テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
月村冬美
廊下の壁に背を預け、誰に聞かせるでもなく独りごちた。
まさか修学旅行で、こんな三流パニック映画みたいな事態に巻き込まれるなんて、予想だにしなかった。
月村冬美
正直、今のこのクラスには何の未練もない。気の合う友達なんて皆無だし、視界に入るだけで虫唾が走るような人間ばかりが集まっている掃き溜めだ。
本来なら今頃、他のクラスの連中は華やかな旅館に着いて、温泉だの食事だのと浮かれているはずだ。
それに引き換え、私たちはこんなカビ臭い古民家に缶詰状態。不運にも程がある。
香川真由美
月村冬美
リボンでポニーテールを束ねた少女、香川真由美だ。
彼女はこのクラスの学級委員長。成績優秀、品行方正。クラスのみんなが頼りにする「いい子」だ。
決して悪い子ではないのだが、どうにも私は彼女が苦手だった。彼女の言動の端々から、「面倒見のいい委員長」という役を演じているような、一種の作為を感じてしまうからだ。
香川真由美
月村冬美
事実を淡々と告げる。集団行動の煩わしさより、そっちの方を選んだだけだ。
香川真由美
月村冬美
香川真由美
月村冬美
こういうところだ。この無駄なお節介焼きが、どうにも肌に合わない。
香川真由美
「委員長として」、ね……。責任感が強いのは結構だが、その肩書きを盾にした優しさは、私には建前にしか聞こえない。
……まあ、私みたいな冷え切った人間よりは、社会的にはずっとマシな存在なんだろうけど。
香川真由美
月村冬美
つい強い口調で遮ってしまった。さっき瀬崎にも同じことを聞かれたばかりで、うんざりしていたのだ。
香川真由美
香川は少し驚いたように目を瞬かせ、それから気まずそうに微笑んで立ち去っていった。
遠ざかる背中を見送りながら、私はため息をした。彼女にではない。自分自身に対してだ。
月村冬美
苛立ちに任せて八つ当たりをするなんて、子供じみている。
私のこういうところが周りから人を遠ざけるのだということは分かっている。分かっているけれど、直せない。
月村冬美
誰にも届かない謝罪をポツリとこぼし、私は逃げるように自分の部屋へと足を向けた。
古びた襖を滑らせると、そこには予想通りの、そして最悪の光景が広がっていた。
月村冬美
部屋の空気は、湿気とは別の種類の不快さで淀んでいた。
畳の上に乱雑に荷物を広げ、手鏡を覗き込みながら大声で愚痴をこぼしている二人の女子生徒。根岸彩乃(ねぎし あやの)と、その腰巾着の飯塚詩織(いいづか しおり)だ。
飯塚詩織
飯塚詩織
飯塚がスカートの裾を摘まみ上げ、ヒステリックに声を荒げる。
根岸彩乃
根岸彩乃
飯塚詩織
根岸が髪をタオルで乱暴に拭きながら言い、飯塚もそれに同調する。その甲高い声は聞いているだけで鼓膜をやすりで削られるようだ。
月村冬美
私は荷物を部屋の隅に置きながら、心の中で毒づいた。
今回の修学旅行、私たちのクラスのバスが最後尾を走っていたのは単なる不運だ。それに、土砂崩れなんて誰にも予測できるわけがない。
むしろ、あの状況で即座に機転を利かせ、安全な(と信じたいが)場所まで連れてきてくれた運転手に感謝こそすれ、文句を言う筋合いなんてないはずだ。
自分たちが世界の中心だとでも思っているのだろうか。
月村冬美
壁にもたれかかり、深いため息をついた時だった。ふと、視界の端で根岸がこちらを見たのが分かった。
根岸彩乃
月村冬美
根岸彩乃
根岸の口元が意地悪く歪む。それに呼応するように、飯塚もニヤニヤと笑い出した。
飯塚詩織
月村冬美
この二人は、事あるごとに私に因縁をつけてくる。自分たちのノリに合わせない人間が気に入らないのか、あるいは単に私が気に入らないのか。
男子の浅木や新堂といい、この根岸や飯塚といい、このクラスには他人の神経を逆撫でする天才が多すぎる。
月村冬美
