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妻・愛菜のスマホから着信を伝える音楽が鳴り響いた。 TVのロードショーが盛り上がっている時に興を削がれて、ため息がでる。 夜、家に帰って来たらスマホの着信音なんて聞きたくない。 ましてや、一番良いシーンで鳴るなんて気が利かないな。 と、愛菜に侮蔑の視線を送った。 その視線に気付いたかどうかわからないが、 愛菜はリビングから出て、寝室へ向かいドアを閉めた。 それでも大して広くない2LDKの賃貸マンションでは、 時折、声が漏れ聞こえてくる。
愛菜
愛菜にしては、かなり大き目の声が聞こえた。 その声のトーンから、話が深刻なものなのだと予想しながらTVを眺める。 暫くすると、バタンと乱暴にドアを開け、 リビングに入って来た愛菜は酷く取り乱した様子で声を上げた。
愛菜
湊
俺も上手い言葉が出なかった。 何故なら珠理は、俺の元カノで妻・愛菜の親友だったからだ。 珠理と付き合っていた時に親友の愛菜を紹介された。 彼女の親友である愛菜に一目惚れしてしまい、乗り換えたのだった。 その後、愛菜と結婚。珠理には悪い事をしたと思ってはいたが、まさか、生活が落ち着いた今頃になってこんな知らせを受けるなんて考えた事も無かった。
湊
愛菜
湊
俺たち夫婦の心配は同じところにあった。 珠理の自殺未遂の原因が自分たちにあるに違いないからだ。 愛菜は、顔を青くして唇を震わせるようにつぶやく。
愛菜
愛菜と珠理は高校の同級生で、 ここから車で2時間の距離にある地方都市出身だ。
湊
愛菜
バタバタと音を立て、愛菜はボストンバッグに荷物を詰め込んだ。 何も出来ない俺は、その様子をただ眺めているだけだった。
玄関で愛菜を見送った。 リビングに戻ると、胸の奥から焦りと後悔が沸々と湧き上がって来る。 テーブルの上に置きっぱなしにしたままの缶ビールを苛立ち紛れに煽った。 すっかりぬるくなった液体は、舌にこびりつくような苦味を感じさせた。
湊
唇の端から溢れた液体を右手の甲で拭い、 左手でアルミ缶をクシャと握り潰す。 それを苛立ち紛れにゴミ箱に投げつけた。 ソファーにドカッと身を預け、深いため息をつく。
珠理と別れ、愛菜と結婚した。 その後、暫くして珠理のほうから連絡が来たのだ。 ただなんの気無しに食事をして、以前のようにお酒を飲んだ。 それが、ちょっとしたきっかけで再び、焼け木杭に火というか、そういう関係になった。要するに本妻に愛菜、愛人に珠理の状態だ。
先週、珠理に会った時を思い出す。 普段と変わらない様子で、洒落たイタリアンレストランでは、美味しそうに食事をしていた。 その後、珠理が泊まっているホテルに行った時も楽しそうに微笑み。 いつものように、抱き合い熱いキスを交わし、肌を重ねた。 その珠理が、まさか自殺未遂を起こすなんて思わなかった。 珠理は、俺と愛菜が結婚した後、一度、実家に帰った。 だが、月に1.2度こちらに遊びに来ては俺との関係を続けていた。 俺から誘った事はないし、珠理だって納得していたはずだ。 それが今になって面倒な事になったと苛立ちが募る。 不意にスマホが短い振動を伝えた。 俺は愛菜からのメッセージかと察し、スマホをタップした。
差出人 [syuri-000194] 件名 000194
動画が送付されていた。 どこかの街並みが写し出されている。 なんとなく見覚えがある街の光景。 閑散としてどこか寂しい街並み。電車が見えた。 あっ、これは、愛菜と珠理の実家がある街だ。 けれど、写真の意味が読み取れない。 嫌な感じが拭いきれずに、手が汗でじっとりと湿っている。 そして、再びスマホが振動を始めた。
恐る恐るスマホの画面を見ると美樹から通話の表示だ。 ホッとして、スワイプすると美樹の顔が画面に映る。
愛菜
疲れた様子の美樹。実家にある自分の部屋にいるようだ。美樹の後ろに窓や洋服タンスなどが映っている。
湊
画面に映る美樹の後ろのカーテンがユラユラと揺れている。 この2月の寒い深夜、 ピッタリと閉まった窓には反射した部屋の様子も写り込んでいるのに 何故カーテンが揺れているのか気になって、ソコばかり見てしまう。
愛菜
美樹は浮かない表情で答えていた。
湊
その瞬間、目を見張った。 美樹の後ろに映る窓に人の手のひらがペタリと貼りついている。
湊
愛菜
愛菜
振り返った愛菜の後ろには何もない。 愛菜は、ポカンと不思議そうな顔をしている。 自分の見間違いだったのだろうか?
