この日、早めに仕事を切り上げた渡辺は、あることを調べに図書館へと寄っていた。
渡辺
(先日送られてきた平成26年11月4日を読んで、少しばかり引っかかったことがある)
渡辺
(意図的かどうかは分からないけど、少しずつ小出しにヒントを出されているような気がするんだよなぁ)
とりあえず図書館の席をキープすると、喫煙室へと向かう。
渡辺
(まず気になったのは信号機の表現だ)
渡辺
(作中では、赤、黄、青と縦に並んだ信号機……という表記がある)
渡辺
(つまり信号機は横型ではなく縦型ということになる)
渡辺
(縦型といえば、電車の信号機なんかを連想するけど、シンジが信号待ちをしていたのは、一般道)
渡辺
(原付に乗っていた友人から声をかけられていることを考えても、間違いなく一般道のはず)
渡辺
(じゃあ、縦型ってどういうことか。普通、よく見る信号機は横型がほとんどだ)
渡辺
(で、調べてみて理解した)
渡辺
(どうやら、雪国……それも豪雪地帯では、縦型の信号機が採用されているらしい)
渡辺
(理由はいたってシンプル。横型にすると雪がつもり面積が大きくなり、下手すると重さで信号機が折れてしまうから)
渡辺
(縦型にすることで、雪のつもる面積を減らし、信号機が折れないようにしているそうだ)
渡辺
(よって、事件が起きたのは雪が降る地域、しかも豪雪地帯に絞ることができる)
昨今は電子タバコなるものが出てきたが、渡辺は紙巻きの煙草を好んで吸っていた。
そろそろ調べものに着手しようとした時のこと、渡辺のスマホに着信。
渡辺
おう、進藤。
仕事終わったか?
進藤
先ぱーい。
もう図書館ついたんですけどぉ、どこにいるんですかぁ?
すでに会社は退職しており、今はアルバイトで食い繋いでいるとか。
今回の調べものに人手が必要そうだったので、食事をご馳走するというのを条件に声をかけてみたら、ふたつ返事で手を貸してくれることになった。
渡辺
あぁ、すまん。
喫煙室にいるんだ。
進藤
まだ煙草とか吸ってるんですか?
渡辺
あぁ、悪いけどちょっと段取りを話したいし、喫煙室まで来てくれないか?
進藤
まぁ、別にいいですけどぉ。
そこで電話を切ると、しばらくして喫煙室に女性が姿を現した。
渡辺
悪いな進藤。急に呼びつけちゃって。
進藤
いいんですよぉ。
回らないお寿司のためなら頑張りますぅ。
渡辺
ま、回らない寿司なんて一言も言ってないけど。
進藤
えー、駄目ですよ。
もう朝から回らないお寿司の口になってますもん。
渡辺
ま、まぁ……出来高制ということで。
渡辺
場合によっては、その……多少回るかもしれない。
渡辺
寿司が。
進藤
私、都合の悪いことは聞こえないんです。
渡辺
そりゃ、随分と都合のいい耳をお持ちで。
渡辺
とにかく、ざっと概要を話すぞ。
進藤
それで、私は具体的になにをすればいいんですかぁ?
渡辺
ある地域の新聞のアーカイブを調べたい。それを手伝って欲しいんだ。
進藤
えー、だって分かってることは、事件が起きた地域が豪雪地帯だってことくらいじゃないですか。
進藤
雪が降る地域なんて、北に行けばほとんどじゃないですかぁ。
渡辺
いや、実は具体的な県までなら推測できているんだ。
進藤
具体的な県?
渡辺
あぁ、ここの一文を見てくれ。
渡辺
作中で駐在が口にする言葉なんだけど……。
進藤
【そろっと】って言葉ですか?
なんか、ニュアンス的にゆっくり……とか、そういう意味に思えますけどぉ。
渡辺
これ、最初見た時に違和感があったんだ。
渡辺
そもそも、この日比野響という人物は、基本的に標準語を基準にして書いてる。
渡辺
まぁ、物書きの基本なんだろうけど、この表現、調べてみて分かったんだよ。
渡辺
方言だってな――。
渡辺
これ、どうやら意味としては【そろそろ】と同義に扱われているらしい。
進藤
方言?
どこの方言なんですかぁ?
渡辺
――新潟だよ。
渡辺
どうやら、この方言は割りかし日常的に使われているものらしく、県民の中にはそもそも方言だとは思っていない人も多いらしい。
進藤
つまり、日比野さんも無意識に使ってしまった可能性があるってことですか?
渡辺
あぁ、意図的にやっているのでなければ、この間違いは新潟の人間にしかできない――ってことになる。
渡辺
そして、新潟の中でも雪の降り方には違いがあってね。
渡辺
おそらく、事件が起きたのは雪が多く降る長野寄りの地域。
渡辺
新潟の中越地区、もしくは上越地区の可能性が高い。
渡辺
でもって、新潟にある新聞社は支社を含めると全部で9社。
渡辺
その内、上越と中越の情報を扱っているのは、新潟日報、上越タイムス、長岡新聞、柏崎日報、十日町新聞、津南新聞だ。
進藤
えっと、もしかして……。
渡辺
そう、これらの新聞のアーカイブ……平成26年11月頃の記事を調べて、日比野響が関与したであろう事件を探すんだ。
進藤
えー、日が暮れちゃうじゃないですかぁ。
渡辺
だから手伝いを頼んだんだよ。
渡辺
ちなみに、芒尾という名前を念頭に調べる必要はない。
渡辺
作中で母親は別姓だったということが判明しているからな。
進藤
名前で検索しようとしても無駄ってことですかぁ?
渡辺
そういうこと。
だけどさ、一定の地域で、殺人事件なんて何件もあるもんじゃないだろ?
渡辺
そこまで調べるのに時間はかからないはずだ。
進藤
でも、なんで事件のことを調べようと思ったんですかぁ?
進藤
先輩のお仕事には関係ないですよね?
渡辺
あぁ、別にいちユーザーのことを掘り下げても、俺にひとつも得はない。
渡辺
ただ、強いて言うなら……。
進藤
強いて言うなら?
渡辺
俺の知的好奇心ってやつかな。
渡辺
気になったことはきっちり調べないと気が済まないんだよ。
渡辺
よし、それじゃあ手分けして始めよう。
渡辺がそう言うと、静かな図書館の喫煙室に、彼女のため息が大きく漏れたのだった。