「始まり」ははっきりと覚えている。 1年の梅雨明けだった。
席を立とうとしたら近くを通った人と肩がぶつかった。
大袈裟な悲鳴と共にその人はぶつかった箇所を汚い物を拭(ぬぐ)い取るかのように さすって別の人に触れた。
「菌が付いた。あげる」 「うわ、やめろってお前」 「逃げろ。性欲モンスターになるぞ」
あの時から僕は鬼ごっこの鬼になった。 嫌われて退治される鬼。
机に花瓶が置かれてたり、授業中に消しカスの的になったり。
逃げられて笑われて叩かれて押されて避けられて殴られて蹴られて____受け身、受け身、受け身。
エタノールを染み込ませた雑巾を握った手で、菌が付いているらしい手で、涙を拭いすぎた手で
僕から人に触れることは無いのかもしれない___のぞみさんと出会う前は結構本気でそう思ってたけど
初めてのぞみさんの家に上がった時、昔を思い出して涙を流したのぞみさんに、自分から触れていた。
受け身じゃなくて自分から触れた指先は凄く温かかった。 こんな人と ずっと一緒にいられたら…心からそう思った。
のぞみさんの家が唯一の居場所になって、のぞみさんの彼氏になって 時々、本当に時々想像する。
漫画とかドラマで絶対出て来るシチュエーション。 ___手を繋ぐ。腕を組む。とか
キスとか
時々、本当に時々だけど。 漫画とかドラマで そんなシーンが出て来ると、僕とのぞみさんを重ねてしまうのは
皆の言う「性欲モンスター」なのかな。
気持ち悪い?
「ファーストキスは貸し切りのシンデレラ城で……って言う夢はありました❤」
「私は豪華客船貸し切りです❤」
「貸し切りばっかり やないか!」
「はしゃぐ!さかな御殿」。 様々なゲストを招いてのトーク番組。
今回は 既婚芸能人と独身芸能人がグループに分かれてベテランの司会者とトークを繰り広げている。
塾から帰って来た僕は夜ご飯を食べながら ぼんやりとテレビを見てたんだけど
話題がファーストキスになったあたりから食事の手が止まった。
キスとか何とかに思いを馳せているうちにCMになった。
___まだ こういうことを考えるのは早いのかもしれない。
そう結論付けて冷めてしまった白ご飯を口に運んだけど、なんかモヤモヤする。
___「まだ早い」って充分破滅フラグ…。 もそもそ とご飯を食べていると、スマホ片手にお母さんが来た。
お母さんは一瞬だけ僕を見てすぐにスマホに視線を落とした。
鳴沢真由子
柚月
柚月
僕の顔は見てなかったけど、以前は「おかえり」なんて言葉は かけてくれなかった。
お母さんも変わった。
真昼なのにカーテンを閉めきって僕を追い出すことは無くなった。
「大人のアソビ」で杜撰(ずさん)になった家事も ちゃんとやってくれるようになった。
同級生のお母さん達にも壁を作らなくなった。特に孝太君のお母さんとはよく話すらしい。
何より お父さんの言いなりにならなくなった。
前のお父さんの時も今のお父さんの時も、ひたすら顔色を窺ってお父さんに合わせてたけど
今はちゃんと「自分」と言う物を持ってる____そう感じた。
事務的な会話がほとんどで、態度も声も素っ気ないけど 居心地が悪いとは思わない。
静かなリビングにテレビの音だけが流れていて、また「キス」とかそんな単語が聞こえて来た。
女性ゲストが語る「憧れのファーストキス」はどんどん壮大になっていって現実味が薄れていく。 今度は食事の手も止まらなかった。
白ご飯の最後の1口を口に運んで、噛んで、
鳴沢真由子
むせた。
お母さんがスマホを弄ったまま言った。
テレビの話題は変わってないので、何のことを聞いているのかすぐ分かった。 _____顔が熱くなった。
柚月
僕の言葉が聞こえていたかのように、女性ゲストのボルテージが大きくなった。
「女はいつでも乙女になれるんですから夢くらい見ますよ」
「シンデレラ城でキスしたい、とかそんなことが非現実的だってことも分かってます」
