十年前の夏休み。
七歳だった俺、倉敷柚子葉は、東京郊外にある薬王院での参拝の帰り道、参道で出会った赤鬼に霊魂を奪われた。
それから十年が経った十七歳になる夏休み。俺は再び田舎のお祖父ちゃんの家に遊びに行く。
そこで陰陽師に襲われ、小鬼に襲われ消えたはずの片思い相手 "志恩"と再会する。
東京郊外にある"八童子市"の各所に出没する妖怪を退治しつつ、志恩と協力して葉月兄さんを探していく。
倉敷家に代々受け継がれる "七度返りの宝刀" を巡る戦いが、現代と平安時代を交差して始まる。
柚子葉
夏は嫌いだ。 夢から覚めた俺は、そう思った。
柚子葉
エアコンが効いていたバスの車内は、極楽浄土と言っても過言ではない。
ガラス窓の縁に肘を置き、車内から外の景色を見下ろす。
寝ているうちに、窓から見える景色は、建物が並んだ都会的な景色から、田んぼや畑が耕された質朴な風景へと変わっていた。
ふと、窓ガラスの縁へと目がいった。
柚子葉
そこには、バスに振り落とされないように、必死なセミの姿があった。
窓ガラスに張り付いていたセミは、車内まで聞こえるほど、ジリジリと鳴いている。
柚子葉
ドンっという音と共に窓ガラスを叩く
それでもセミは窓ガラスに張り付いたままだった。
壁ドンによって興奮したセミは、先ほどよりも大きな声で鳴き始めた。
鬱陶しいセミから意識をそらす為、車内の前方へと視線を送る。
柚子葉
柚子葉
柚子葉
被っていた大きな麦わら帽子を、誰もいない席に置く。
両足を大きく開いて呟く
柚子葉
車内のエアコンの音に掻き消される俺の声。 一人だから言えた発言。 運転手しか居ないから言えた言葉だった。
バスの車内に、到着の予告をするチャイムが鳴る。
運転手
等と車内アナウンスが流れる。
柚子葉
都内の自宅から電車で一時間。
最寄駅から発車されるバスを待つのに三〇分。
始発のバス停から終点のバス停まで一時間。
計二時間半の長旅を終えた俺は、うんざりしていた。
柚子葉
抱き抱えていたリュックサックに手を突っ込む。
空のペットボトルやアイスの包装紙が目に入り、夏休みの宿題が姿を現し、プラスチックの筆箱が頭を出していた
これでもかと言わんばかりにリュックを探り続け、やっとの思いで財布を探ることができた。
手探りでリュックから抜き取った財布は、包装紙に付いていたアイスでベトベトになっていた。
柚子葉
俺はさりげなく、椅子に汚れた手を擦り付ける。
柚子葉
誰もバスに乗ってないから出来た事だ
目的地に到着したバスは、折り返し地点の敷地に入って停車
乗車席の後方を振り返る運転手と目が合った。
柚子葉
慌てて運転席の方へと駆け寄る。
エアコンが効いていたのに、窓に反射した俺の顔は真っ赤だった。
柚子葉
運転手
こちらを睨みつける運転手が目に入る
頭を抱えていた運転手は、眉間に小皺を寄せながら腕を組み始めた。
運転手
面倒ごとは避けたい。そう思った俺は、そそくさとバスから降りようとする
柚子葉
ベトベトの手のひらをジャージのズボンに擦り付ける。
それを見ていた運転手は、ペットボトルとハンカチを差し出してきた。
運転手
柚子葉
飲み口に封がされているのを確認して受け取る。
親切にされたら"ありがとう"と言うのを忘れないように。と、亡き母に言われた事を咄嗟に思い出す
柚子葉
去り際に小さく呟く。 生ぬるいポカリを手に持ってバスから降りた。
バスから降りて外に出た途端、強い陽射しと生温い風に包まれ、一気に夏の暑さに引き戻された。
プシュー、と扉が閉まりバスは動き出す
柚子葉
