四月
出会いと別れの季節なんて言われる季節
確かに小学生から中学生に、中学生から高校生に、高校生から大学生や専門学生なんなら社会人にとなり
新たな環境下に放り出される
そのため今までの”日常”は無くなり、仲の良かった友人とも別れたりする
かと思えば、新たな環境下で気の合う仲間を見つけられる事もある
これを出会いと別れの季節というのは大変よくわかる
が、正直なところ俺はそんなものどうでもいいのである
いつからか考え方が達観しているのか出会いと別れなんてものにそんなに感情は揺れ動かないのだ
そりゃ生きてりゃ別れも出会いもあるだろうよ?
そのふたつがよく起きるのが四月だってのも分かるし、他の人間もそれは理解してるだろう
にもかかわらず、その事象に対して悲しい嬉しいの感情を見せるのが分かんない
こんなことを心の中でつぶやく俺は今絶賛高校の入学式の真っ最中
テンプレと思わしき言葉を並べていく校長の長い話を立った状態で聞いてる生徒たち
大半の人は聞いてないし、実際俺もほっとんど聞いてない
俺以上に話を聞いてない生徒らは結構いる
自分のクラスの人間たちをチラチラ見てどんな奴がいるか偵察してる奴
恐らく中学時代の同級生が近くにいてその子と話してたりする奴もいる
かく言う俺はこの虚空な時間が過ぎることを願い続ける哀れな男ではある
とりあえずまた心の中で独り言を呟きながらこの時間が過ぎるのを待とう
入学式を終え担任になった人と共にクラスにと入る
その後教卓に席順が書かれた紙が置かれ、クラスの奴らは群がってそれを確認し自分の座席にと座る
人混みが苦手なので俺はその光景を後ろから眺めて、人が減ったのを確認し座席表を見てその場所に行き席に着く
幸いなことに俺の席は窓際の1番後ろ
居眠りしようが早弁しようが気付かれにくいこの位置
欠点をあげるなら俺の視力がそれほど良くないので黒板の文字は見えにくいことくらいだろう
しかしまぁ、デメリットよりもメリットの方が大きいからさして問題はない 今のところは……
と、言うのも俺の経験に基づくジンクス的に窓際の角に座ると隣はろくな奴ではないということだ
小中と何度か経験しその隣はアホみたいに騒ぐ男児とか
いわゆる一軍娘の一角で俺の席すらも勝手に使われる事もあった
これが俺の経験上たたき出した事実である。ちなみに小中計9年の中で今あげた2つのケースの数で言うと
少なく見積っても10回以上はあるだろう
こればっかりはガチャみたいなもので決められることではないため
神様に心から祈るしかできない
現時点では隣はまだ来てないから、新たなパターンの空席の可能性が出てきている
頼む!このまま隣は空席になってくれ!
ジンクス的に隣に人が来られるとうるさいヤツで俺のストレスになるから
頼む!隣に人は来ないでくれ!!
担任
担任
担任
担任
担任
生徒
担任
生徒
担任
名前呼びが始まったが隣がいないということは……
これはほぼ確実に俺の隣はいないということになる
高校生になり始めて平和な日常が送れるかもしれない
ようやく俺はゆっくりと自分時間を獲得出来るということか…
これほど嬉しいことは無い
かなりいいスタートダッシュを切れたのではないか?
今年はいい年になりそうだ
担任
京香
京香
手前の扉を勢いよく開けて元気よく遅刻報告する輩が現れた…
しかもわかりやすいギャルとか言われるタイプの人間
担任
京香
京香
担任
京香
担任
京香
担任
担任
担任
京香
京香
担任
京香
京香
京香
ん?緑川の隣?
緑川って俺と同じ苗字だな……
しかも隣空いてるのも一致してるなぁ…
あれ?これはそういうことでは?
京香
京香
京香
京香
やっぱりそうだよなぁ……
俺の平穏な生活数十秒で消えたんだけど
京香
京香
京香
翔太
翔太
翔太
京香
翔太
京香
京香
翔太
京香
京香
翔太
翔太
京香
京香
翔太
京香
京香
翔太
翔太
京香
翔太
京香
翔太
こうして小中に続き高校でも平穏な生活は送れなくなる翔太であった
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