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風香ちゃんッ!
少女の悲痛な叫びが届いた刹那、風香のまぶたがカッと開かれた。
それと同時に、彼女の全身の血の気が引いていくのを感じた。
いびつな形をした黒板が逆さに垂れ下がり、窓はテープで雑に封じられている。 禍々しく歪む、教室を模したであろう空間。
そして、深い紫色の鎖で学習椅子に括り付けられたあおいの姿がそこにあった。
風香は言葉を失った。
今にも泣きそうな声であおいはそう言うが、そんな二人を嘲笑うかのように空間の歪みが増す。
風香は悲惨な友の姿に涙を流し、悲しみで心が歪みに飲み込まれそうになり
──自然と拳を強く握り締めていた。
──ひどい、ひど過ぎるよ!
咄嗟に駆け出そうとし、風香の手が空を切ったその時。
ジャララララッ!
と、重々しい音を響かせ、床から湧き出した紫色の鎖が風香の足首を絡め取った。
もがけばもがくほど、鎖は蛇のように締め付ける強さを増していく。
早く、あおいちゃんを助けなきゃ…!
風香の脳裏に昨晩の赤月先輩の姿が過った。
三日月のような大鎌で怪異を華麗に切り裂くあの姿。
しかし、あの時にはなかったはずの勇気…立ち向かう力。 そんなものがせり上がっていく感覚を風香は覚えた。
わたし、いつもあおいちゃんに頼ってばっかりだった。 勉強も、友達も…何もかも。
わたしだって…!
風香の勇気が高まっていく中のことだった。
ずるいよ…みんなだけ
わたしも…みんなと進級したかったのに
ずるい!
耳の奥で怨めしげな嗚咽が響き、黒板の前でぶるりと空間が大きく揺れた。
窓のガラスの破片、教室の歪み、鎖のうねり──全てが二人に襲いかかろうとした瞬間。
フウカ…フウカはひとりじゃないルル!
フウカの 「みんなを守りたい」 願い…
叶えるルル!
愛らしくもまっすぐなその声が風香の心に木霊した。
声に呼応するように風香の瞳に桃色の光が宿り、鎖が弾け、空間の歪みを裂く光が辺りを満たす。
叫びと共に視界は桃色にきらめく光に染まり、春風のように暖かく優しい感覚が全身を吹き抜ける。
桃色に伸びたツインテールをがふわりとなびき、胸の奥で“みんなを守りたい”という愛情が高鳴り─
春風の力を秘めたステッキを手にしたマホウビトが、そこにいた。
光が収まった瞬間、風香は変わり果てた自身に目を丸くした。
胸の奥が熱く震える。 その手に握るステッキから、澄んだ声が木霊する。
戸惑う間もなく、その声で風香──いや、ミスティは全てを理解した。
胸の奥から溢れた想いが声と共鳴し、追い風になって背中を押す。 ふわりと浮かんだスカートが弾み、春風が彼女を導こうとした──
──ヒュンッ!
矢のように鋭い音を立てて、白いチョークが二人をめがけて迫ってきた。
その声に導かれるまま、ステッキを一振り。
ブォンッ!
放たれた風がチョークを薙ぎ払うが、黒板消しに画鋲、はたまたカッターのように鋭利になった色紙──次々と道具たちが襲いかかってくる。
ギィ…ギィィ…
あおいを拘束する鎖が不気味な音を立て、締め付けを強めた。
涙混じりのあおいの声が、空間をより歪ませる。
そうだよ… あなたたちは、何もできないよ
たとえ、姿が変わっても、魔法を手に入れても!
…まるで、わたしみたいに
だから
“友達”になってよ!
恨めしげな声がミスティの脳をつんざくのと共に、クラス中の机と椅子が一斉に宙を舞った。
ミスティが身構えたその瞬間──
やめてぇッ!
あおいの悲鳴が木霊した。
それは謝罪でも、恐怖でもなかった。
大切な親友を苦しませたくない そんな健気で一途な“願い”。
──締め付けていた鎖が砕け散るのと同時に、教室の空気が一変した。
机と椅子は崩れ落ち、床の上に淡い光が滲み出す。
そこに“彼女”は佇んでいた。
古びたセーラー服は涙で濡れ、ぼさぼさの髪が淋しげに揺れ──怨みが籠もった瞳がミスティを見据えていた。
あの怨めしげな声。 しかし、今のそれは力なく消え入りそうなものになっていた。
ミスティは息を呑み、震える指でステッキを構えた。
声を荒らげたミスティだったが、その声は確かに恐れで震えていた。
怒りに任せ、がむしゃらにステッキを大きく振った。
ミスティの放った風が虚しく揺らめいた。 ──この幽霊、攻撃が通らない!?
その光景を、あおいはただ見つめていた。
鎖から解放されたはずなのに、足が震え、手が固まって──
彼女の喘ぎに、“彼女”がゆっくりと顔を向けた。
──“彼女”がニッと口角を上げるのと同時。 ミスティはステッキを血が滲む程強く握る中、いくつもの光景が瞳を過った。
公園で転んだ時、すぐに手当てしてくれたあの日。
どうしても分からなかった問題を、丁寧に教えてくれたあの日。
風香ちゃんは、あたしの 魔法少女─ヒーロー─だよ。
そう微笑んでくれた、あの日。
思い出が、まるで桜の花びらのように舞っていく。
その叫びと共に、心に再び春風が吹き抜けた。
空間を桃色の霧が立ち込める──
その一声でステッキに集まった霧は柔らかな雲へと変わり──今度は攻撃ではなく、“彼女”を包み込むようにして放たれた。
“彼女”の瞳にぼんやりと優しい光が滲み始めたかと思えば、そのまま光の粒になるようにして消えていった。
──床に残されたのは、瑠璃色煌めく小さな宝石。
ステッキに引っ張られるようにして、ミスティは半ば強引に宝石を持たされた。
宝石の煌めきが歪んだ空間を照らし出し──
二人の視界も、淡い光に包まれた。
夕暮れの中、風香は青ざめた顔であおいに話しかけた。
真剣な面立ちで答えるあおい。
しかし、彼女ははすぐに表情を変える。
そうニコッと微笑むと、風香はぱあっと顔を輝かせたかと思えば──
満面の笑みで無邪気に語る風香の声が、夕暮れの校庭に溶けていく。
あおいはその横顔を見つめながら、ふっと笑った。
──そうだ。
──風香ちゃんは、どんなに怖くても前に向くんだ。
二人が昇降口を抜ける頃。 薄暗い廊下の奥、誰もいなくなった教室に夕日が差し込む。
窓際に、あのセーラー服の少女が立っていた。
“彼女”の隣には、見知らぬ生徒の姿──やさしく微笑む少年の姿がある。
窓を覗くと、仲良く笑い合う二人の少女の影が、だんだんと小さくなっていく。
“彼女”は半べそながらも、穏やかな笑みを浮かべた。
やがて二人の影は、瑠璃色の光に包まれて消えていった。
その輝きだけが、静かに黒板に映っていた。