短パンのジャージと長袖のジャージのポケットを探り、忘れ物がないか確認
柚子葉
バスに張り付くセミの鳴き声に気づき、車内に忘れ物をした事を思い出す
柚子葉
動き出したバスに目掛けて手を振る。 バスの運転手は手を振り返してくれた
柚子葉
バスの運転席の窓から手を振り続ける運転手。 バスに手を振り続けるマヌケな俺。
柚子葉
柚子葉
そんな無駄な事を思いながら空を見上げる
そこには、雲1つない空がどこまでも広がっていた
真夏の太陽の光が、黒いアスファルトを照りつける
砂利道や日差しで乾ききった歩道に目を向ける。 視線の先には一羽のカラスがいた。
動けなくなった鴉を持ち上げ、日陰に置いてあげる。
柚子葉
柚子葉
柚子葉
くちばしを大きく開けるカラスに、ポカリを与える。
鴉は元気になったらしく、大空に飛んでいった。
柚子葉
という母の言葉を思い出し、砂利道に目を向ける。
柚子葉
バス停から五分ほど、目的地に向かって歩く。
道路のカーブに沿うように建てられた建物に目を向ける。目印となる小学校の前に着く。
上下ジャージ姿だった俺は、上着のジャージを脱いで腰に巻き付ける。
その時。小学校の敷地内から子供達の声が聞こえた。
敷地内のプールの柵越しに、こちらを覗き見る小学生の男女。 歩道を歩き続ける俺に向かって叫びはじめた。
小学生1
小学生2
小学生3
柚子葉
この町では目立ちたくなかった。 だから、俺は言い返すのをグッと堪える。
金髪を隠す麦わら帽子を置き忘れた以上、しょうがなかった。
持っていたポカリを飲み干し、それからまた五分ほど歩く。
既視感のある緑の看板が目印の建物が目に入る。
柚子葉
無駄に広い駐車場を通り抜け、コンビニの手動扉を開く。
エアコンが効いた店内に入り、雑誌のコーナーに目を向ける。
そこには、俺と似たような格好の高校生が地べたに座っている。
柚子葉
高校生の男女は、立ち読みならぬ、座り読みをしていた。
柚子葉
柚子葉
だから、小学生や中学生、高校生や大人も、みんなコンビニに集まる。
集会所や溜まり場と化したコンビニに入るのは抵抗があった。
でも、ここで飲み物を買えなければ、目的地に到着する前に、暑さで倒れてしまうかもしれない。
店内をうろつく事なく、飲み物が置いてある棚に真っ直ぐ向かう。
その途中
俺は不審者を見るような目つきをされ
珍しい物を見るような目つきされ
子供連れの母親から浴びせられる痛い視線を向けられた。
俺は気にせず新しいポカリを棚から取り出す。 おまけに、アイスのコーナーからパピコも取り出した。
柚子葉
レジに向かい、パピコとポカリを差し出す。 店員のおばちゃんは、コンビニに集まってた人たちと話し続けている。 客の俺を放っておいてお喋りに夢中だ
この町の住人ではない俺は、声を絞り出す。
柚子葉
店員のおばちゃん
声を発したと同時にコンビニの店内が静寂に包まれた。
店内に流れる有線チャンネルの音が、耳に流れ込む。
柚子葉
店員のおばちゃんは、俺の金髪に視線を送る。
そこには奇妙な物を見る目つきがあった。
俺の目を見ず髪の毛を見て、おばちゃんは呟く。
店員のおばちゃん
柚子葉
まただ。またこの反応だ。 この小さな町に来れば、いつもこの反応をされる。
そそくさとお釣りを受け取り、 何事もなかったように店内から出ようとした。 でも、座り読みをしていた高校生は、それを許してくれなかったようだ。
買い物を終えた俺の側に詰め寄る高校生。もしかしたらカップルかもしれない。
と思ったのは、二人がお揃いのペアリングを指にはめていたからだ。
