きゃんでぃ
きゃんでぃ
きゃんでぃ
きゃんでぃ
きゃんでぃ
きゃんでぃ
きゃんでぃ
私は現在小6、2009年に生まれたきゃんでぃです!(急な自己紹介)
まず、小さい頃は何もありませんでした。でも親が精神病を持っていたらしく、私に隠していただけらしいです
特に何も無いまま小学校に入学
友達もでき、ぼっち気質だった私も段々馴染めて1年後には周りに人が沢山いた
そうやって平和に過ごしていたとき。親の精神が不安定だった
物分りが良かった私は小2にして対処法を考えていた
結局仕事をするのが難しくなり、辞めてしまった
他の親は仕事をして頑張っていた家ばかりだったから私の家は少し違ったのかなと考え始めた
その後は何も無かった。特に。 友達との交流も増え始め、毎日家で遊んでいた
それから親うつ症が出てしまった 元々パニック障害と不眠症だけだったのだが、うつになってしまった
それから毎日毎日〇にたい〇にたいと言われ続けた。時には包丁を片手に〇のうとしていたし、指なら切っても大丈夫などと言い始めるようになった
私はどうすることも出来ず、ただただ見ていた
でも苦しむ親と悲しむ親を見たくなかったから私は普通にした
あえていつもより笑顔を増やし、私は楽しいよ!と見せつけた。そうすれば少しは笑顔になってくれると思ったから
それから親は私を生きがいとして生きてくれるようになった
だからかプレッシャーも凄く、小学三年生にあがった頃には内気な性格になっていた
そんな時、親が普通のうつ症状だけじゃないと発覚した
躁うつ病
躁の状態とうつの状態。ふたつある。躁だとテンションが高い。
だけど普通じゃなかった
テンションが高ければいい物じゃない。高ければ頭がフル回転する
だから凄く話しをしていた。でも話の内容はいつも怖くてその…〇ぬことについてとか、
だから人はこうで〜とかいいことはあまり話さなかった
テンションが高いせいでお酒に溺れて生活する日々。私はそれを止めても散々言われてしまうだけだった
お酒などで記憶も全くないまま、私は暴力を受けてしまったりした
すごく悲しかった
それは、親は根が優しくて人のことを考えられる素敵な人材だったということを知っていたから
そんな人が病気のせいで色々左右されてしまったり、辛いんだろうなというのは薄々感ずいていた
でも私はそれ以上にその時の生活がきつくて辛かった。泣ける場所なんてひとつも存在しなかったし相談相手もいなかった
躁のとき、お酒に溺れて自我を失った親。そのまま何ヶ月もすぎた
家に帰ると笑いながら包丁を持っているのを目撃したこともある
そしてある日、お酒のせいか何度か倒れた
階段を降りている途中に倒れて階段から落下した瞬間を私は後ろから見ていた
すぐ親に報告した。その日は様子を見た
倒れたのは1時だった。朝、6時。私はあまり寝れないまま体を起こして1階に行くとまた倒れてしまった親を見た
それなのにお酒を辞めようとしない
飲んでいたお酒はウィスキー。アルコール度数が40を超えるものだった
そんなのは普通、1口飲んでたしなむ程度。それなのに親は一日に瓶1本分飲んでいた
親は、もう片方の親の口座から毎月16万を抜いてお酒を買ったり飲みに行ったりマッサージに行ったりした
いつも目は狂っていて見るだけで私は発作を起こしそう、そんな日々でした
倒れてしまった日から数日、夕方頃にまた倒れて、親が救急車を呼べと言った
だから呼んだ。もちろん救急車は来て、家の前に止まった
住宅街に住んでいるので友達にはバレまくり。変な心配をかけてしまった
そんなことしたくないしバレたくなかったのに
そのまま私は人生初の救急車に乗ることになり、家から1時間半で着く病院に行った
近くの病院は全て入れなかったらしい
そのまま病院に行き、普通こんなことがあったら誰もがパニックになると、医者に言われた
倒れてない方の親はパニックになっていた。でもその時私は深呼吸をして抑えていたから。
だから医者に「強いお子さんですね」と言われた。それだけで少し元気が出た
その時親は、私が理解していないと思っていたらしい。ずっと親を落ち着かせようと頑張っていたからだ
