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あの日を境に、不死川邸の空気は一変した。 実弥の態度は、怒りを超えて 「徹底した無関心」へと変わった。
ミオ
食堂に駆け込み、空の皿を指さして叫ぶミオ。以前なら「寝坊してんじゃねェ!さっさと座れ!」と皿を並べていたはずの実弥は 新聞を読みながら視線すら合わせない。
実弥
冷淡な声。鍋には確かに 人数分の飯が入っているが ミオの分だけがぽつんと取り残されている。 盛り付けという「手間」と「心」を 実弥はミオに対して使うのをやめたのだ。
また別の日。
ミオ
廊下でミオが声を荒らげる。 かつての彼は、口では「てめェでやれ!」 と言いつつも、ミオが上がる頃には風呂を沸かし 切らした備品も補充してくれていた。 だが、今の実弥は無表情のまま足を止めない。
実弥
ついに、ミオの怒りが頂点に達した。
ミオ
必死に投げつけた「お館様」という言葉。 実弥にとって最も大切な人の名を出せば 少しは動揺するかと思った。 しかし、実弥はゆっくりと振り返ると 氷のような瞳でミオを見下ろした。
実弥
一歩、実弥が近づく。 その威圧感に、ミオは思わず息を呑む。
実弥
そう吐き捨てると、実弥は再び背を向けた。
実弥
実弥の口から漏れたのは 自嘲気味な、けれどひどく冷めきった 言葉だった。 その瞳には、ミオを叱る時の熱量すら 微塵も残っていない。
実弥
突き放すような言い方ですらなかった ただの「事実の通告」。 その瞬間、ミオの全身から 血の気が引いていくのが分かった。
実弥は本気で、ミオに絶望したのだ。 嫌いになったのではない。 「どうでもよくなった」のだ。 ミオは14歳。性格が悪く 周りを撥ね退けて生きてきた彼女にとって、 唯一自分を真っ向から見据え、泥臭く 面倒を見てくれていたのが実弥だった。 その彼が今 自分という存在を人生から完全に 切り離そうとしている。
何か言わなければ。いつものように 毒を吐き、虚勢を張らなければ。 けれど、喉が引き攣れて声が出ない。 実弥の無機質な視線に射抜かれ、 ミオは初めて、自分が守られていた 温かな檻を、自らの手で粉々に 壊してしまったのだと悟った。
冷たい静寂が広がる廊下。 実弥はもう、ミオが何を言おうと 興味がないという風に、音もなく歩き出した。 後に残されたミオの足元から、 底なしの孤独が這い上がってくる。
実弥の後ろ姿が、今まで見たどんな 鬼よりも遠く、そして恐ろしく見えた。
あの日から、ミオは必死だった。 今まで一度も持ったことのない 雑巾を手に、稽古場を磨き上げた。 実弥より早く起きて、不格好ながらも 朝食を準備した。稽古中も、 どれほどきつく当たられても一度も 口答えせず、食らいついた。
ミオ
実弥
新聞から目を離さず、乾いた声で返される。
ミオ
実弥
ミオがどれほど心を砕いても、 実弥の返答は常に同じだ。「はいはい」「分かった」「ご苦労」。 かつてのように怒鳴られ、 頭を小突かれた日々が、今では贅沢な 思い出に思えるほど、その相槌は適当で、 温もりがなかった。
ミオ
ミオの目には、実弥の周りに 目に見えない巨大な壁が そびえ立っているように見えた。 自分が何をしても、その壁の表面を 滑り落ちるだけで、中には届かない。
実弥はミオが「良い子」になったことも、「謝っている」ことも理解している。 だが、一度「絶望した心」は、 ミオの反省すらも「ただのポーズ」や 「義務的なもの」として 処理してしまっているようだった。
ミオは唇を噛み締め、震える拳を隠した。 「性格が悪い」と自負していた 彼女にとって、この「透明な無視」こそが、 これまで受けてきたどんな罰よりも 残酷な拷問だった。
4年という歳月、そして「柱」への昇進。 普通なら誰もが認め、和解するはずの 輝かしい功績すら、実弥が頑なに閉ざした心の扉を開く鍵にはなりませんでした。 18歳になったミオを待っていたのは、 祝福ではなく、冷徹な「契約満了」の通知。
実弥
実弥の声には、皮肉ですらなく、 淡々とした「評価」だけがあった。 かつてのような拒絶の刺々しさはない。 それが逆に、彼の中でミオという 存在が完全に「終わった案件」であることを 物語っていた。
実弥
ミオ
ミオの喉が、引き攣れたような音を立てる。 柱になれば。認められれば。 また昔のように、騒がしくも温かい 食卓が戻ってくる。そんな淡い 期待を抱いて必死に地獄のような 修練を耐え抜いてきた。その結果が、 これだ。
実弥
実弥は、一度もミオの目を見ない。 ミオがどれほど美しく成長し、 どれほど強く、気高く羽ばたこうとしているか、 そんなことは彼にとってどうでもよかった。
「謝ったからと言って、許してもらえるとは限らない」 かつて自分が吐き捨てた毒は、 4年という月日をかけて熟成され、 今、鋭利な刃となってミオ自身の 心臓を正確に貫いた。 14歳のあの日に壊してしまったものは、 どんなに功績を積み上げても、二度と 元には戻らない。
実弥にとってのミオは、 もう「愛弟子の継ぐ子」ですらない。 ただ「成人するまで保護する義務があった、性格の悪い、二度と顔を見たくない他人」でしかなかったのだ。