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月村冬美
江藤が死んだという知らせがもたらされてから、ずいぶんと時間が経過していた。
何かあればまた誰かが呼びに来るだろうと高を括っていたが、あいにくあれから襖を叩く者はいない。
廊下は不気味なほど静まり返っているかと思えば、時折どこからか怒号のようなものが聞こえてくる。
月村冬美
ただ部屋で膝を抱えているだけの時間は、精神を摩耗させるだけだ。少し様子を見に行った方がいいかもしれない。
まあ、伝えに来ないということは、事態は何も進展していない――あるいは、伝える余裕もないほど悪化しているかのどちらかだ。
月村冬美
重い腰を上げ、部屋を出た途端だった。
飯塚詩織
反対側の男子部屋から、飯塚のヒステリックな叫び声が響いた。
月村冬美
嫌な予感が背筋を走る。私は意を決して、少し開いていた襖に手を掛けた。
部屋の中は異様な熱気に包まれていた。
飯塚詩織
飯塚が顔を真っ赤にして叫んでいる。
根岸彩乃
根岸が震える手で口元を覆う。
女子生徒
女子の一人が必死に弁解しようとするが、それを浅木が怒鳴り声で遮った。
浅木豊
女子生徒
修羅場だ。私は恐る恐る声をかけた
月村冬美
香川麻由美
振り向いた香川さんの顔は蒼白だった。
そして、彼女たちの足元を見て、私も言葉を失った。
月村冬美
人だ。みんなの真ん中に、大の字になって倒れている男がいる。
確か……この家に着いたときに出迎えてくれた、あの村人だ。
月村冬美
香川麻由美
香川さんが唇を震わせながら事情を説明してくれた。
この男が包丁を持って豹変したこと。浅木が警棒で応戦したこと。そして今、瀬崎と高島が先生たちを呼びに行っていること。
月村冬美
事態は思った以上に悪化している。
この男が殺人鬼であれ何であれ、警察沙汰は免れない。
私は倒れている男を見下ろした。浅木は「気絶しているだけ」と言っているが、その体はピクリとも動いていない。
月村冬美
違和感を覚えた私は、無言で男のそばにしゃがみ込み、首筋に指を当てた。
飯塚詩織
飯塚が汚いものを見るような目で私を見るが、構っていられない。
指先に意識を集中させるが……
月村冬美
香川麻由美
香川さんが不安そうに覗き込む。
月村冬美
香川麻由美
浅木豊
苛立ち紛れに答える浅木だったが……
月村冬美
浅木豊
部屋の空気が凍りついた。
私の指先が捉えるはずの生きている証拠が、どこを探しても見当たらないのだ。
月村冬美
浅木豊
浅木が私を乱暴に突き飛ばし、自ら男の首筋や手首をまさぐる。
数秒後、彼の手が小刻みに震え始めた。
浅木豊
香川麻由美
香川さんの声が裏返る。
飯塚詩織
飯塚が叫ぶと、浅木は弾かれたように顔を上げ、血走った目で私たちを睨みつけた。
浅木豊
飯塚詩織
浅木豊
浅木は必死だった。いつもの傲岸不遜な態度はどこへやら、今はただ、自分の罪を正当化することに全精力を注いでいる。
浅木豊
月村冬美
殺気すら帯びたその剣幕に、一同は無言で頷くしかなかった。
こんな風に取り乱す浅木の姿なんて初めて見た。だが無理もない。
形はどうあれ、彼は今、人を一人殺してしまったのだ。その精神的負荷は計り知れないだろう。
……もっとも、私にはそれが滑稽な保身にしか見えなかったけれど。
根岸彩乃
沈黙に耐えかねたように、根岸が提案した。
香川麻由美
確かに死体と同じ部屋にいるのは、さすがに御免だ。
浅木豊
浅木が力なく答える。
香川麻由美
その言葉を機に、私たちは逃げるようにその部屋を出た。
月村冬美
荷物をまとめながら、私は重い溜息を吐いた。
左の男子部屋に合流するため、最低限の着替えや貴重品をバッグに詰め込む。
部屋に残っているのは、私と根岸、そして飯塚の三人だけだ。
根岸彩乃
根岸がバッグのジッパーを乱暴に閉めながら毒づく。
飯塚詩織
根岸彩乃
さっきまで死体を前に震え上がっていた態度はどこへやら。
安全圏(と思い込んでいる場所)にいると分かった途端、この子たちは平常運転に戻るらしい。
根岸彩乃
月村冬美