湊
もう一度、目を凝らしてみたが、窓には何もなかった。
愛菜
湊
愛菜
フゥーと息を吐き出すと一気に疲れが出る。 忘れないうちにとお医者さんから処方された睡眠薬を処方通りに飲んだ。 最近、眠りが浅く疲れが取れなくて、 心配した愛菜の勧めもあり、軽い眠剤を処方してもらっていた。
ミネラルウォーターを飲んでいると 再びスマホが振動を始めた。
差出人 [syuri-000194] 件名 000194
ごく普通の住宅が映っている。 見覚えのあるその家。
湊
気持ち悪い。誰がこんなものを送って寄こすんだ。 腹立たしく思いながら直ぐに、迷惑メールに登録してブロックをした。 そして、再びスマホが振動を始めた。
差出人 [syuri-00194] 件名 00194
布団の中でまんじりともせずいた俺は、 こんな時間に振動するスマホを忌々しく思いながら手に取る。 メッセージの画面に写っているのは、俺の家の最寄り駅だった。 ゾワリと鳥肌が立つ。 嫌な予感がして、迷惑メール登録をした。 直後、再びスマホが振動を始める。
差出人 [syuri-0194] 件名 0194
意味の分からないメッセージ 添えられた写真は、いつも使う最寄りのバス停。 愛菜からいつ連絡が入るのか分からず、スマホの電源を切る事も出ない。 迷惑メールに設定しても 差し出し人が、フィルターを搔い潜ってくれば、成す術も無い。 そして、スマホが震える。
イライラしながら画面を見ると愛菜からのメッセージだ。 スマホをスワイプすると泣き顔の美樹が映る。
愛菜
湊
俺は先週会った珠理の事を思い出す。 食事の時にクスクス笑う、誘うような唇。 ホテルの部屋でキスをした時の艶を含んだ瞳。
愛菜
遺書……。 そんなものがあるなんて……。 ショックで言葉を失う。 珠理を裏切って愛菜と結婚し、その後も流されるまま関係を続けていた。 愛菜の事よりも俺に対しての恨みつらみが多そうだ。 どこからともなく、この話が愛菜の耳に入る可能性だってある。
湊
愛菜
涙声で呟くスマホの中の愛菜の後ろで、のカーテンがユラユラと揺れている。
湊
湊
叫ぶと同時に、プッと通話が切れた。 スマホの画面が暗くなる。 そして、スマホが振動を始めた。
差出人 [syuri-194] 件名 194@294
スマホの画面には、動画が映し出され、家の近くのコンビニだ。 画面が手振れを起こしている。 まるで歩きながら撮影しているようだ。 かなりの速さでコンビニ前を通り過ぎ次の角を曲がる。 そして、俺が住んでいるマンションの全景が映った。
湊
慌ててタップして動画の画面をオフにした。 そして、スマホがまた震えだす。
差出人 [syuri-294] 件名 294
俺は、震える手でスマホをスワイプした。 見たらヤバいと分かっているのに不安で見てしまう。 スマホ画面にはエレベータースイッチの上の階数表示が俺の住んでいる7階を表示した。 チン と言う音と共に扉が開き、俺の部屋へと続く廊下が見えた。
