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(クリスが私を待ってる? 場所が特務隊長室じゃないということは、仕事の用事とは違うのかな?)
何の用件なのだろうかと思いながら裏庭へと向かうと、シルフィードが言ったとおり、胡桃の木の下でクリスが待っていた。
「クリス、お待たせしました」
「いや、急に呼び出してすまない」
「大丈夫です。何か私に用事がありましたか?」
クリスがどこか物憂げな表情でルシンダを見下ろす。
「ルシンダに聞きたいことがある」
「聞きたいこと? 何ですか?」
クリスは珍しく、話を切り出すのを迷うような素振りを見せたが、すぐにいつもの冷静さを取り戻した。
迷っている場合ではない。
取り返しがつかなくなってからでは遅いのだ。
今、聞かなくては。
素直に質問を待っているルシンダに、クリスが真っ直ぐに問いかける。
「ルシンダは、この世界が嫌なのか? だから、別の世界を求めているのか?」
ざわりと風が吹き、ルシンダの目が大きく見開かれる。
何も言わず、互いに見つめ合うだけの時間が続く。
やがてルシンダがぽつりと呟いた。
「……メレクから聞いたんですね」
「ああ、メレクに夢を見させられてから、ルシンダが不安定になっているように見えた。だから、ルシンダがどんな夢を見たのか聞いたんだ。勝手にすまない」
「いえ、こちらこそ心配させてしまってすみません……」
申し訳なさそうにするルシンダにクリスが首を振る。
「謝る必要などない。心配だってかけていい。ただ、何か悩んでいるなら話してみてくれないか。ルシンダが辛いなら、僕がその苦しみを取り除いてやりたい」
「クリス……」
「僕には言いたくないこともあるかもしれないが、少しでもルシンダの力になりたいんだ」
クリスが心から自分を案じてくれているのが伝わり、ルシンダは胸が熱くなるのを感じた。
(……クリスなら、大丈夫かもしれない)
偏見を恐れてずっと言えなかったことを、彼になら打ち明けてもいいかもしれない。
それに、秘密を明かすなら、その相手はクリスがいいと思った。
「クリス、私、あなたに話したいことがあります」
緊張で震える手をぎゅっと握りしめると、その手をクリスがそっと包み込んでくれた。
クリスの静かで優しい水色の瞳を見つめ、ルシンダが告白する。
「私には、前世の記憶があるんです。ここではない別の世界での記憶が」
◇◇◇
ルシンダはクリスに今まで秘密にしていたことを打ち明けた。
前世では、桜井瑠美という名前で生きていたこと。
両親に愛されず、ずっと寂しい思いをしてきたこと。
交通事故に遭い、瑠美を可愛がってくれた十歳年上の兄とともに死んでしまったこと。
この世界に転生し、ランカスター邸で迎えた十歳の誕生日に、前世の記憶を思い出したこと……。
クリスは、少したどたどしいルシンダの話を静かに聞いてくれた。
そしてルシンダが話し終えると、大きな両手で慈しむようにルシンダを抱きしめた。
「ク、クリス……?」
突然のことに驚くルシンダを、クリスがさらに抱き寄せる。
「前世でも、そんなに辛い人生を送っていたなんて……。君は、何も悪くなどないのに」
抱き合っているせいで、クリスの声が直接ルシンダの身体に響く。だからか、余計にクリスの憤りや労りの気持ちが伝わってきて、目の奥が熱くなった。
「……ありがとうございます。でも、学校に行けば友達がいましたし、家でも兄だけは優しくしてくれましたから」
「それならよかった。……ああ、そうか。一緒に死んだ兄というのはユージーンか。彼も転生者なんだな」
本人の許可を得ずに言うのは悪いと思って伏せていたのに、たやすく言い当てられ、ルシンダが驚く。
「よく分かりましたね。はい、ユージーンお兄様が前世の兄です」
「やっと合点がいった。どおりでルシンダをあれほど溺愛するわけだ。ルシンダも、だからあんなに懐いていたんだな」
「はい、そうです。前世からずっと大好きなお兄ちゃんなんです」
「……安心した」
「安心……ですか?」
何に安心したのか分からずに尋ねると、クリスがふっと笑って教えてくれた。
「ああ、僕はユージーンに嫉妬していたから」
「えっ!?」
「ユージーンは、ルシンダは妹みたいなもので恋愛感情なんて絶対にないと言っていたが、そんなこと分からないだろう? だって僕がそうだったのだから。ルシンダもユージーンには特別気を許していたように見えたし、本当はずっと心配だったんだ。でも今、君とユージーンの仲がいい理由が分かってやっと安心した」
クリスがそんなことを考えていたなんて、思いも寄らなかった。
「ご、誤解が解けてよかったです……」
「ああ。あとはきっとミア嬢も転生者なんだろうな。ルシンダに支えになる友人がいてくれてよかった」
ミアのことまで見破られてしまったのは驚きだが、クリスが転生のことを偏見もなく受け入れてくれたことを嬉しくも思う。
自分と同じ転生者であるミアは、たしかに心の支えで特別な親友だが、クリスもまたルシンダにとって、弱みをさらけ出して甘えられる特別な存在だった。
「クリス、私がメレクに見せられた夢は、前世の夢だったんです。交通事故に遭ったあと、私は死なずに意識不明のまま病院のベッドに寝ていて。そんな私に『死なないで』『大好きよ』って、冷たかったはずの両親が涙を流して縋っているんです」
ルシンダが語るのを、クリスはまた何も言わずに聞いてくれる。
「メレクは、私は聖女だから夢ではなくて、別の世界で現実に起こっている出来事を見ている可能性もあると言いました。もし本当にそうだとしたら、私も愛してもらえたんだ、嬉しいなって。元の世界でまだ死んでいないなら、帰ることもできるのかもしれないって、そのことで頭がいっぱいになってしまったんです」
「……元の世界に帰れるとしたら、帰りたいか?」
「どうでしょうか……。自分でも、よく分からなくて」
ルシンダの答えにクリスは何も言わず、ルシンダを抱きしめる腕に力がこもった。
「──ルシンダ、次の休みにまた会ってもらえないか。僕も伝えたいことがある」
「は、はい。分かりました」
ルシンダが了承すると、クリスはやっと腕の中からルシンダを解放した。
「遅くなってしまってすまない。帰りは馬車か?」
「あ、はい。停車場で待っているはずです」
「そうか、ではそこまで送ろう」
「いえ、すぐ近くですから一人でも……」
「送らせてほしい」
クリスに手を取られ、ルシンダは小さくうなずく。
「ありがとう。では行こう」
「はい」
停車場までの距離はほんの少し。
人気もなくて、はぐれてしまう心配もない。
なのに、まるで何者にも決して奪わせないとでも言うように、クリスの手はしっかりとルシンダの手を握っていた。