それは、想像以上に簡単だった
国家レベルの機密を扱うような
そんな任務を繰り返してきたエルにとって
企業への潜入など
“アルバイト応募”と変わらない
ハッカーのジェイがあらゆるデータを用意し
彼女は完璧な履歴書と面接を経て
エネルギーメーカー“NEXT EARTH”に
春の新入社員として採用された
裏では多少の“情報の書き換え”と
“推薦状の捏造”があったが
それは私にとっては
朝の歯磨きレベルのことだった
○○
今日からはこの名前の人生だ
○○
○○はタバコの火を消し
会社へ向かった
○○
新人研修の朝
整えたスーツに身を包んだ○○は
企業ビルの自動ドアをくぐった
中には光が差し込む広々としたエントランス
ガラスの壁、整った観葉植物
普通の社会人として生きること
それは私にとって久しぶりの変装だった
やっぱりこのスーツちょっと肩きついな
スーツ着ると呼吸浅くなるんだよな…
そう思いながらも頭の中は
プリンのことを考えていた
実際にプリンはアイから冷蔵便で届いており
自宅の冷蔵庫は甘味天国だった
そう言ったのは中年の女の人だった
○○
人事担当者か微笑んで言った
ジェイ盛りすぎ…
表情を変えず、○○は軽く会釈をした
そしてそのまま部署へ案内されると
彼女の視線は自然と“彼”を探していた
いない…
彼と言うのはもちろん
“二口堅治”
ジェイに早急に調べてもらうと
この会社の
営業部・Aブロック総括チーム所属
流石に新入社員が入れる様な所じゃなかった
でも不幸中の幸い
企画チームとは関わりが多く
現場視察や企画会議でしばしば顔を合わせる
○○としての勤務先は完璧
エルの勤務先としては
○○
早くもチャンス到来…
○○
○○
ふっと唇の端が少しだけもちあがる
上出来だった…
いや
完璧だった
自然な接触
偽りのない…必然
この程度なら遊びだよね…ジェイ
そんなことを考えながら会議室へ向かった
二口
声が聞こえた
低く、どこか呆れたような
だけどよく通る声
振り向くと、そこにいた
茶髪をやや無造作に撫でつけたような男
スーツの着こなし方がラフなのに
それすら“様”になっている
二口堅治だった
彼は○○の顔をじっと見てから
ふっと鼻で笑った
二口
二口
二口
呆れたように言って
コーヒーカップを手に会議室へと入っていく
○○は数秒
口を閉じたまま彼の後ろ姿を見つめた
…は?
初対面でこの態度?
私はバレないように溜息をついた
アイの見る目は皆無ね…
ただ少し思った
想像していたよりも
声が低い
穂高
○○
後ろから声を掛けたのは
部署の先輩の穂高さん
穂高
○○
私は穂高さんに背中を押され
会議室へ入った
あの日から数日
私はわざと二口さんに近づこうとした
今日は会議の後
○○
と少し声をかける
エレベーターで一緒になった時に
タイミングを見計らって話し始める
でも
○○
二口
○○
二口
二口
帰ってくるのは冷たくも
無関心な返答
これはあからさまな
“拒絶”だ
イラつく…
心の中でそう呟いて
缶コーヒーのプルタブを乱暴に引いた
これはあくまで遊びで
後輩の頼み
なのになんで…
上手くいかなかった任務なんて…
今まで1度もないのに
○○
缶コーヒーはとっくに冷めきっていた
社内の一角にある休憩スペース
さっきから何度も深呼吸をしているのに
もやもやは消えない
部署のフロアで偶然すれ違っても
挨拶や視線を向けても
二口堅治は視線ひとつよこさない
声をかけても素っ気ない返事か
無視に等しい反応
「お疲れ様です」と笑って見せても
「これってこの書き方で合ってますか?」
と仕事に絡めても
全てかわされる
何なのあのガードの堅さ
○○
なんで私がこんなに手こずってるわけ
○○は心の中で舌打ちをした
今まで任務は失敗したことがない
企業トップのスマホからデータを抜いた事も
政治家の護衛兼張り込みだって完璧だった
それなのに
たった1人の“男”を振り向かせることが 出来ないなんて
彼の姿を知らず知らずのうちに追ってしまう
そんな自分に気がついた
資料室で、会議室の隅で、給湯スペースで
どこにいたって彼の輪郭だけがクリアに映る
まるで、ターゲットを仕留める前の
そんな集中状態だった
○○
思わず呟いてしまい
缶コーヒーを1口飲んだのその時
穂高
○○
声をかけてきたのは
穂高総務だった
柔らかい雰囲気で頼りになる
優しい総務
穂高
穂高
穂高
体が僅かに反応した
何を言おうか迷っていると
穂高総務はふっと笑った
穂高
穂高
穂高
○○
穂高
穂高
穂高
穂高
穂高
まるでやんわりと
「やめておきなさい」と釘を刺すように
けれどその声にはどこか
二口堅治に気がある女の子達を見飽きた
そんな含みがあった
○○は微笑んだままコーヒーを飲み干した
…彼女、ね
そんな話聞いてなかったけど
それが本当なら任務は終わり
でも…もし嘘なら
なにか裏がある
どちらにしても…やるしかない
そう決めて席を立った
○○
穂高
○○
もちろん困惑していた
穂高
○○
○○
○○
○○
ゴミ箱に缶を捨て窓の外を見つめた
このままじゃ終われない
遊びだったはずの任務が
どこかで“意地”に変わっていた
コメント
1件
アカウント消してしまったのでこれからこのアカウントで作品を読みます‼️ この総務?さん裏がありそうですね、、、🤭 わくわく感が出るのめっちゃ好きです‼️💕