私は努めて冷静に冷たく言い放った。感情を表に出せば彼女たちのオモチャになるだけだ。
根岸彩乃
飯塚詩織
二人は興味を失ったように、再び自分たちの化粧直しに戻った。
ここにこれ以上いたら、私がどうにかなってしまいそうだ……。
月村冬美
誰に言うともなく吐き捨て、私は部屋を出た。
背後で「感じわっるー」という声が聞こえたが、無視して襖を閉める。
速水優奈
蚊の鳴くような細い声。速水優奈(はやみ ゆうな)だ。
彼女は極度の臆病で、いつも何かに怯えているような小動物のような子だ。正直、このクラスで一番会話が成立しにくいタイプと言っていい。
香川真由美
その隣には、予想通り香川麻由美がいた。 聖母のような慈愛に満ちた微笑み。学校でもよく見る光景だ。
弱々しい速水さんと、それを甲斐甲斐しく世話する香川さん。
香川さんにとって、速水さんは自分の「優しさ」をアピールするための格好の相手なのかもしれない……なんて考えるのは、私の性格が歪んでいるからだろうか。
速水優奈
私の姿に気づいた速水さんが、驚いたように目を丸くする。
月村冬美
香川真由美
速水優奈
月村冬美
会話が続かない。
私も速水さんも、自分から積極的に話題を提供するタイプではない。その上、香川さんもあえて沈黙を守っている。
気まずい空気が、廊下の湿気と共に重くのしかかる。
速水優奈
珍しく、速水さんの方から話を振ってきた。おどおどとしてはいるが、純粋な気遣いが感じられる。
月村冬美
答えようとした、その時だった。
香川真由美
香川さんが、私の言葉を遮るようにやや食い気味に言った。その声には普段の穏やかさとは裏腹な、微かな棘が含まれていた。
……やっぱり、さっき私が邪険にしたことを根に持っているらしい。
月村冬美
速水優奈
香川真由美
だめだ……。やっぱり速水さんはどうも苦手だし、今の香川さんとは気まずい。
この空間にこれ以上いるのは精神衛生上よくない。
月村冬美
これ以上拗れるのは面倒なので、とりあえず大人の対応として謝罪だけは口にしておく。
香川真由美
速水優奈
速水さんの小さな声を背に受けながら、私はその場を後にした。
結局、どこに行っても居心地が悪いことには変わりないらしい。
月村冬美
廊下の突き当たりで足を止め、私は息を吐いた。行くあてなんて、最初からどこにもなかったのだ。
男子部屋の方へ行こうかとも一瞬考えたが、すぐに打ち消した。あっちには浅木や新堂といった、さらに質の悪い連中がいる。彼らと顔を合わせるくらいなら、根岸たちの嫌味を聞き流している方がまだマシだ。
究極の二択だが、背に腹は代えられない。
踵を返し、来た道を戻る。自分の割り当てられた部屋の前で一瞬ためらったが、意を決して襖を開けた。
月村冬美
小さく呟いて中に入ると、根岸と飯塚はまだ何やら盛り上がっていた。
私の方を一瞥したが、興味なさげにすぐに視線を戻す。
むしろ好都合だ。私は部屋の隅、自分の荷物が置いてある場所へと無言で戻り、膝を抱えて座り込んだ。
月村冬美
雨に濡れた制服は生乾きで、肌にまとわりつく感触が不快だった。
それに加えて、窓の外からは絶え間なく雨音が響いている。
土砂崩れ。通行止め。孤立した集落。いつ帰れるのか分からないという現状が、ボディブローのようにじわじわと精神を削っていく。
月村冬美
首を振って、悪い想像を振り払う。
もしかしたら、案外すぐに道路が復旧して、助けが来るのかもしれない。明日の朝にはバスが動き出し、「大変だったね」なんて笑いながら修学旅行が再開するのかもしれない。
そうであってほしい、と願う自分がいる。
月村冬美
私は荷物を枕代わりにして、畳の上に横になった。
もし何かあった時のために、あるいは明日すぐに動けるように、今は体を休めておいたほうがいい。
根岸たちの甲高い笑い声をBGMに、私は強引に目を閉じた。
意識の奥底で、泥のような不安が渦巻いているのを感じながら。