テラーノベル
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この街を走る単線の電車は、
たった4両しかない。
東京の電車は10両以上繋がっていて、
しかもそれが地下を走っているというから、
都会と田舎の差を感じてしまう。
しかも、この街の駅と駅は、
やたら離れている。
1駅だけの移動でも、
電車に10分以上、 乗っていなければならない。
東京では隣駅まで1分と かからないところもあるという。
その距離で駅が必要なのだろうか。
と思ってしまうのは僕が 田舎者だからなのだろうか。
どうでもいいことを考えていると、
窓の外にキンモクセイの花が流れた。
キンモクセイを過ぎると
隣駅まであと1分なのだ。
途端に鼓動が早くなったような気がした。
田舎のしょぼくれた鉄道事情には とっくの昔に慣れたけど
この胸の感覚には未だに 自分でも戸惑ってしまう。
キイィ、と甲高い音に続いて
ゴトンッと車両が揺れて止まる。
空気を吐き出すような音と共にあいたドアの向こうから
2、3人の乗客と共に乗ってきたのは、
キンモクセイの香りだ。
正確に言うと、キンモクセイの香りを纏った一人の女の子が、
同じ車両に乗り込んできたのだった。
鼓動がもう一段階、 ギアを上げる。
乗り込んできた女の子は
ちらりと僕に目を向けて、
僕が座っているのとは反対側の窓際のシートに腰を下ろした。
再び空気を吐き出すような音と共にドアが閉まり、
4両編成の田舎列車が重い腰を上げ、 ゆっくり動き始める。
彼女
小さな鈴の鳴るようなその声は、
いつ聞いてもそわそわする。
答える声が上ずってしまわないように
最初の頃は苦労した。
僕
僕
彼女
彼女
こうして、僕と彼女の隣駅までの10分間は始まる。
高校から帰る電車の中で彼女を見かけたのは、
春休み明けのある日だった。
僕は決まって、
4両編成の電車の前から2両目に乗る。
シートに座る位置も、いつの間にか決まっていた。
そしてある日、僕の乗る2両目に彼女が乗ってきたのだ。
簡単に言えば、一目惚れだった。
艶のある黒髪は肩より少し長く、
毛先の方だけ軽く波を描いている。
肌は白く、
近くでマジマジと見た訳ではないけれど、
長い睫毛をしていた。
見覚えのある制服は
僕が通う高校がある町の
ひとつ隣の街にある高校のもの。
女子は学年別にリボンの色が違っていて、
彼女のリボンはえんじ色だから、
僕と同じ2年だと分かった。
彼女がこの電車に乗るのは、1駅だけ。
僕が乗る駅の次の駅で乗ってきて10分後には降りていく。
毎日の下校時に訪れるその10分を
僕がどれだけ楽しみにするようになったか、
彼女はきっと知らない。
気持ちを伝えることなんて出来ない。
僕は存在感が薄い。
だから彼女が僕を相手にしてくれることなんてないだろうと思っていた。
それでも僕は夏が始まる頃、
なけなしの勇気を振り絞って
彼女に話しかけた。
僕
いや
話しかけることが
できた。
応えてくれるはずがない。
そう思いながらも、
どこかで期待しながら、
絞り出した声は
信じられないことに彼女に届いた。
彼女
驚いたような瞳が
確かに僕を見つめた。
彼女の瞳が
僕の姿を映したことに
話しかけた僕の方が驚いてしまった。
彼女も僕と同じくらい戸惑っていたようで
初めの頃の会話はお互いに手探り状態だった。
それでも同じ高校生で同い年という共通項があったから、
打ち解けるまでに、思っていた以上の時間はかからなかった。
と、思う。
共通項と言えばもう1つ。
彼女と僕には意外な共通点があった。
それはここで出会う少し前に2人とも失恋したということだった。
彼女
膝の上で両手の指先を遊ばせながら、恥ずかしそうに彼女は呟いた。
彼女
彼女
彼女
彼女
「けど」の後に続くであろうと言葉を、
僕は聞かなかった。
かわりに、自分の想いが敗れたことを話したのである。
