夜の静けさが、藤の花の香りとともに屋敷を包んでいた。
胡蝶邸の廊下を歩く足音はひとつ。
しのぶ
『……カナヲちゃん?』
静かに部屋の障子が開かれた。そこにいたのは胡蝶しのぶ。
カナヲは縁側で膝を抱えていた。 髪が夜風に揺れている。
しのぶ
『眠れないの?』
カナヲ
『……はい』
言葉は少ないけど、心は確かに揺れている。 しのぶはそんなカナヲの隣に静かに 座った。
しのぶ
『最近、よく泣きそうな顔してる。無理して笑ってるみたい』
カナヲ
『……笑わなきゃって思ってます』
しのぶ
『どうして?』
カナヲ
『……しのぶさんの前だから』
その言葉に、しのぶの目が一瞬見開かれる。 そしてふっと優しい微笑みを浮かべた。
しのぶ
『カナヲちゃんはね、もっとわがまま言っていいの。
感情を誰かにぶつけてもいいの。
私になら、特にね』
感情を誰かにぶつけてもいいの。
私になら、特にね』
カナヲの肩に、そっとしのぶの手が触れる。 藤の香りがさらに濃くなった気がした。
カナヲ
『…私、しのぶさんのこと、ずっと見てました。』
しのぶ
『ふふ、私もよ。カナヲちゃんを見てた。』
言葉が、視線が、夜の中で交差する。 そして、しのぶはカナヲの頬に手を伸ばし――
しのぶ
『…もう我慢しなくていいよ。』
そっと唇を重ねた。 カナヲの肩がびくりと震える。でも、逃げない。 それが答えだった
――その夜、初めて感情で動いたのはカナヲだった。 涙も笑顔も、自分の意思で。