自分たちは何もしないくせに、行動している人間のことは棚に上げてけなす。聞いているだけでも胃液が逆流しそうなほどの不快感だ。
根岸彩乃
不機嫌そうな視線が突き刺さる。
月村冬美
根岸彩乃
月村冬美
飯塚詩織
飯塚が横から口を挟む。
月村冬美
根岸彩乃
根岸が凄むが、今の私にはそんな威嚇は何の効果もない。
むしろ、この極限状態での低レベルなマウントの取り合いに、乾いた笑いすらこみ上げてくる。
月村冬美
飯塚詩織
飯塚が立ち上がりかけた、その時だった。
『うわぁぁぁぁあああっ!!!!』
鼓膜をつんざくような悲鳴が、廊下から響き渡った。
月村冬美
全員の動きが止まる。
根岸彩乃
飯塚詩織
根岸と飯塚が顔を見合わせる。
月村冬美
嫌な予感どころではない。全身の毛穴が粟立つような、生理的な恐怖。
私たちは恐る恐る廊下へ出た。
浅木豊
新堂章吾
廊下の向こうから、浅木と新堂が転がるように駆けてきた。
二人は私たちの存在など目に入っていないかのように、襖を強引に開け放ち、私たちの目の前を全速力で通り過ぎていく。
その顔は恐怖で引きつり、新堂に至っては腰を抜かさんばかりの情けなさだった。
飯塚詩織
根岸彩乃
呆然とする私たちの前に、今度は香川さんが現れた。彼女もまた、肩で息をしてひどく取り乱している。
飯塚詩織
香川麻由美
根岸彩乃
香川さんの絶叫に、根岸が怯える。
香川麻由美
月村冬美
思考が追いつかない。あいつの仲間? 殺された?
飯塚詩織
飯塚が悲鳴を上げる。しかし私にはまだ気になることがあった。
月村冬美
私が問いただすと、香川さんは一瞬だけ視線を泳がせ、すぐに強い口調で言った。
香川麻由美
月村冬美
香川麻由美
香川さんは必死だった。その判断は正しいのかもしれない。けれど――。
香川麻由美
後ろにいた速水さんが、泣きそうな顔で立ちすくんでいた。
速水優奈
香川麻由美
速水優奈
速水さんは抵抗しようとしたが、香川さんの剣幕に押されて口をつぐんだ。
根岸彩乃
飯塚詩織
根岸と飯塚も、我先にと走り出す。薄情な連中だ
月村冬美
細波君がまだ部屋にいるって言ってたのに……。 あいつら、自分さえ良ければそれでいいのか。
胸の奥で、やり切れない怒りと正義感が混ざり合った感情が爆発した。
月村冬美
私は踵を返し、皆が逃げてきた方向――本来は集合場所だったはずの部屋へと走った。
細波将太
月村冬美
部屋の中から、聞き覚えのある声が聞こえた。 細波君の声だ!! まだ無事みたいね。
月村冬美
私は勢いよく襖を開けた。
細波将太
村人
そこは、現実の世界ではなかった。
月村冬美
部屋の中は地獄絵図だった。畳の上、壁、天井に至るまで、鮮血が飛び散っている。
そこら中に転がった、見慣れたクラスメイトの顔。首があらぬ方向に曲がった者、腹から中身をぶちまけている者……。死体、死体、死体。
細波将太
そんな惨劇の中心で、生きている人間は二人だけ。
腰を抜かして震えている細波君と、部屋の奥に佇む一人の男。
月村冬美
細波将太
なんとか搾り出した声で呼びかけると、細波君がビクリと震えてこちらを振り向いた。涙と鼻水で顔はぐしゃぐしゃだ。
細波将太
月村冬美
村人
私は震える視線を、奥の男に向けた。黒い雨カッパを着た、遠藤とはまた別の村人だ。
男は返事をする代わりに、手にした鉈(なた)のような刃物をぶらりと下げ、ニヤリと笑った。
その目は、人間を見ている目ではなかった。獲物か、あるいはただの肉塊を見る目だ。
月村冬美
本能が警鐘を鳴らす。コイツとは会話が通じない。じっとしてたら、確実に殺される。
私は叫ぶと同時に、細波君の腕を掴んで無理やり立たせた。
細波将太
月村冬美
私たちは転がるように廊下へ飛び出し、無我夢中で駆け出した。
背後から追いかけてくる気配があるのかどうかも確認できない。ただ、あの笑顔が脳裏に焼き付いて離れなかった。
村人
静寂が戻った部屋の中で、男はひとり、血の海に佇んでいた。
男は血塗られた地獄絵図の部屋を見渡し、低く呟いた。
村人
村人
その言葉は、男以外に生きてる者の誰の耳にも届くことはなかった。