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読んでて映像が浮かんでくる。素敵な作品です。ありがとうございました
昔ながらの文化住宅──
私は自分の家が嫌いだ。
貧乏臭くて、恥ずかしくて
だから友達になんか知られたくなかった。
部屋の間取りはタタミ六畳二間と、キッチンダイニングのいわゆる2DKだ。
家の中心であるダイニングキッチンの床は、悪趣味なオレンジ色のビニールクロスが貼ってあって、
自分の部屋に行くにも、風呂場へ行くのも、ここを通らなければならなかった。
辛辣なオレンジ色は、私を不愉快な気分にさせた。
風呂場の脱衣場はというと、分厚いアコーディオンカーテンで仕切られているだけ。
そこにトイレもついてた。
よって、私の着替え中はトイレを我慢してもらわなきゃならない。
だが一番の問題は、何をおいても、玄関が流し台のすぐ横にあることだ。
下駄箱はパパが組み立てた緑のカラーボックス。オレンジの床に緑の箱って…どうよ?と、常々思う。
玄関とダイニングキッチンの間には間仕切がないから、部屋の中が丸見えだった。
食事中に誰かが来ると、お客と目が合うから気まずい。お客はもっと気まずいだろう。
当然のことながら文化住宅は音漏れも甚だしく、当然、洗濯機も外にある。
したがって、女子が住むには
あまりに無防備で
あまりに丸見えで
プライバシーなどといったものはまるで存在しなかった。
ここにパパと私の二人
そして──
女が一人、居候(イソウロウ)していた。
さて、
居候女のことだが
物心ついたころから家に出入りしていた。
性格は物静かというより無口。
私たちの食事の間も、寝ている時も、それは変わらない。
まるで、昔ながらの女中さんのように慎ましく
部屋の隅でじっと正座していることが多かった。
女はどこか淋しげで
真っ黒い瞳はいつだって遠くを見つめていた。
年に数度、彼岸と盆の辺りの一週間程度いなくなる時がある。
大概帰ってくるとベランダの外からじっとこちらの様子を窺っていて
気づくと部屋の隅っこで正座していた。
お昼間は私は学校、パパは仕事に出ているから
日中の女の行動は不明だ。
いつだったかの参観日は、母親たちの間に紛れて立っていて
これにはさすがの私も驚いてしまった。
女は幼いころから当たり前のようにいるもんだから
私にとっては空気と同じ。
いつも居る人くらいにしか思っていなかった。
そんな中──
女が幽霊だとはっきり認識したのは小学生の終わりごろのことだった。
あの日、私はいつものように登校すると、
どおいうわけか、教室の前の廊下に人だかりができていた。
先月行った遠足写真を張り出され、生徒たちがわいわい言いながら見ていた。
男子
女子
美奈
女子
女子
みんなが見ていたのはクラスごとに撮った集合写真。
私はつま先立ちしながら生徒たちの頭越しに写真を見た。
美奈
よく知った淋しげな顔が
木の間から顔を出しているではないか。
しかもあり得ないくらい高い位置で宙に浮いていたのだ。
──迷ったあげく
私は写真を申し込んだ。
一ヶ月後
女が写りこんだ写真が手元に届いた。
これまでパパに面と向かって居候女について尋ねてみたことがなかった。
なんとなく触れてはいけない気がして、曖昧にしていたからだ。
だから、今夜こそ、はっきりさせようと思った。
私は仕事から帰ってきたパパをつかまえ、意を決して問いかけた。
美奈
美奈
パパ
パパの鼻先に写真を突き出す。
美奈
パパ
パパは眼鏡をかけ、写真に目を落とした。
パパ
パパ
パパ
驚いたことに、パパは先生と同じことを言ったのだ!
美奈
美奈
美奈
私の口調が強くなる。
パパ
美奈
パパ
パパ
パパ
パパ
パパはすぐに話題を変えてしまった。
消化不良!
