未登録者の街を離れてから数分。
見えてきた白壁……蘇る心の傷に、桜はヒリついた喉の乾きを覚える。
深山桜
生唾を飲み込んで、桜は自転車を走らせた。
東原中央病院……。 万能細胞の普及後、この病院は閉鎖された。
ここに限らず、現在日本の病院のほとんどは、万能細胞によってその役目を奪われ、大幅な規模縮小の憂き目にあっている。
残っているのは、強化骨格への換装手術を行う整形外科や、精神科・産婦人科などの万能細胞で対応し切れないごく一部の医科だけだ。
多くの病院は、それらの一部の分野に特化した医院へと転換したが、東原中央病院は丸ごと閉院した。
その理由は表向きには明らかになっていないが……当時頭角を現していたZ'feelによって、人体実験の施設用に買い取られた、というのが公然の秘密になっている。
病院の近くの廃屋で、2人は自転車を止めて降りる。
浄海が物陰から双眼鏡を使って、病院の様子を覗き込んだ。
浄海入道
深山桜
浄海入道
浄海入道
深山桜
桜は携帯を取り出し、情報収集を始める。
すぐに分かった。 タイムライン上にせわしなく浮かんでいるのは、同じ内容の投稿ばかりになっている。
深山桜
桜は震えた声で知らせる。 中央区は自分の家がある区画だ。
顔なじみや友達も多い。 実際、投稿のいくつかは桜の友達が上げたものだ。
浄海入道
浄海入道
浄海入道
深山桜
深山桜
騒ぐ心を抑えて、ずかずかと歩いていく浄海についていく。 本当なら今頃、学校で授業を受けていたはずだ。
しばらく会うことの出来ないであろう家族や友人達に思いを馳せながら、桜は東原病院に向かった。
ドガァッ!!
Z'feel社員
ドサッ……!
浄海入道
社員をふっとばした浄海は、拳に着いた血液を振り払い、一息ついた。
エントランスに乗り込んだ桜達は、警備の社員達に一斉に襲われた。
とはいえ、やはり腕のある奴等は出払っていたのか、前評判ほど手強い社員はおらず、なんなく蹴散らしていく。
深山桜
浄海入道
荒れ果てたエントランスを浄海はぐるぐると見回し……近くでうめいていたZ'feelの社員の胸ぐらを掴んで引っ張り上げる。
浄海入道
Z'feel社員
社員が首を振った瞬間、
グイッ!
砂時計をひっくり返すように、浄海は足首を掴んで社員をひっくり返して、
浄海入道
ドガンドガンドガンドガン!!
Z'feel社員
ハリセンのように社員を振り回し始めた。床や柱、転がったベンチのあちこちに頭がぶつかり、その度に悲鳴をあげる。
深山桜
浄海入道
桜の説得に、浄海はしぶしぶ従い、蛮行を止める。 ひび割れた床の上に社員を放り投げた。
あっという間に、顔が倍以上に膨れ上がっていた。血と涙をだらだらと流しながら、
Z'feel社員
あっけなく吐く。
Z'feel社員
浄海入道
Z'feel社員
深山桜
Z'feel社員
Z'feel社員
浄海入道
ドカァッ!
Z'feel社員
浄海は躊躇なく社員を蹴り飛ばした。 先程ふっとばした社員の上に、どさりと積み重なる。
深山桜
浄海入道
深山桜
息長姫子
深山桜
息長姫子
彼女の言葉に従い、2人は社員達の亡骸を乗り越え、エントランス脇のエレベーターまで移動する。
あちこちが荒れ果てた施設内に比べて、エレベーターだけは今も整備されているようだ。
見上げると、1〜9階までの回数表示の内、9階が点灯している。 桜はひとまずにボタンを押して、9階に停まっているであろうエレベーターを呼び寄せる。
息長姫子
深山桜
息長姫子
深山桜
浄海入道
桜の動揺する声を聞いて、浄海は扉の前に立つ。
エレベーターがやってきて扉が開いたが、浄海は乗り込まない。
扉の外から身を乗り出して、内部の操作盤をいじくるような動きを見せた後、すぐに身体を引っ込めた。
バタン……
浄海入道
エレベーターの扉が閉まったあと、浄海は拳をボキボキと鳴らし……
浄海入道
ベキィッ!!