カツーン。カツーン。カツーン。 恐ろしくなり動画を切った。スマホの画面が暗くなる。 廊下を歩く音が直に聞こえ、音が近づく。 カツーン。カツーン。カツーン。 家の前で止まった。
湊
心臓がバクバクと脈を打つ。
湊
玄関のドアノブが ガチャ、ガチャ、音をたてた。 そして、スマホが震える。
スマホの画面に視線を落とすと「 珠理 」と表示されていた。
湊
死んだはずの朱璃からの電話、思わず画面をタップする。 スマホからは、珠理の声が聞こえて来た。
珠理
湊
珠理
湊
ピンーポン、ピンーポン、 インターフォンが鳴る。
湊
この時、愛菜の言葉を思い出す。 『朱璃。恨んでいるよね』
ピンーポン、ピンーポン
珠理
スマホの画面には、にっこり笑った朱璃。 恐ろしくなってスマホを玄関ドアに叩き付けた。 カシャーンと音がし、スマホの画面は蜘蛛の巣状にひび割れ黒くなる。
湊
誰もいない部屋の中 自分の心臓の鼓動と荒い息が耳につく。 まさかと思い、恐る恐る玄関のドアスコープから覗く。 すると、廊下しか見えなかった。
ガチャ、ガチャ、キィー
ひとりでにドアが開き、 怖い気持ちとは裏腹に視線がそこに向く。 だが、開いたドアの向こうには誰もいなかった。
湊
珠理
良く知る声。 それは、 まぎれもなく、死んだはずの珠理だ。
珠理
湊
珠理
湊
珠理
開いたドアから珠理が顔を覗かせた。
湊
俺は慌てて、後ずさり、 玄関から狭い廊下を抜けリビングの端、ベランダ手前の窓まで逃げる。
カツーン。カツーン。 朱璃のハイヒールの音が鳴り響き、俺を追い詰める。
珠理
カツーン。 俺は、慌ててベランダまで逃げた。 もう、後がない。 ヒールの音が響くたび、珠理との距離が縮まる。 カツーン。
珠理
カツーン。
珠理
カツーン
珠理
クスクスと妖艶な笑みを浮かべている。 追い詰められた俺は後が無い状態だ。
珠理
湊
珠理
ベランダの隅に追い詰められた俺に珠理がにじり寄る。 肌が触れた部分が温かった。
俺は、ホッと息を吐き、 そして、朱璃からの口づけを受け入れた。 タチの悪い冗談を払拭するような熱い口づけを貪るように味わった。 舌を絡め、唾液を飲み込む。 コクン。 唇が離れると朱璃は、ニッコリ微笑んだ。
珠理
湊
グラリと視界が歪む
湊
珠理
ドンッと肩を強く押され、バランスを崩した拍子に足をすくわれた。 俺の体は、ベランダの柵を越えて宙に浮く。 この時、何故か蜘蛛の巣状に割れたスマホの画面を思い出していた。
珠理
かつて愛した女の冷たい声が聞こえる。 俺の体は宙に浮き、やがて奈落の底へ落ちて行く。
スマホの画面をタップする。 呼び出し音が鳴り、画面に愛菜が映った。
愛菜
珠理
愛菜
珠理
珠理は懐かしそうに目を細める。
愛菜
画面の向こうで愛菜は晴れやかな笑顔を浮かべた。
珠理
愛菜
珠理
珠理は、クスクスと笑いながらスマホをタップし通話を切る。 玄関に落ちていた、蜘蛛の巣状にひび割れたスマホを拾い、非常階段へと姿を消した。 【終】