『行きたくない!!』と感情的になって言うと、
私はすぐに自分の部屋に引きこもってしまった。
その夜
くぐもった呻き声を聞いて目を覚ました。
苦しそうな声は、パパが寝ている続き部屋から聞こえてきていた。
驚いた私は襖を開けた。
目に飛び込んできた光景は
ま月明かりが射し込む中
女がパパの上に正座し
掛け布団の上から、寝顔を覗きこんでいる姿だった。
パパ
美奈
無表情な黒い瞳がこちらを向いた。
美奈
私は思わず拳を振り上げた。
女は掛け布団から降りると、すっとベランダへ移動する。
10センチほど開いた窓の隙間を通り抜け、夜の中に消えてしまった。
翌朝
パパは何事なかったようにケロリとしている。
そして居候女の姿もなかった。
週末
病気で寝たきりになったおじいちゃんのお見舞いも兼ねて、
ママの実家に遊びに行った。
パパ
家の前まで来て、パパはお土産イチゴを手渡した。
パパは私がピンポンするのを見届けると、来た方角に引き返した。
パパの背中が角を曲がる。図ったように玄関ドアが開いた。
おばあちゃん
おばあちゃん
出てきたおばあちゃんは、私の顔を見るなり言った。
ママの実家は、銀行勤めをしていたお祖父さんが建てた一戸建て住宅だ。
けして新しいとはいえないが、私たちが住んでいる文化住宅よりずっとずっと綺麗で立派な家だった。
美奈
美奈
私は居間に通されると、おずおずと手土産のイチゴを手渡した。
おばあちゃん
おばあちゃん
──居間の奥の戸が開いた。
ママ
奥の和室からママが出てきた。
ママ
ママ
美奈
お母さんはおばあちゃんと同じことを言った。
おばあちゃん
おばあちゃん
ママ
ママ
ママ
ママ
おばあちゃん
おばあちゃんは私に気を遣っている。
美奈
妙な間──。
ママ
ママ
ママ
ママはずいぶん前に再婚していた。
だから
新しい家族がだいじ──
美奈
ママ
ママ
ママ
ママ
また今度──
いつもまた今度。
美奈
美奈
今度なんかない
おばあちゃん
おばあちゃん
おばあちゃん
ママ
ママ
ママ
ママ
ママ
私は唇をかみしめた。
ママの新しい家族のところに
私の居場所なんてないのにね。
それにパパをぼっちにできない。
ママ
嫌だよ。
でも…ママのところじゃ私も同じ……
ふと居候女が目に浮かぶ。
部屋の隅っこにいるしかないじゃない。
おばあちゃん
おばあちゃんは言い過ぎだとばかりにママをにらみつけた。
おばあちゃん
美奈
私は涙がこぼれ落ちそうになるのを必死でこらえた。
翌日になって
パパが迎えに来た。
パパの日焼けした顔を見たら、こらえていた涙が止まらなくなった。
パパ
美奈
パパうんうんとうなずいた。
私の頭を撫でながら笑って言った。
パパ
パパ
えっ
美奈
パパは「いいから いいから」と言ってあとに引かない。
私は仕方なしにパパの背におぶさった。
パパ
美奈
美奈
パパ
美奈
美奈
パパ
パパ
パパ
人はいつか死ぬものだから
だから
今を一生懸命生きるんだ。
前を向いたままパパは言った。
美奈
美奈
パパがいなくなったら
私もぼっち
パパ
パパ
パパ
電車を乗り継ぎようやく家路に着いた。
私は家の匂いをかいでほっとした。
嫌いだけど
やっぱり自分の家が一番だ。
そして
部屋の隅には──
いつものように居候女が静かに座っていた。
半年後
中学に上がった夏の暑い盛りに
おじいちゃんは亡くなった。
葬儀会場にはママの親戚や銀行の関係者、こ近所さん、大勢の参列者がいた。