彼女のように勇気をだして気持ちを伝えた訳では無い。
いいなと思っていた女の子に実は彼氏がいて、
告白する前に振られることを確信した、
という、苦い思いを味わっただけだったのだが、
それを話すと彼女は切なさそうに微笑んで言ったのだ。
彼女
彼女
その瞬間に、いよいよ本気で僕は恋に落ちた。
それからだ。
夕暮れに彼女と10分間だけ共有する時間が今まで感じたことの無いほど、
かけがえのないものになったのは。
彼女
彼女
彼女
僕
彼女
彼女
彼女との会話の内容は、本当に何気ないことばかりだ。
昔の想い出だったり、
最近食べた美味しいものだったり
明日の体育が持久走で憂鬱だということだったり。
最初の頃に比べると僕も随分 気楽に話せるようになった。
けど、彼女の隣に座る勇気はない。
電車に乗ってくるのは彼女の方があとなので、
僕が移動するのもわざとらしい。
第1、そんなことをして彼女に嫌がられたり、
手の届かないところへ逃げられたりしたら
立ち直れなくなる。
意気地なしと言われるかもしれないけれど
それでもようやくマトモに会話出来るようになったこの関係性を僕は壊したくないのだ。
結局、今日も彼女との微妙な距離を保ったまま、僕は無難な話を続ける。
僕
僕
彼女
彼女が僕の学校のことを知ってくれている。
そんな些細なことが、今はこそばゆい。
僕
僕
僕
僕
僕
僕
と、そこで僕は言葉を飲んだ。
彼女の顔が、
見る間に曇ってゆくのが見えたからだ。
リスを思わせる小動物系の顔に似つかわしくない暗がりができる。
僕
血の気が引いた彼女の顔を覗き込むようにして尋ねる。
白い手で両ひじを抱くようにして、彼女は身を小さくさせた。
彼女
彼女
そう言って彼女の顔はますます青くなる。
彼女
ぼつりとこぼした彼女が両手で頭を抱える。
苦しそうな様子を見て、僕は後悔した。
僕
僕
僕は慌てて話題を変えた。
かなり無理やりだったけど、時計塔の度胸試しをした友人たちと肝試しをした話にすり替える。
脅かすつもりで神社の茂みに息を潜めていた友人を放ったらかしにして、逆ドッキリで驚かせた話に、ようやく彼女は笑みを浮かべてくれた。
彼女
正面からそんなことを言われて、一瞬答えに詰まってしまう。
でも、言いたいことは言っておいた方がいい。
僕
彼女
彼女
彼女
彼女
面と向かってそんなことを言われると、さすがに気恥しい。
彼女の微笑みを注視できなくなって、
僕は視線を横にズラした。
やっぱり意気地ないと言われても仕方がないかもしれない。
それでも彼女の瞳が僕を映して
彼女が僕に向かって笑いかけてくれる。
今は、それだけでいいと思ってしまうのだ。
たとえ、僕と彼女のいる場所が遠く離れていたとしても。
この先、僕と彼女の距離が1ミリも縮まらなかったとしても。
キンモクセイはいつの間にか香らなくなっていた。
かわりに鼻先を漂ったのは湿っぽい土の匂いだ。
夕暮れの闇が少しだけ深くなった車窓。
無数に浮かび上がった墓石が
電車の前進に合わせて次へ次へと後ろに流れてゆく。
その速度が緩やかになったかと思うと
電車がガタタンっと揺れて小さなホームに停車した。
窓から見える駅名表には
「嶺福寺(れいふくじ)」
と記されている。
駅前には広大な墓地を抱えた同じ名前の寺があって
そこが彼女の帰ってゆく場所なのだった。
彼女
僕
シートから立ち上がり、開いたドアに向かう彼女に手を振り返す。
彼女が車両を降りた後、ドアは僕と彼女を隔てるように無機質な音を立てて閉まった。
ホームに降り立った彼女が
切なげな表情で振り返る。
込み上げてくる寂しさを押し殺して、僕は手を振り続けた。
彼女
僕には聞こえなかった。
いや、聞えさせてはくれなかった。
電車が再び走り出し、
白い手を振る彼女の姿が、あっという間に闇に溶けてゆく。
もう、いくら目を凝らしても彼女の姿を見つけることは出来なくなっていた。
