マジキチソ連の〜
ベルリン封鎖編
1948年6月24日–1949年5月12日
ベルリン封鎖から遡ること数年
ナチス・ドイツ
ナチス・ドイツ
ナチス・ドイツ
司会者
しかし、ドイツとソ連の戦争は最初はドイツ有利でしたが、連合国のノルマンディー上陸作戦成功の事もあり、戦局は、ソ連有利になってきました。
そして…
1945年4月30日 ドイツ首都 ベルリン地下壕
アドルフ・ヒトラー
アドルフ・ヒトラー
こうしてヒトラーは地上ベルリンで銃弾が飛び交う中、自殺した。
これによりナチス・ドイツはソ連、連合国に降伏した。
ドイツ人移民
ドイツ人移民
欧州市民ソ連市民
欧州市民ソ連市民
戦時中の怨みなどから暴行され、亡くなったドイツ系移民も沢山いました。
その事もあり、ドイツ本国にはたった200万人がドイツ本国に辿り着けずに亡くなりました。
司会者
司会者
戦後、ドイツ本国も相当で 戦争で疲弊した中、ソ連軍がドイツに侵入するなどして、ドイツ国内はカオスを極めました。
イギリス、チャーチル
戦後、ソ連と米英の仲が微妙になり遂に 1946年にチャーチルの鉄のカーテン演説 1947年にアメリカのトルーマンドクトリン発表により遂に冷戦に突入しました。
アメリカ
アメリカ
アメリカ
ソ連、スターリン
アメリカのマーシャルプランを危険視したスターリンは、東欧諸国にソ連の軍事力で圧力をかけてマーシャルプランに参加しないようにし、東側コミンフォルムを設立しました。
アメリカ
イギリス、チャーチル
ソ連、スターリン
これにも対抗してソ連も東ドイツの独立を検討しました。
ソ連、スターリン
アメリカ
しかし、ここで問題が出てきます
実際、通貨はただの紙切れで、通貨が信用されるには経済力の裏打ちがいります
つまり、西側通貨には強力なアメリカ経済の裏打ちがあって、なんでも買えましたが、ソ連の東側通貨では何も買えませんでした
その為ベルリン市民は誰も東側通貨を使いたがりませんでした。
ソ連、スターリン
ソ連、スターリン
そうしてドイツ東部の西ベルリンは封鎖され、こうして全西ベルリン市民を人質にとってソ連は西側諸国に自分の要求を呑ませようとしました。
しかし、アメリカの反応は
アメリカ
といった感じでした
アメリカは西ドイツに世界最大クラスの空輸作戦を立案しました。そして遂にヨーロッパ中から輸送機がかき集められ、空輸作戦が実行に移されました。
これに対しソ連も戦闘機を輸送機ギリギリにまで、接近し、威嚇するなどしましたが、西側諸国を戦車数で圧倒するソ連でも流石に核を保有しているアメリカと戦争する訳にはいかず、威嚇だけで済みました。
またこれにアメリカも対抗し
アメリカ
てな感じで逆にソ連軍を脅しました。
ソ連、スターリン
流石にこれにビビったソ連はベルリン封鎖を解除しますが、冷戦はこれからも継続していきます
でめたし、でめたし
コメント
2件
そりゃあ久しぶりに書いたからねぇw
久しぶりに見たわぁ塊さんの