私とパパは後の席に座る。
一番前に
喪主のおばあちゃんと一人娘のママ
そして──
ママの新しい家族が座っていた。
二人の小さな子供たちはじっとすることができず、
仮にも行儀がよいとはいえなかった。
お坊さんがお経をあげている間じゅう、
ママはしきりと小さな声で叱りつけていた。
パパ
パパ
パパは心なしかすまなそうだ。
美奈
美奈
ここに、私たち親子の居場所はなかった──。
引き出物と
お浄めの塩をもらった。
外は陽射しがきつかった。
緑まぶしい街路樹に
セミがミンミンとやかましく鳴いている。
地元に帰ってきたころには、二人とも汗だくになっていた。
パパは喪服の上着をぬぎ、ネクタイをゆるめた。
パパ
美奈
パン屋さんの隣にある間口の狭い蕎麦屋。
我が家の外食といえばもっぱらこの店だ。
パパ
パパ
美奈
パパは蕎麦をあてに
ビールを飲んだ。
そして、ため息をつく。
パパ
パパは突然話し始めた。
美奈
パパ
パパ
パパ
パパ
パパ
パパ
パパ
パパ
パパ
パパ
パパ
パパだけが悪いんじゃない。
美奈
美奈
美奈
美奈
美奈
美奈
美奈
美奈
美奈
パパは肯定も否定もせず、
少しの間、黙っていた。
パパ
パパ
パパ
パパ
パパはビールをぐいっと飲み干し
机にコップを置いた。
パパ
パパ
私は中学を卒業したら働くと言ってみた。
しかし、パパは私の考えをきっぱり否定した。
パパ
パパ
パパ
家の前で浄めの塩をふった。
玄関を開けて家の中に入る。
部屋の隅にいるはずの居候女はいなかった。
夜になっても女は帰ってくる気配はなかった。
蒸し暑く、寝苦しい真夏の夜。
壁がぺらぺらの文化住宅の夏は本当に辛い。
だから夏の間だけ
クーラーのあるパパの部屋に寝床を移す。
この時ばかりは
イビキも我慢する。
いつものようにパパと布団を並べ
ふと思った。
そうか
居候女が帰ってこないのは
塩のせいかもしれないと。
私は思い立つと自分の部屋にいき、ベランダのある窓をほんの少しだけ開けておいた。
パパ
美奈
布団に入るなりパパはグーグーイビキをかき始める。
うるさいなと思いつつ
私もいつの間にか眠りに落ちていた。
寒い……
寝ていて寒さを感じた。
クーラーの効きすぎだろうか
夢うつつでそんなことを思った。
どうにもこうにも寒く、
鼻の頭がひんやりと冷たい。
私は寒さで目を覚ました。
美奈
居候女が
私のひたいを撫でていた。
ゆっくり
首を傾け
遠い目が覗き込む。
口もとが少し開いている。
何かを言いたくて
言えない。
そんなふうに見えた。
美奈
私は思わず聞いた。
女は瞬きする。
美奈
美奈
死んじゃった?
女は黙っている。
美奈
女は首をかしげる。
美奈
女は立ち上がった。
美奈
女は足音もなくスッと
襖の隙間から消える。
美奈
私はがばりと起き上がった。
襖を開けると
女はすでにベランダ窓から外に出ていた。
私は女の背中を夢中で追いかけた。
どこをどう行ったか
気づいた時には
うらぶれた墓場に来ていた。
青黒く茂る木立の間から月明かりがこぼれ落ちていた。
淡い光の中に浮かび上がった墓石は、そのどれもが古く朽ちて苔むしていた。
中には、小さな石を積み上げただけの墓もあった。
──ここは 忘れ去られた地。
そんな気がした。
大木の下に
大きな墓石がそびえ建っていた。
女は悲しげにそれを見上げている。
それ……
あなたのお墓なの?