荒っぽい右正拳突きを打ち込み、扉の隙間に小さな穴を開けた。
ベキベキベキベキッ!!
その後左手も突っ込み、強引に扉をこじ開けていく。
深山桜
息長姫子
深山桜
浄海の言葉に、桜は思い出した。
桜が小学一年生の頃、風邪をこじらせてここに入院した際、確かに地下1階があった。
詩織が入院した時には、改修工事が行われたのか、地下階がなくなっており、現在に至っている。
浄海入道
浄海入道
浄海入道
浄海入道
ベキベキベキベキ!!
浄海は自分が入れる幅にまで扉をこじ開けた。
真っ暗な空間の中、かすかに何本かのワイヤーがぶら下がっているのが見える。
浄海はその中に、躊躇なく飛び込む──。
ガッ!
浄海入道
着地音の直後に聞こえてきた声に、桜の緊張はより一層高まった。
深山桜
息長姫子
深山桜
深呼吸を2回してから、桜は暗闇に飛び込んだ。
こじ開けた扉の先は、殺風景な通路だった。
両脇に閉ざされた扉が立ち並ぶだけで、ほぼ何もない。 奥には両開きの扉が見える。
浄海は躊躇なく飛び出し、そのまま歩いていく。
深山桜
浄海入道
桜の制止も聞かずに歩く。 2人はあっという間に両開きの扉の前まで着いた。
スチール製か何か、手術室を思わせる、銀色の大きな扉。左の取っ手を浄海がぐわっと掴む。
開いている右の取っ手を、桜は震えを抑えて掴み──意を決して、横に引いた。
ガラララララ
淀んだ空気のオフィスが、そこに広がっていた。
恐らく、元は医局として使われていたのだろう。 高そうな椅子や机にソファが、整然と並べられている。
だが、本来ならそこにあるべき、書類や書籍・オフィス用具などは一切ない。
まともな経営が行われているようには見えない、殺風景なオフィス……その奥、やや豪勢なデスクに、その男はいた。
社長椅子に深く腰をかけ、デスクにふてぶてしく足をかけながら、
羽黒龍極
不快感を催させる馴れ馴れしさで、物々しい雰囲気の男が声をかけてきた。
深山桜
ダダダッ
デスクの後ろのソファから、Z'feelの社員と思われる、数人のスーツ姿の男性が勢い良く立ち上がる。 その中に混ざって……
浄海入道
佐渡
全身から敵意をみなぎらせた、千秋……いや、本物の佐渡。 ブラックドラゴンのヘッドだ。
昨日交戦した時と全く同じ格好、同じ身体だ。この女が千秋を生み出し、彼女を洗脳してけしかけた……。
浄海入道
浄海入道
佐渡
洗脳されていた頃の千秋のような、恐ろしい文句を吐き捨てる。
羽黒龍極
そんな彼女とは反対に、気楽な態度で羽黒が口を開いた。
浄海入道
羽黒龍極
羽黒龍極
羽黒龍極
佐渡
羽黒龍極
佐渡
羽黒龍極
羽黒は右腕を伸ばし、佐渡のお尻をさわさわと撫で回す。 佐渡は一切反応しない。
いかつい外見に似合わず、軽薄な雰囲気の男だった。 その軽い態度が、返って不気味さを醸し出している。
浄海入道
浄海入道
羽黒龍極
佐渡から手を離した羽黒は、その手でデスクの上のタバコを掴む。
一本取り出して口に咥えると、そばに立っていた黒服がすぐさま火を着けた。
羽黒龍極
ふぅっと煙を吐いて、羽黒は桜の方を見る。
心臓を射抜かれそうな程、鋭い目だった。 口は軽薄な笑みを浮かべているのに、目は一切笑っていない。
切れ長の瞳がギュッと狭まり、桜の足から頭まで、ゆっくりと舐め回すように動いた後で、
羽黒龍極
深山桜
タバコを取り出してから呟いた言葉を聞いた瞬間、桜の身体が跳ねた。
羽黒龍極
深山桜
羽黒龍極
羽黒龍極
下卑た笑みを浮かべながら、羽黒はこめかみをトントンと指で叩く。
羽黒龍極
羽黒龍極
羽黒龍極
羽黒龍極
羽黒は半笑いを浮かべて、詩織の難病について語る。
妹の命を奪った病気を、まるでゲームの特殊効果のように、軽々しく口にする。
羽黒龍極
羽黒龍極
羽黒龍極
半笑いで謝る彼の姿に、桜は腹の底から、熱が湧き上がってくる。 拳が震えた。
浄海入道
深山桜
浄海に諭され、数度の深呼吸でこらえた。
羽黒龍極
耳が良いのか、奴は自分達の小さな会話に、身を乗り出して割り込んでくる。
羽黒龍極
羽黒龍極
磨き上げられた白い歯を見せびらかすように、羽黒はにいっと笑った。
ガチャ
向こうの扉が開く。
???
