知らない方が幸せだった。
星夜と初めて会った日は冬ではなかったのに
目があった瞬間、鳥肌が立った。 危険だ、と直感的に思った。
オレは星夜が怖かった。母親も星夜と似たような雰囲気だったけど、なぜか星夜の方が怖かった。
蛇に睨まれた蛙、 蜘蛛の巣に引っかかった蝶、
___のような気持ちになる。 何に対しても興味無さそうな星夜に時々、だけど確実に補食動物のような気配を感じる。
高校2年になった今なら「その気配」も一言で言い表せる。 狂気。
何に対しても興味無さそうなのに、なんでも出来る星夜から オレは何度も狂気を感じた。
それはやっぱり、母親が殺人を犯したからなのだろうか。
まだオレが小学生の時だったと思う。
夜中、トイレに行きたくなり部屋を出たオレはリビングの電気が点いていることに気づいた。
こんな時間に誰だろう…と純粋に気になった。 頑張り屋のお兄ちゃんでも就寝しているのに。
トイレに行ったオレは、リビングに続くドアの前に忍び寄り聞き耳を立ててみた。 __お父さんと新しいお母さんの声が聞こえた。
「また花を買って来たのかい?」
「……だって明日は、命日だから」
「____空人たちに、君のことは話したのかい?」
「……いいえ、まだ…。空人くんたちは今難しい時期でしょう?」
「このことを知ったらきっと凄いショックを受けるわ」
「だから ある程度落ち着いて受け止めてくれる年齢になったら……大学受験を終えたら……って考えてるんだけど_」
「でも信じて。私はいつか絶対空人くんたちにも私のことを話すから。先に空人くんたちが知ってしまったら隠し立てするつもりもない」
「こんな私を家族の一員と認めてくれた貴方たちには とても感謝してる」
命日…?私のこと…? ショックを受ける……?
いつも明るいお父さんも しんみりとした空気を出してる。 オレたちが知らないことをお父さんは知ってる……?
………よく分からないけど聞いてはいけないことを耳にしたらしい。聞かなかったフリをして さっさと部屋に戻ろう__
そう思い踵を返したその時
星夜
藤村 海人
星夜が立っていた。
ナイフのような瞳がオレを捉えている。 後退りしようとしたが後ろはドアだ。背中を強打した。
その音でオレたちがいることに気づいたお父さんが、リビングのドアを開けて どうしたのか聞いて来た。
「なんでもない」と掠れた声で返事し部屋に逃げ帰った。
「命日ってなんのこと?」と尋ねることが出来なかったのは、星夜の視線から1秒でも早く逃れたかったからだ。
翌朝になってもオレは命日について尋ねなかった。 新しいお母さんの言う、「落ち着いて受け止めてくれる日」を待つことにした。
___と言ったら聞こえはいいかもしれない。 星夜同様、新しいお母さんとあまり関わりたくないと言うのが本音だ。
と言うか出来れば そんな日は迎えたくない。 星夜達には出て行って欲しかった。
だからお兄ちゃんと一緒に嫌がらせを繰り返した。 「嫌がらせを受けている」とママに報告する、
あるいはママが嫌がらせを受けていることに気づくとかして 星夜を連れて出て行って欲しかった。
なのに。 読みかけの本をパレット代わりにしても 私物を全部窓から投げ捨てても
全く効かない。眉1つ動かさず淡々と後処理をする。
その様が余計にお兄ちゃんを苛立たせオレの恐怖を煽る。
不死身のゾンビ兵を相手にしてるような気分だ。 怖い。
あの手この手で星夜を追い出そうとしているうちに命日のことは頭から抜け落ちた。
オレが再び それを思い出したのは、高校2年になる春休み。今から半年前のことだ。
オレは町で、花を買っている新しいお母さんを目撃した。
なんとなく悲痛な面持ちだった。 ___これは星夜を追い出す材料に使えないだろうか
そんな軽い気持ちで新しいお母さんの跡をつけてみたオレは愕然とした。
新しいお母さんが向かったのは墓地だった。 その中の1つの墓の前で花を備え、何か呟いている。
新しいお母さんの唇が「ごめんなさい」の形に動いていると判明した時、頭の中で全てのピースが1つの像になった。
花、墓、命日、凄いショックを受けること……… まさか…まさかまさか
オレはその日の日付をネットで検索し、さらには図書館にまで足を運び当時の新聞を手に入れた。
わかったことは
新しいお母さんの言う「命日」、男が1人古い倉庫内で火災に遭って死亡したこと。 煙草の不始末による事故だと判断されたこと。
紙面の隅の方に1度だけ載った程度の事件だったがオレには充分すぎた。
新しいお母さんは殺人を犯している。星夜は殺人犯の息子なんだ!
ナイフのような瞳、何をしても無表情を貫いているけど確かに感じる狂気。
オレは星夜が怖かった。殺人を犯した母親より怖かった。
オレは殺人犯の息子と暮らしている。 怖い。嫌だ。
一緒に暮らしたくない。 怖い怖い怖い怖い
怖い。 __そして あの事件が起きた。
今なんて言った? 火をつけた?
