葵 アオイ
沙羅 サラ
貴方はふんわりと自然に私に向けて言葉を放った
だけれどあまりにも唐突過ぎて 脳の理解が追い付かず
私は 持っていた花瓶を落としてしまった
「がしゃんっ」という音と共に彼は すぐに私の元へ走ってきて 足元を見てから尋ねてきた
葵 アオイ
お嬢様!?
沙羅 サラ
葵 アオイ
葵 アオイ
そう言いながら胸を撫で下ろしながら 割れてしまった花瓶を片付ける彼を見て 昔の淡くて懐かしい色褪せた記憶が彼と重なった
沙羅 サラ
沙羅 サラ
あの頃には戻れない…)
胸の中に一つのざわっとした感情が広がっていく
沙羅 サラ
葵 アオイ
彼は私を真っ直ぐと見詰めながら
何処か不安そうに 微かに何かを期待しているかの様に
私の返答を静かに待っていた
沙羅 サラ
葵 アオイ
葵 アオイ
…お洒落なお店ですね
沙羅 サラ
私達が来たのは 至ってシンプルな''庶民''のレストラン
だけど 私にはこの空間や雰囲気が落ち着く
それもそうだろう 元々私は気を使わないで良い場所が好きなのだから
だけれど 黒瀬家に住んでいた頃は 誰に対しても気を使わなければいけなかった為
基本は 自室に引きこもり読書を堪能していた
私はそっとメニューを手に取り一通り目を通してから
ふぅっと息を吐いてから物事を発した
沙羅 サラ
葵 アオイ
黒瀬家に居た頃の食事は 質のいい食材を使用した料理を毎日食卓に出され 無理矢理食べさせられた
沙羅 サラ
矢張りこれにしようかしら
葵 アオイ
注文を済ませた後の空気は想像以上にしんみりしていて
周りの空気と私達の周りの空気だけは 明らかに温度が異なっていた
沙羅 サラ
葵 アオイ
その沈黙に耐えられなくなった葵が 居心地が悪そうに話を持ち出す
沙羅 サラ
葵 アオイ
葵 アオイ
沙羅 サラ
何故急にそんな事を聞いてきたのか疑問に思ったけれど
テーブルの上に置かれていた一輪の綺麗な 造花の赤薔薇を見て納得した
沙羅 サラ
しっかりと覚えているけれど
今の関係性を考えて この話は「忘れたわ」と答えた方が良さそうね
沙羅 サラ
覚えていないわ
私がそう返事をすると"一瞬"だけ
ほんの一瞬だけ 葵が泣きそうな顔をした
葵 アオイ
沙羅 サラ
嘘なんてつくんじゃなかった
正直に「覚えているわ」と言えば
葵にこんな顔はさせなかっただろうに
沙羅 サラ
沙羅 サラ
嘘なんてついてしまったのかしら
後悔するには遅過ぎる
だって時は戻らない
時は止まらない
時はいつも人の気持ちを傍観するだけだから
ハンバーグセットとビーフシチューセットになります!
ごゆっくりどうぞ!
店員は領収書をそっとテーブルに 置いてから静かにその場を去っていった
私は注文した品をじっと見つめてから言葉を発した
沙羅 サラ
葵はその発言を聞くと 少しだけ恥ずかしそうに首を縦にふった
葵 アオイ
葵 アオイ
矢張り ビーフシチューをお頼みになられたのですね
沙羅 サラ
沙羅 サラ
その言葉は嘘ではなく 本心だった
昔 私と葵が幼なじみというまだ平和な関係だった頃
葵 アオイ
葵 アオイ
沙羅 サラ
沙羅 サラ
葵 アオイ
葵 アオイ
でも母さんには内緒な!
沙羅 サラ
あの頃は…まだ 自由があった
葵 アオイ
沙羅 サラ
葵 アオイ
ビーフシチュー!
沙羅 サラ
この茶色のスープが?
葵 アオイ
沙羅 サラ
沙羅 サラ
…凄く美味しいわ
葵 アオイ
沙羅 サラ
だから 笑いあったり
葵 アオイ
沙羅 サラ
凄く…綺麗だわ
葵 アオイ
沙羅 サラ
互いに怒りあったり
葵 アオイ
沙羅 サラ
葵 アオイ
沙羅 サラ
馬鹿みたいな事で呆れたり
葵 アオイ
沙羅 サラ
葵 アオイ
あの告白だって 大して胸には響かなかった
でも…やっぱり今は
嬢と家来という関係が互いを縛る鎖の様だ
だから…
だから___
今くらいは
"監視"がない今は
昔のように…戻りたい
笑いあったり
互いに怒りあったり
馬鹿みたいな事で呆れたり
告白の真意だって…知りたい
でも…私にその事を持ち出せる勇気なんてない
だって…私は 黒瀬家の長女だから
そんな事でへこたれていては駄目だから
沙羅 サラ
暖かくて
優しくて
懐かしくて
何かを包容しているような味
これだけは嫌いになれない
葵 アオイ
私はゆっくり 葵を見つめる
葵 アオイ
私は
私は…
沙羅 サラ
沙羅 サラ
葵 アオイ
葵 アオイ
沙羅 サラ
葵 アオイ
沙羅 サラ
沙羅 サラ
沙羅 サラ
葵 アオイ
葵 アオイ
沙羅 サラ
葵 アオイ
沙羅 サラ
…勝手にしなさい
葵 アオイ
葵 アオイ
嗚呼良かった
葵は忘れていなかった
昔の鮮やかで爽やかな思い出を
忘れていなくてよかった
今はそれだけで充分
ここから先は……未来の私が何とかしてくれる
きっとそうだ
そう思っていれば…叶う筈だから