小柄な背丈の、死神が出てきた。 一瞬そう誤認してしまう。
ボロボロのローブに身を包んだ、小柄な老爺だ。 ドクロの仮面を被っており、素顔は伺い知れない。
ローブから覗かせる手は、ガリガリにやせこけている。 恐らく、あの人が先程社員が言っていた、八ツ木博士……。
ガタガタ
男性の奥から、2人の黒服が大きな箱を運んできた。
棺桶を思わせる、人間が1人入る大きさの箱だ。ちょうど桜の目線の高さに、【No.24】と刻まれている。
羽黒龍極
ガタッ
羽黒は立ち上がり、デスクを一息で飛び越える。 着地した奴の隣に、箱がゆっくりと立てかけられる。
羽黒龍極
浄海入道
羽黒龍極
深山桜
羽黒は箱をコンコンとノックする。 箱のサイズからして……成人男性は収まらない。
ガチャリ……
自動で開いた箱の中に入っていたのは、1人の女性。
???
恐らく──詩織だった。
自分より成長していた。 年格好は桜より上、高校生程度。東原にある高校の制服を着ていた。
難病にかかることなく、健やかに成長できていれば、きっとこうなったであろう姿だ。
身長も肉付きも、あの頃から大きく育っている。 それでも顔つきや髪色、雰囲気は、記憶に残る姿と同じ。
理屈ではなく本能で、前方の女性が、詩織であることを悟った。
クローン
彼女はゆっくりと箱の中から出てくる。 笑うことも、怒ることも、言葉を発することもしない。
ゆっくりと開いた瞳の色は……赤。同じ色だ。
羽黒龍極
羽黒龍極
羽黒龍極
羽黒龍極
ドガァッ!
詩織が出てきた箱を真横に蹴り飛ばし、羽黒は笑う。
深山桜
呼吸が早まる。 全身の汗が止まらない。
息長姫子
脳内で姫子が必死に呼びかけてくるが、まるで耳に入らない。
羽黒が東原病院を支配していた…… そう浄海から聞かされた時点で、桜は心の何処かで予想していた。
細胞の一片からでもクローンを生み出せるならば、入院していた患者からサンプルを採取していてもおかしくはない。
深山桜
桜は必死に自分に言い聞かせる。 それでも、けたたましい動悸と、身体の各所から湧き出す汗は収まらない。
浄海入道
浄海が歯ぎしりと共に絞り出した怒りの言葉も、どこか遠く聞こえる。
羽黒龍極
羽黒龍極
浄海入道
浄海入道
八ツ木博士
羽黒龍極
羽黒龍極
羽黒は歯を見せて笑い……詩織のクローンの身体に、優しく肩をかける。
羽黒龍極
トン……
羽黒は最小限の力で、クローンの肩を押す。
次の瞬間──クローンは動き出す。 両腕をクロスさせ、勢い良く振り払い──
ズバァッ!!