オレたちは閉じ込められてるのに、そんなことをしたら焼け死ぬじゃないか。嫌だ。
死にたくない。死にたくない。 どうしてオレがこんな目に逢わないといけないんだ。
藤村 海人
必死にドアを叩いて叫んでも星夜から反応は無い。 ……こんなことをしている間にも火の勢いはどんどん強くなるんだろうな
嫌だ。 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ
藤村 海人
藤村 海人
藤村 海人
藤村 海人
藤村 海人
死にたくない一心で言葉を重ねるオレの肩に お兄ちゃんの手が置かれた。
途中で言葉を切ったのは 鬼のような形相でオレを睨んでいたからだ。
藤村 空人
藤村 空人
藤村 空人
オレの肩に置かれたお兄ちゃんの手が ぶるぶると震えている。爪が皮膚に食い込んだ。
____この状況で何を言っているんだろう。誰のせいでこんなことになってると思ってるんだろう。
___オレはただ1つの事実を教えただけ。提案したのも実行したのもお兄ちゃんだ。
むしろ「そこまでする必要があるのか」と思ったくらいだ。 どうしてオレも裁かれないといけない。
あの家で、お兄ちゃんはもう一番じゃなくなった。それだけのことなのに
どうして認めようとしない。その虚栄心がこの状況を招いているのに。
オレがお兄ちゃんの全てを肯定していたのは、お兄ちゃんが一番だったからだ。一番だったお兄ちゃんは本当にすごいと思っていた。
でも今は…… 一番だった過去にすがる ただの人。いや、やばい人。
オレはお兄ちゃんの手を振り払った。
藤村 海人
藤村 海人
藤村 海人
藤村 海人
藤村 空人
暗い廃墟内にお兄ちゃんの絶叫が木霊(こだま)した。 ___と感じた次の瞬間、オレの足は地面から離れていた。
埃や砂でザラザラした床の感触を背中で感じる。 押し倒されたオレの上にお兄ちゃんが馬乗りになった。
お兄ちゃんが両手でオレの首を絞める。 お兄ちゃんの親指が首の骨を圧迫する。
藤村 海人
息が出来ない。 必死でお兄ちゃんの手を剥がそうとするが 接着されたかのように離れない。
瞳孔が開き荒い呼吸を繰り返すお兄ちゃんの顔がすぐ近くにある。
藤村 空人
藤村 空人
藤村 空人
藤村 空人
藤村 空人
藤村 空人
お兄ちゃんの目から涙が零れた__ように見えたのはオレの目が濡れているからだろうか。
怖い。怖い。 オレはずっと怯えている。何に?
星夜に対してだけ怯えているのなら、今この瞬間の「怖い」は何だ。
死への恐怖?違う。 狂気。
星夜の本をパレット代わりにした時。 オレも本当は青い絵の具を使いたかった。
口に出さなかったのは、 青い絵の具を塗りたくるお兄ちゃんの顔に 少しだけ鳥肌が立ったから。 狂気。
結局オレが選んだのは黄色の絵の具。 迎合した黄色の絵の具。
霞む視界に、何故かその黄色が広がっていく。
____どうしてこんなことになったんだろう。
お兄ちゃんが星夜の提案を呑まなければ。 お兄ちゃんが火をつけなければ。
オレが教えなければ。 星夜が殺人犯の息子だって
知らない方が幸せだった。
___ドアが開き星夜が入って来た。
頭上から星夜の声が降って来た。と、同時に首も解放された。
激しく咳込むオレと呆けているお兄ちゃんを順番に眺めて 星夜は可笑しそうに笑った。
星夜が笑みをたたえたまま、オレの下半身を顎で示した。
オレの股の間に大きな染みが出来ていた。
怖い。
また星夜がこの家に戻って来る。お兄ちゃんが嫉妬する。 怖い。
オレは一生怯えて生きていくのか。 どうしてオレだけがこんな思いをしないといけない。
火をつけたのはお兄ちゃんだ。 星夜とよく遊んでいた風人だってあの場にいた。
……よく考えたら風人の方が重罪じゃないか。星夜を裏切った形になるんだぞ。
なのに電話1本で済むなんて…………まさかその電話でオレたちを売った?
ふざけんな。ふざけんな。オレまで巻き込んでじゃねぇよ。
怒りに突き動かされるままノックもせずに風人の部屋に入ったオレは その場に立ち尽くした。
学校に通い始めた風人は いつも一番最後に家を出る。 何の準備に時間がかかっているのか気になっていた。
大量の包帯が散乱していた。
藤村 風人
そう言う風人の顔にも包帯が巻かれていた。 星夜と同じように、全身を包帯で覆っていた。
コスプレだとしたら趣味が悪い。 冗談だったら笑えない。
藤村 海人
掠れた声を出すのがやっとなオレを一瞥し、風人は慣れた様子で包帯を外していく。
藤村 風人
藤村 風人
風人の包帯が全部外れた。どこも怪我はしていない。 まっすぐにオレを見た。
藤村 風人