだ。
桜の蹴りにより、自分の顎が『砕かれた』ことに。
弥生
弥生も気付いたのか、にわかに焦り出す。
浄海入道
弥生
浄海入道
浄海は馬鹿っぽい動作で腕を組む。 彼は言われるまで気付かなかったらしい。
姫子から顎を狙うよう言われた時も、桜は疑問に思っていたのだ。
弥生の発言通り、脳を保護する為の強化骨格は、顎の骨にも全面的に施されている。
攻撃を加えた所で、なんの意味もないのではないか? 桜はそう思っていた。
だが結果は……彼女の蹴り一発で、見事に砕けた。
それはすなわち、佐渡の顎は、強化骨格への換装手術が行われていないということ。
これが示す事実は──。
佐渡
シュウウウウウ……
肉の醸造音。 砕けた顎が少しずつ再生しているのだ。
カツ カツ カツ
後方の足音に振り返る。 元の体……正確には、仮の身体に入った姫子がこちらに来ていた。
彼女は自分達の前に躍り出る。 いまだ混乱している佐渡を見下ろして、口を開く。
息長姫子
息長姫子
息長姫子
息長姫子
深山桜
姫子が告げた言葉に、桜は確信した。 目の前の女性は、本物の佐渡ではなく……。
息長姫子
息長姫子
佐渡の動きがぴたりと止まった。
姫子から告げられた事実を理解した瞬間、
シャアアアアアア……
盛大に漏らした。 アスファルトに染みが広がり、アンモニアの臭いが漂う。
佐渡
佐渡
威勢は崩れ去った。 涙を流しながら、彼女は必死に命乞いを始める。
浄海入道
泣きわめく佐渡……のクローンを他所に、浄海は舌打ちし、頭をガシャガシャとかきむしる。
浄海入道
息長姫子
浄海入道
浄海は右足を上げる。
佐渡
たったそれだけの動作で、彼女は震えて縮こまった。
浄海入道
浄海は佐渡の横を通り過ぎる。姫子がそれに続く。 しかし、桜と弥生は2人に続けなかった。
弥生
浄海入道
深山桜
佐渡
涙と鼻水で顔を汚しながら、彼女は必死にすがりつく。 先程まで殺し合っていたとはいえ、ここまで弱っている人を放っておくことはできなかった。
弥生
浄海入道
深山桜
桜と弥生は佐渡に近寄り、2人でゆっくりと起き上がらせる。
弥生
佐渡
大粒の涙をこぼしながら、佐渡はたどたどしくお礼を言う。 腰が抜けてしまったのか、もうまともに立つことも出来ない。
彼女に肩を貸しながら、桜と弥生はゆっくり歩き出した。
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