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そろりそろりと逃亡しようとしていたミアは、不意に本名を呼ばれ、「ふぇッ?」と振り返った。
しかしミアは、名前を呼ばれたことよりも振り返った先に見た抜けるような青空に目を奪われ、黒服の男を完全に放置し、「さいっこうの洗濯日和!」と両手を広げ、伸びをした。
「……それだ。俺は貴様のそんなところに、心底むかっ腹を覚えるのだ。あの頃を思い出すだけで、俺の底に眠っている焦燥が刺激され、殺意が込み上げる。なぜあの時殺しておかなかったのかと、ただただ自責の念が湧き上がってくるのだよ!」
取り巻きを置き去りに人の群れを割って歩き出した黒服の男は、逃げ遅れの貴族たちを掴み上げ、思いのままに投げ捨てた。
逃げ惑う客の流れと対照的に、やっと異変に気付いたミアは、夜目のせいではっきりしない両目を擦りながら、「あれ?」と漏らした。
美しく揃った鼻下の髭に、優雅さを漂わせる佇まい。
禍々しいほどの黒いオーラと、手にした杖代わりのステッキが一本。
そしてどこにいてもよく通る声は、過去、ミアが確実に接した覚えのある者のそれに違いなかった。
「面倒だ。集まった糞ごとまとめて焼き払ってくれる。どんなものかと覗いてみれば、右も左も糞の集まり。洗練さの欠片もなく、さらには私の過去まで抉るとは。……万死に値する」
まとっていたマントの隙間から右腕を覗かせ、男は恐ろしいほどの魔力で赤く膨らんだ炎を握りしめると、手のひらで増幅させ腕全体に伝搬させた。
そして男の正面に立つ憎き過去の象徴を見据え、奥歯を噛みしめ腰を落とし、全てを消し去る準備を整えた。
「永遠に消えよ、忌まわしき記憶の集合体 ――」
首を傾け記憶を辿ったミアは、男が攻撃の準備を終えたところでポンと手を叩いた。
ようやく魔法を撃つ直前、「あっ!」と声を上げ、指さしながら言った。
「あ~、やっぱりピート執事長じゃありませんか~。わぁ、お久しぶりですぅ~!」
「黙れフレア・ミアァッ、死に絶えろ、巨大火弾ぁァッ!」
ミアが大きく手を振った直後、ピートの右腕から激しい閃光が放たれた。
全てを消し去るためだけに突き進んだ熱線は、ミアの肉体を粉々に吹き飛ばさんと、無慈悲な轟音を伴い周囲の空気を飲み込んだ。
しかしミアは、なぜか落ち着き払ったまま、ニコニコと迫りくる炎の塊を眺めていた。
「まーたまたぁ、ピートさんはいつもそうなんですから。なにかと言えば、す~ぐぽんぽん花火を上げたがる癖、ホント変わってませんよねぇ。よ~し、なら私も、……えいッ!」
地面に手を付いたミアは、土を掴み上げるように斜めのコーティング済みスロープを作り出し、炎の打ち上げ台を設えた。
一直線に滑らかなカーブを滑ったピートの魔法は、ミアの目の前でギュンと方向を変え、天高く上空へと昇っていった。
「た~まや~、やっぱり執事長の魔法はスゴいですぅ~!」
爆ぜた魔法の破裂音に怯え、会場中の人々が身を潜め地面に蹲った。
唯一ピョンピョン飛び跳ねていたミアは、両手で手を振りながら「お久しぶりですぅ~」と何度も挨拶をした。
「ちっ、そういえば奴は我々と同じアンチデバフのコーティングを使えるのだった。まだなおも、この私の前に現れ邪魔立てするか、メルの亡霊め」
囲んでいた人々が蜘蛛の子を散らすようにいなくなり、代わって競売の責任者らしき男たちが一斉に会場へなだれ込んだ。
二人を取り囲むように円を作ったガラの悪い男たちは、それぞれ持参した武器を構え、中でもリーダー格と思しき人物が二人に宣告した。
「おいおい、随分と派手にやってくれんじゃないの。《闇のランデ》さんよぉ、ここが俺らのシマってのはご存知だよなぁ?」
「存じるもなにも、私が出掛けるのに、誰かの許可が必要かね?」
「と~ぜんでしょう。我々の世界は持ちつ持たれつ、それぞれ管理するヤマを、それぞれしっかり保全しましょってのがルールじゃねぇっすか。近頃各所の人屋で目ぼしい人材を買い漁ってたようだが、どんな理由があるか、細かく説明していただきましょうかね?」
「塵虫に説明する意味はない。それに、私は私の目的以外、まるで興味がない。特に、キミらのような塵にはね」
リーダー格の男が奥歯をギリッと噛んだ。
部下たちに目配せをすると、また一歩二人との距離を詰めた。
「今日の目的はその女ですかい。しかし残念ですなぁ。そいつはウチの物件だ、アンタに売ることはできねぇ。早々にお立ち退きいただきたい」
フンと鼻で笑ったピートは「こんな女が必要なものか」と断ってから、取り囲む者たちをぐるりと一周回し見た。
「それにしても、随分景気が良いみたいじゃないか。噂によれば、騎士団とギルドが自滅し街を専有したとかしないとか。キミらのボスに、おめでとうと伝えておいてくれたまえ」
「て、テメェ……、どうしてもここで死にてぇってか?」
武器を握り直した男たちは、間髪入れず一斉に襲いかかった。
「ヒャー!」と怯えたミアがしゃがみ込む中、笑みを浮かべ右腕を軽く掲げたピートは、燃えカス程度に残っていた魔力を炎に変え、自分とミアを囲むように炎の壁を吹き上げた。
アッパーカットのように下から攻撃を受けた男たちは、為す術もなく顔面を焼かれ地面を転がった。
「アガッ?! かお、顔がぁぁ!」
「下劣な輩の腐った臭いがするな。さっさと消えてくれないか?」
燃えるリーダー格の男の顔を踏みつけたピートは、蔑むように見下ろし、「このままチリになるがいい」と呟いた。しかし追撃の魔法が放たれる間際、隣でしゃがんでいたミアが燃えたぎる全員の身体に水吹をかけ火を消した。
「何のマネだ、フレア・ミア」
「ピートさん、どうしてそんな酷いことを?! いくら相手が悪い人であっても、そこまですることはないじゃありませんか!」
「塵は根絶やしに、これは万国共通の確定事項だ」
「で、でも、メルローズ先輩や上皇様は、決してそんなことを望みませんでした。ピートさんは、そんなことも忘れてしまったのですか?!」
「世迷い言を。アリストラは既に滅びた国、上皇様もメルも関係ない。それに……」
ミアの首を掴んで持ち上げたピートは、「苦しい離して」ともがくミアに顔を近付け、両目を見開きながら言った。
「上皇様も、メルも、もうこの世にはいない。あそこを生きて抜け出せたのは、貴様と、この私の二人だけ。よって私の過去を知る者は、もはや貴様一人なのだよ。そしてこの瞬間、私の過去を知る者は一人もいなくなる。これから私が貴様を殺すからな、フレア・ミア!」