「実現させろって言ってるわけじゃないんです。女はいつでも乙女になれるってことを知って欲しいんですよ」
「___だからまぁ平たく言えば」
「キスは男からして欲しい❤」
「どこをどう平たく言ってん…」
その日の夜はいろいろ考えてしまって眠れなくなった。
山川のぞみ
山川のぞみ
柚月
山川のぞみ
山川のぞみ
山川のぞみ
山川のぞみ
山川のぞみ
柚月
山川のぞみ
雨と風が窓を強く叩いている。
暗闇の中では それが一段と大きく聞こえて何かの唸り声のように感じる。
一瞬だけ見てしまったホラー映画の予告を思い出してしまった。 …怖いとかじゃないんだけど。
柚月
山川のぞみ
山川のぞみ
山川のぞみ
山川のぞみ
山川のぞみ
山川のぞみ
山川のぞみ
山川のぞみ
柚月
山川のぞみ
山川のぞみ
柚月
僕は さらにのぞみさんとの距離を詰めると、ホラー映画の予告と「メリーさん」を頑張って記憶から抹消した。
僕が頑張っている間は沈黙が出来た。 のぞみさんが恐る恐ると言う風に声を出した。
山川のぞみ
柚月
柚月
柚月
柚月
山川のぞみ
柚月
山川のぞみ
柚月
山川のぞみ
柚月
柚月
柚月
山川のぞみ
山川のぞみ
柚月
山川のぞみ
柚月
山川のぞみ
柚月
柚月
山川のぞみ
山川のぞみ
柚月
山川のぞみ
山川のぞみ
柚月
山川のぞみ
山川のぞみ
柚月
山川のぞみ
山川のぞみ
山川のぞみ
柚月
柚月
山川のぞみ
柚月
柚月
山川のぞみ
山川のぞみ
山川のぞみ
山川のぞみ
柚月
山川のぞみ
柚月
山川のぞみ
柚月
山川のぞみ
柚月
山川のぞみ
山川のぞみ
柚月
山川のぞみ
柚月
柚月
山川のぞみ
自分から人に触れることは無いのかもしれない___そう思ってたけど
背中を撫でたり腕を組んだり抱きあったり…気がつけば手の平はとても温かくなっていた。
だから
だから昨日の「さかな御殿」を思い出した。
柚月
柚月
山川のぞみ
どんなに輝いていて沢山あっても過去の話はいずれ尽きる。 だから前に進まないといけない。
柚月
柚月
山川のぞみ
のぞみさんがどんな顔をしているか分からない。 のぞみさんの問いには答えずに
のぞみさんの正面に移動した。
のぞみさんの戸惑ったような声が正面から聞こえて来た。
山川のぞみ
電気が点いた。
すぐ近くにのぞみさんの顔があった。 僕はのぞみさんの両肩に手を置いた。
柚月
山川のぞみ
のぞみさんの頬は赤く染まっていて、声も細くなっている。
のぞみさんから目を離さずに、身を乗り出した。のぞみさんの顔がさらに近くなった。
のぞみさんが小さく息を吸い込んだ。それでも声を発することはなく、僕を押し返すこともなかった。
震えた息を吐き出すと、のぞみさんは目を閉じた。
「キスは男からして欲しい❤」 昨日の「さかな御殿」が心音と同じくらい大音量で響いた。
山川のぞみ
柚月
山川のぞみ
山川のぞみ
柚月
柚月
結局未遂になった。
僕だけ顔を赤くしてのぞみさんの顔を直視出来ないと言う中途半端な結果になったけど
ずっと受け身だった僕にしては かなり頑張った……って言っていいかな。
山川のぞみ
柚月
柚月
お母さんの露骨に面倒くさそうな ため息に気を遣って
僕から話しかけることはない……なかったけど
今日は事情がある。
柚月
柚月
面倒臭そうなため息は、聞こえなかった。 お母さんは僕を一瞥してスマホに視線を落とした。
鳴沢真由子
鳴沢真由子
鳴沢真由子
柚月
僕はすぐに 今日が楽しかったことと、日曜日の許可を貰えたことと、日曜日が楽しみなことをラインで送った。
パンダとパンダが抱きあってるスタンプも送った。
なんて返事が来るかな。
僕を受け入れてくれて、素でいられて、ずっと一緒にいたいって心から思って、たくさんの幸せをくれた
僕の隣にいるのは 年上のお姉さん。
胸を張って言える
僕の彼女。
コメント
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中坊にはこれが限界だと思う(笑)
柚月母いきなり何をwww