理解していないんじゃなくて今自分にできる最大限のことをしていただけだった
そんな馬鹿じゃないよ。
そして1週間して退院した。正直帰ってきて欲しくなかった。
そう思ってしまった自分に嫌気がさし、何度も自分を殴った。痣が出来ても隠していた
そして少し落ち着いた頃、親が仕事を見つけ、就職した
順調に1ヶ月が過ぎた頃、石川県に出張をした
少し遠かったが、元気に行ってきますという親を見た
1週間の出張
順調かと思っていた仕事は実はそうではなかったらしい
上司からのいじめを受けていた
悪い方向に向けてくる。 わざと失敗させる。 弱いものいじめをする。
嫌だなと思いながらも出張に行ったとのこと
石川県では飲みに行ったりしていた。そして居酒屋にいた人たちが親切で「頑張ってな!」「応援してる!」「まぁ大変だと思うけど大丈夫」などと声をかけてくれていたみたい
でもそれ以上に上司が厳しかった
石川県に行く時も、高速道路に乗れたはずなのに下道をあえて通って
車酔いしやすい親をあえて酔わせた。 親は当時煙草を吸っていて、それも絶対だめただと言われていた
そして親は私の家で1番大切な物を持っていっていた
正直不安だったらしい。だからそれをお守りに1週間ずっと願っていた
私からしても大切なもので少し高いものだった
そして最終日。大切なものを上司に捨てられた
「こんなんいらんやろw」そう言われゴミ箱に捨てられたらしい
それからゴミ箱を覗きに行ったら大切なものはなくて、後で聞いたら外に投げたとのこと
そこで最悪な気持ちになり、うつが完全に治っていなかった親はまたうつになった
私は帰ってくる時は笑顔で帰ってきてくれると思っていた
1週間、毎日電話したし毎日写真を送りあった。その時の親は笑顔だったから「疲れた〜w」とか言って帰ってきてくれると思っていた
帰ってきたのは夜中だったから私は知らなかったけど朝起きたら躁を発症している親を見た
口数が多い。ずっと愚痴を言っていた。そして本当に辛い、と言っていた
私は少しでも邪魔をしたらいけないと思い、部屋のドア越しから話を聞き続けた。
その後、親は仕事を辞め、またうつ状態に陥った。
私はその状況が正直言って辛かった でも、心配をかけたくないし何かいらないことをしてしまったらという不安で、親の前ではいつも笑顔でいた
相談なんてできる訳もなく毎日が過ぎた。学校では別に陰キャじゃなかったし友達も多かった
だけど私は群れるのが苦手だった。集団で行動なんてほんとに苦手だし連れションなんて尚更
女子特有のその気持ちは全くなかった人だった。(今も) 誰も傷つけたくなかったから私は自らぼっちの道を選んだ
夜は、躁の親が毎日毎日話しかけてくる。その度に起きなければならない、5分ごとに起こしてくるから勿論あまり寝られない
私はぐるぐる考えながか学校の休み時間に睡眠をとっていた
そんな中、もう片方の親が倒れた(うつじゃない親)
原因は睡眠不足。毎日寝れないまま会社に行っていたから限界を迎えてしまった。たまたま睡眠薬があったからそれを飲ませた
その後、親(うつを持っている親)が間違えて警察をよんでしまった
すごく迷惑な行為だ。大変なのに… そして警察が家にやってきて寝室まで来る。私は驚きが隠せなかった
そしてその数週間後、夜中に警察と救急車が来ていたらしく、そのまま親が救急車で運ばれた
起きたら誰もいなくて、3年生ながら1人でご飯を作り学校へ行った
躁の状態は終わり、うつになった。毎日マイナスなことばかり言ってくるからこっちがおかしくなりそうだった
そんな日々が続いたのが小学三年生
小学四年生にあがった頃からも、辛い日々が続いた
話すと長くなるので短めに言うと、莉犬くんの「生まれてから、」を見た事がある人はわかると思うんですが
莉犬くんが経験した辛い過去。あれと同じ様なものが1年に詰まった感じてす
そして小学五年生
やっと落ち着いた。でも仕事にはつけないまま家で過ごしていた
私は他の家との違いに辛さを感じていました。その時期は周りを気にしてしまう時期で、他のお家の人たちは仕事をしているのに私の親だけ…となってしまった