み な
美 奈
パパ
パパ
あっ
美奈
私は自分の部屋の中を
ぐるくる歩き回り
わんわん泣いていた。
『美奈ちゃん』
パパは私をぎゅっと抱き締めた。
パパ
パパ
美奈
美奈
美奈
美奈
ママが出ていった直後からつづいていた
夜恐症という強い寝ぼけ。
最近は治まっていたはずなのに……
美奈
あの頃は翌朝になると何も覚えていなかった。
パパ
パパ
パパ
今は中学生だ。
だから朝になっても忘れない。
数日経って
パパ
パパ
美奈
美奈
美奈
美奈
パパ
美奈
パパ
美奈
パパ
パパ
パパ
パパ
パパ
美奈
美奈
もう何年も住んでいるのに
アパートから南側、坂を下ったところにある笹藪から先は
行ったことがなかった。
私たちはうっそうとした竹藪の縁を歩き
大回りして裏側まで行った。
辺りは青瓦の古い民家が点在していた。
ほどなくしてお寺の参道が見えてきた。
階段を上がる。
お寺なのに不思議に鳥居があった。
ずんずん歩くパパの後ろを私はついてゆく。
仏殿を過ぎて
小さな門瓦をくぐり
木立の中を歩く。
積み上げた小石に目を留めた。
美奈
美奈
パパ
美奈
私はパパを追い越し、先に立って急ぎ足で歩いた。
ご神木である楠が繁る木漏れ日の中に
切り立った岩の石塔があった。
夢に見たのはこれだ。
パパ
undefined
美奈
パパ
パパ
夢の時とは違い
掃除が行き届いていて
花や水がお供えされていた。
近くに
小さな祠がある。
ここには花だけじゃなく、菓子やジュース、ぬいぐるみなど沢山の供えものが置いてあった。
美奈
水子って?
パパ
居候女が母親だったのか
母親になれなかったのかは
定かじゃない。
言えるのは
いつも悲しそうだと言うことだけ。
パパ
夜
私は居候女のために炊きたての白いご飯と水を用意した。
茶碗と湯呑みを盆に乗せて、食卓の片隅に置いた。
私のやることを見ていたパパは目をぱちくりさせた。
パパ
美奈
美奈
美奈
パパ
パパ
パパはハハハッと、 苦笑いした。
居候女は部屋の片隅で
何事もなかったように静かに座っている。
これでいいんだ。
私たち家族なんだもの。
12月
年の瀬も押し迫ったころ
思わぬことが起きた。
おばあちゃんが初めて私たちの住む文化住宅に遊びに来たのだ。
会うのは8月のお葬式以来。
久しぶりに会ったおばあちゃんは、一回り小さくなったように思えた。
おばあちゃん
おばあちゃん
オレンジ色の床にコタツを敷いていた。
おばあちゃんはこの文化住宅の奇妙さに少々面食らっていた。
パパ
パパ
パパ
パパ
おばあちゃん
おばあちゃん
おばあちゃん
おばあちゃん
おばあちゃん
美奈
おばあちゃん
おばあちゃん
改まってなんだというのだろう。
パパと私は顔を見合わせた。
おばあちゃん
おばあちゃん
おばあちゃん
おばあちゃんは鞄から小さな冊子を出すと、コタツテーブルの上に置いた。
美奈
パパ
おばあちゃん
私たちは息を飲んだ。
おばあちゃん
おばあちゃん
おばあちゃん
おばあちゃん
おばあちゃん
おばあちゃん
おばあちゃんはパパに向き直った。
おばあちゃん
パパ
おばあちゃん
おばあちゃん
パパ
パパはそれっきり言葉に詰まった。
おばあちゃんの手を取り
そして顔をしわくちゃにしながら
何度も頭を下げた。
パパと私
そして居候女
二人と0.5人。
奇妙な同居生活は今も続いている。
家は
嫌いだ。
でも
家族は大好き。