何がいけなかったのだろう。そう思った直後、高校生の男子は舌を鳴らしてきた。
男子高校生
柚子葉
男子高校生
男の臭い息が鼻先まで漂う。
俺はコイツの事を知らない。 赤の他人だ。 だけど、コイツやコイツの取り巻き、町の人間のみんなは、俺の事を知ってる。
柚子葉
男子高校生
それだけだった。
"分かってるよ"それしか言えなかった 絞り出した声は、店内に流れる有線チャンネルの音によってかき消された。
何も言い返せない。 俺は、この町の嫌われ者だから。
コンビニを出てから数十分。目的地に向かって歩き続ける。 公園の前を通り、やっと目的地の建物が目に入った。
柚子葉
広大な敷地に、とうもろこし畑。 その端っこに人を寄せ付けない大きな屋敷が佇む。
辺りに民家はなく、この建物だけが存在している。
敷地内の庭園を通って屋敷の玄関に向かう。
玄関の入り口に設置されている郵便受けには、鴉天狗《からすてんぐ》の古い置物が置いてあった。
古臭い屋敷の玄関には、新しく設置されたインターホン。
何度かインターホンのボタンを押す。
それでも屋敷の中にはチャイムの音が鳴らない。
柚子葉
仕方なく玄関の戸に手を掛ける。 鍵が掛かっていない。
柚子葉
柚子葉
"ただいま"も言わず、俺は玄関から屋敷の居間へと向かう。
廊下にまで聞こえる、テレビから流れる音に気づき、誰かが居間にいると分かった。
柚子葉
倉敷千代子
居間にいたのは、千代子お祖母ちゃんだった。
テレビに夢中だった千代子お祖母ちゃんは、俺が屋敷に入っていた事を知っていたようだ。
柚子葉
テーブルの上には、お客さん用の湯呑み茶碗と鬼饅頭が用意されていた。
柚子葉
倉敷千代子
柚子葉
千代子お祖母ちゃんの話によると、シゲシゲは買い物ついでに、俺を迎に行く為、市内の駅まで車を走らせたらしい。
つい数分前に出てったようだ。
コンビニの袋からパピコを取り出す。
数十分しか経ってないのに、パピコは溶けていた。
仕方なく半分に割る。
柚子葉
倉敷千代子
眉をひそめる千代子お祖母ちゃん。 俺は怒られるのが分かってた。
柚子葉
倉敷千代子
パピコを差し出した俺の手のひらを、強く握りしめる千代子お祖母ちゃん。
お祖母ちゃんは俺が虐められたりしてないか心配だったようだ。
俺は持っていたパピコの蓋をかじる。
柚子葉
部屋の隅から隅までを見渡し、座布団に座る。
柚子葉
鴉天狗が描かれた掛け軸。 狐の形をした陶器。 線香を炊いたような部屋の匂い。 畳の香り。
それらを味わう為に、考え事をするわけでもなくボーッと天井を見上げた。
そんな俺を心配したのか、千代子お婆ちゃんは側に寄ってきた。
柚子葉
倉敷千代子
そんなの分かってる。 その為に都内から来たんだから。
腰に巻き付けていたジャージを落とし隣の部屋に続く襖を開いた
部屋の隅にある仏壇には、葉月兄さんの遺影が数枚並べて置いてある。
葉月兄さんの写真だけではない。俺と葉月兄さん、兄さんの親友である志恩の写真も並べてある。
十年前にリフトの上で撮ってもらった写真は、色褪せていなかった。
仏壇の前の座布団に座り、葉月兄さんの為に用意していたパピコを仏壇に置く。
葉月兄さんの遺影は、俺が鬼に霊魂を奪われた時とは違い、満面の笑みを浮かべていた。
柚子葉
部屋中に漂う線香の香り。
十年前のあの時、あの場所の光景が脳裏に浮かぶ。
コメント
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素敵なコメントをお願いします草