そんな時に学習発表会で「親の仕事」というテーマがあった
(今は親と言ってるだけであり、お母さんかお父さんのどちらかの話しです。でもなるべく伏せたいのでご了承ください)
嘘で仕事をしていることにして発表した。私はそこで改めて仕事をしていない親について考え始めた
こんなこともあり、私はいつの間にか周りの目を気にする性格に。
特にいいことなんてなかった
そして小学6年生(今も)
親のことはましになってきた。未だに仕事にはつけていないが。
うつは全く治らないし、今まで辛いと感じていた日々が当たり前になり特に何も感じなくなった
だから今現在も特に気にしていない
学校での話。学校では友達と毎日楽しく遊んでいた。
でもある1人の男子に悪口を言われ続けた。 何度も死ねと言われたし消えろとも言われた
そして友達も大好きでしたが「○○ちゃん(本名)って悩みなさそうwうらやま〜」と言われた
しかも5人に。 私は他の家と違ったし辛いことも沢山あった。相談したかったのにそんなこと言われるともうどうすればいいのかわからなくなる
生きる意味なんてひとつもなくて私はついにどん底に落ちた
何にもやる気は起きないし夜は寝れないのに昼は眠いし食欲も無くなった。そして何にも集中できなくなり趣味も消えた
それでもずっと何かに向かって頑張っていた。それは勉強
頑張れることがそれくらいしか無かったのだ。 自分に出来ること全てやった。勉強以外も色々やった。無心で
特に関心もなかった。 そんな時、夏休みに入った
夏休みに入ってからは部屋に引き篭った。ずっと推しを眺めて、なんと元気になろうとした
外に出る気力もも段々出てきて友達と勉強会とか…色々した
でも長期間の休みは病みやすくて2回病んだ。でもプラス思考にしていいふうに考えた
そして夏休み明け。 今まで関わらなかった人と関わった すごく仲良くなって思考回路が一緒だった。価値観も似ているので過ごしやすかった
その子と今も一緒にいる。 毎日友達と話す時がすごく楽しい。3人で遊んでいるのだが、大体女子同士の3人は難しかったりするらしい
でも私のグループはそんな事が一切なくて話の途中に誰も仲間外れにならない
3人で居るのに3人でよくはもる。その度に毎回笑っている。 おかしなテンションで話したり頭おかしかったり…(((
馬鹿なことしてる時がい1番楽しいんだなてっ改めて実感した
でもその幸せに素直に幸せを感じれなくて何もかもが辛い
相手は何もしていないのにイライラしてしまうし人の幸せを素直に喜べない。人の不幸を聞いてこっちまで泣けてくることはあるけど…
人生上手くいくことばかりじゃないのは知ってる
でも私が今までしてきた挑戦で成功したものはなかった。 自分に嫌気がさしてる
でもこの失敗がいつかは失敗してよかったとなれるようになると信じて今日も生きている
だけど今の私はじ自分があまりにも嫌いすぎる。周りが嫌いなんじゃなくてじ自分がすごく嫌い
そんな自分がい嫌で毎晩泣いたりしてしまう(((
叫ぶかのように泣きじゃくってその時の自分は自分だけど自分じゃないみたい
それを目の当たりにするのがとても嫌
そして生まれたイライラを全部自分の体で発散する。思いっきり殴る
こんなことしちゃだめだって分かってる。 現実と理想が違いすぎてそこに辛さを感じてしまっている
辛いことが沢山の毎日だけど私はこれからも頑張って生きたい。誰かのためにい生きたい
強く生きたい
だから私は今日も頑張る。 そんな私の人生でした
きゃんでぃ
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私は暮らしは何不自由なく欲しいものはほとんど手に入るような家ですが、すとぷりすなーである事を馬鹿にされたり、学校で何もしてないのに悪い噂がたって無駄に怖がられたり、誰にでも辛い事はあります。 私も夜中に独りで布団潜って泣いているような人だから気持ちが分からなくない気がします。 私なんかじゃ比べ物にならないほど同じ歳なのに、大変な経験をしていると思うととても心配になってきます。