墓地とお寺から漂ってくる線香かなにかの匂いが、
僕を追い払おうとしているかのように長く残っていた。
僕と彼女が出会うはずはなかった。
彼女とは住んでいる世界が違うから。
生活が混じり合うことなどあるはずが無い。
隣駅までの時間が 永遠に10分であるのと同じ。
隣なのに遠くて
手が届かなくて
決して縮まることもない。
それが、出会ってしまった僕と彼女の距離。
永遠に隣に行くことができない。
それが、僕と彼女に定められた、
巡り合わせなのだ。
彼女と話している10分はとても短いのに、さらに次の駅まで乗る1人だけの10分は 酷く長い。
時間の重さがあるとしたら、これ以上に重い時間は僕にとってそうそう存在しない。
自宅最寄りの駅へ電車が近づくにつれ、
少しずつ少しずつ時間が重さを増してゆく。
やがて、電車が停まる。
ガタタン、タン。
震えて開いたドアから、僕は足音も立てずにホームへ降り立った。
深まった夕暮れ時の間延びしたホーム。
僕の足元には影さえ落ちない。
駅員のおじさんにひょっこりと頭を下げただけで改札を抜け
僕は自宅への道をとぼとぼ歩いた。
明日も会えるに違いない。
けれど会えるだけで近づくことのない彼女の顔が何度も頭に浮かんで仕方がなかった。
僕
玄関から家の中に入ると、鼻先に暖かい匂いが流れてきた。
今夜の献立は焼き魚と肉じゃがのようだ。
台所に入っていくと、食卓には既に3人分の食事が用意されている。
案の定、僕の好物の肉じゃがと、ほうれん草のおひたしと、今まさに、グリルから取り出されたばかりらしい焼きサバかま行儀よく並べられ、
それに背を向ける形でコンロに向かう母さんが、
味噌汁をよそっているところだった。
3つのお椀を味噌汁によほったところで母さんの目が壁にある時計を確認する。
僕の母
母さんが、呟いた直後
玄関の扉が開く音がした。
振り返った母さんの顔に
やっぱりね。 と言わんばかりの笑みが宿る。
僕の母
という母さんの声に
僕の父
と返しながら、
台所に父さんが入ってきた。
その顔にも笑みが浮かんでいる。
似た者夫婦だ。
僕の父
僕の母
ネクタイとシャツの袖口をボタンを外した父さんが食卓にはつく。
母さんが3つの茶碗にご飯をよそい始めた時、階段を足音が下ってきた。
僕の妹
僕の父
降りてきたのは僕の妹だ。
中学三年生の受験生で、
「受験勉強にはエネルギーがいるの。」
と言って最近 ご飯の盛りが良くなった。
僕の母
「「いただきまーす」」
母さんと父さんと妹が、手を合わせて3人で食事を始める。
そこに僕の分はない。
多分、母さんのことだから先に用意してくれたはずだ。
家族には僕の姿は見えていない。
僕の姿が見えるのは、
電車で出会うあの彼女だけだ。
なぜ彼女に僕の姿が見えるのかは、分からない。
ただ、いつか彼女が言っていた。
「寂しい気持ちが引き合ったのかも」
という言葉に少しだけすがりたいと思ってしまう。
家族のそばにいるのに声が届かない。
このやるせなさを埋めたくて。
僕は3人の元を離れて
ふすまに隔てられた隣の部屋に向かう。
閉まったふすまを通り抜けてその部屋に入ると
畳の匂いがほのかに香りたった。
そこに、今度こそ線香の匂いがまじる。
それと肉じゃが。
どちらも和室の奥にしつらえられた小さな仏壇から漂ってくる匂いだった。
そっと仏壇に近づくと、
母さんが供えてくれたのだろう肉じゃがが、まだ湯気を立てている。
僕が肉じゃがを好きだから、こうしてたまに作ってくれるのだ。
その湯気が当たるところに、小さな写真立てが置かれていた。
フレームの中で寂しそうに笑う僕に、僕は、やっぱり寂しく笑いかける。
僕
僕
僕
僕の孤独な笑顔は湯気の向こうにかすんでしまって、もう、よく見えなかった。
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