羽黒の首を切り裂いた。
ゴロゴロ
羽黒龍極
地面を転がる生首が、気の抜けた声を上げる。
主を失った胴体は、ブシュブシュと血を噴き出させて、ドシンと前に倒れ込んだ。
深山桜
浄海入道
桜も浄海も、同じように目を疑った。
詩織のクローンは、瞬時に手刀を振るい、寸分の狂いのない動作で、羽黒の首を落とした。
3人は全く同じように固まっていた。だが、それ以外の人間は──。
クローン
クローンはむくれながら、足元に転がる羽黒の胴体を蹴り退ける。
八ツ木博士
デスクから上半身だけを出し、八ツ木は嬉しそうに笑う。
ガタガタガタ
黒服達は無言のまま、デスクを乗り越え、羽黒の胴体と頭部を回収する。
佐渡泉
生ごみを前にしたような嫌悪感を顕にして、佐渡は吐き捨てる。
誰一人動揺していなかった。 全ては最初から、計画されていたようだった。
シュッ シュッ シュッ
デスクの上のティッシュを何枚か取り、首を落とした際に着いた顔の返り血を、彼女は優しく拭い、
クローン
あの頃と同じ満面の笑顔を、にっこりと浮かべる。
口元には拭いきれていない血が、べったりと広がった。
八ツ木博士
クローン
黒服から羽黒の生首を受け取りつつ、八ツ木が詩織の血痕を指摘する。 彼女は血痕をきちんと拭き取った。
羽黒龍極
八ツ木博士
ゴトン……
羽黒の生首を、自分と同じ目線まで持ち上げ、八ツ木は笑う。
八ツ木博士
八ツ木博士
羽黒龍極
かすれた怨み節は、最期まで言い切ることなく、羽黒は息絶えた。
八ツ木博士
八ツ木博士
黒服
黒服達は生首を預かり、胴体と共に、奥の扉へと消えていった。
深山桜
ようやく解凍した桜が、震える声で問いかける。
深山桜
クローン
トン……
彼女が一歩踏み出す。 浄海は無言で桜を引っ張り、後ろに一歩下がった。
クローン
クローン
八ツ木博士
クローン
クローンは小さく下を出して謝る。 あの頃と同じ癖だった。
トン、トン
彼女が2歩踏み出す。 浄海は2歩下がる。 桜は2歩引っ張られる。
クローン
クローン
浄海入道
感情のこもっていない声で、浄海は切り捨てた。
浄海入道
クローン
クローン
クローン
深山桜
柔らかく微笑む彼女に、桜はなんとか否定する。
深山桜
深山桜
深山桜
自分に言い聞かせるように、桜は力強く、目の前の彼女を拒絶する。 だが……
八ツ木博士
クローンの隣に並んだ八ツ木が、あざ笑うような言葉を投げかける。
八ツ木博士
八ツ木博士
八ツ木博士
八ツ木博士
息長姫子
博士の言葉を遮るように、姫子の力強い言葉が響く。
だが、ノイズがかかったようにかすれていて、ひどく聞き取り辛い。
八ツ木博士
八ツ木博士
八ツ木博士
八ツ木博士
深山桜
闇雲に彼等の言葉を否定する。 だが桜はそれ以上の言葉が続かない。
理屈ではなく本能で、目の前の彼女を求めていた。 ずっと探し続けていた妹に、桜はすぐに駆け寄りたかった。
詩織
トン……
詩織が一歩踏み出す。 桜は、最愛の妹に駆け寄ろうとして──
グイッ
後ろに引っ張られた。 そのまま浄海に担ぎ上げられる。
浄海入道
佐渡泉
佐渡がデスクから身を乗り出すが、詩織に止められる。
詩織
詩織
佐渡泉
佐渡は舌打ちして、追走を諦める。
深山桜
離して── 離さないで──。
本能と理性がせめぎ合う。 肉体の支配はかろうじて理性が勝ち、抗うことはなかった。
浄海入道
八ツ木博士
先程の羽黒のように、八ツ木はわざとらしく笑う。 小さな体が細かく震える。
八ツ木博士
八ツ木博士
浄海入道
浄海入道
浄海入道
浄海は桜の言葉を聞かず、後ろを向いて駆け出していく。
詩織
後ろから、あの頃と同じ優しい声が投げ掛けられる。
息長姫子
脳内で姫子が何か語りかけているが、桜に届くことは無かった。