サラリーマンの湯川が、安藤と名乗る私立探偵に声をかけられたのは、もう年の瀬が迫った十二月のある日、会社帰りのことだった。
安藤
ある人から、身元調査を依頼されたのです

ふつう身元調査というものは、本人に悟られないように、こっそりやるものなのではないだろうか。
それを自分が探偵であることを明かした上で、身元を調べさせてほしいという。
湯川
ずいぶんと変わったやり方ですね

安藤
ええ、まぁ。でも、湯川さんのように、立派な会社にお勤めの優秀な方な場合には、むしろご本人に直接うかがってしまったほうが、手っ取り早いケースも多いのですよ

安藤
もちろんお時間は取らせません。お家にうかがうまでもありませんし、ちょうどこの先に私の事務所もありますから、その道すがらでお話をお聞かせください

湯川
分かりました。で、私の何をお知りになりたいのです?

安藤
逆に、お心あたりは?

湯川
さて、なんだろう。探偵といえば、結婚相手の素行を調べたりするそうですが、私に後ろめたいことなど、何もないですよ。

安藤
存じております。あなたと奥様のことも。ただし、あなた方は、まだ籍は入れておられない。つまり内縁関係ですよね

この男、よく調べている。湯川はわずかに警戒を強めつつ、あえて笑った。
湯川
あなたはなかなか優秀な探偵のようですね。たしかに私と妻は、まだ正式に結婚していません。依頼人は、妻の実家の誰かですか?

安藤
いやはや、あなたは鋭いですな。しかし私には守秘義務があって、そこをはっきりと口に出して申し上げるわけにはいかないのです。なにとぞ、ご理解ください

この言い方では、依頼人が妻の実家の誰かだと明かしているようなものだ。