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「あ、あの…だ、大丈夫、ですか…?」
明らかに女子の声だ。何故かは知らないが、動揺している。
見上げるとそこには容姿端麗な女子の姿があった。絶世の美女というよりかは、学級で一番可愛い女子と崇め奉られるような雰囲気を醸し出す。高校生であろうか。
何にせよ、心が焼き尽くされた僕は、今なら彼女に惚れる自信がある。色恋を棄て、人の幸せに躍起になった前世の反動だろうか。
…だがここは流石に理性を保つ。36のおっさんが高校生に手を出す光景には、自分でも吐き気を催す。でも今なら……。いや、2125年のブタ箱に入る気はない。
そして100年前からの訪問者だということは、現状伏せておこう。まあそもそも信じられないだろうが。話を返す。
「実は、記憶を喪って、私が誰でどこに住んでいる者か、全く分からないのです。」
「そ、それはお気の毒です。
……あれ、でもあなたの服には、民衆党のワッペンがありますよ。ほ、ほらほら、私と同じ。」
民衆党とは何だ。政党のことか。100年後の日本で平和な社会が実現しているなら何よりだ。でもこの僕は、恐らく高校生位の年頃だ。党員の最低年齢にも満たないだろうに、ワッペンが付与されている理由が知れない。
「党本部に行けば分かるかもしれません。よろしければ私が先導しますが…」
流れに身を任せる他無かった。にしても聞いたことの無い政党。また精々100年も経てば、新興政党も仰山登場するのであろう。ここで彼女の名を聞くと、菊名圭というのだそう。徒歩圏内だそうで一路本部に向かう。そういえば道路を走る車は全てが流線型で、相当な速度で横を掠めていく。やがて、菊名が僕に目線を向けて話し掛ける。
「記憶を失っているのなら、この国の現状もお忘れですよね」
「仰る通りです」
「では軽くこの国の史実をお話します。」
その後の彼女の語った史実は、まるで出来の悪い夢を見ているようであった。
「この国では現在、顔面至上主義が導入されています。美人の方は高位に就いて、顔立ちが取り分け宜しくない方は国民未満の存在に扱われます。国民未満の存在では、基本的人権は保障されません。」
顔面至上主義?ああ、ルッキズムか。つまり美人とブスで区別される治世なのか。そうかそうか。
……言っている意味が分からない。第一に、そんな公約が罷り通るわけない。しかし続けて菊名はこう告げる。
「そして美人と偽る行為は、大罪で即刻死刑です」
「と、申しますと?」
「この国では美容整形はアウトです」
日本はもはや美容整形の一大産地である。無論、僕はそれを生業としていた者だ。確かに僕も最近の美容整形には、懐疑的な意見を持っていた。だが、違法はちとやり過ぎてはないか。
…そういえば、転生直後に助けた男は、お世辞にも美男子ではなかった。…もしかして顔面によっては、救急車を呼ぶにも制裁があるのだろうか。顔を|蒼然とさせる僕を他所に、話は続く。
「2095年、日本は過去最悪の政治不信に陥りました。国体は低下して、国民意識なんてもってのほか。その頃の日本では、至上党が結党されます。そして都合の良い口実を並べて、簡単に政権は奪取されました。彼らが顔面至上主義を掲げているとも露知らず。」
「その……、誰も抵抗はしないのですか?」
「結局顔がいい方は得をされ、悪い方は自分を責め立てて引き隠られる。一重瞼の方に至っては、奴隷階級に強いたげられました。その他奥二重も問答無用で国民未満です。ですから今の日本人に団結力なんて、|微塵もないのです。」
「でも顔面至上主義なら、至上党の党員は追放されないのでしょうか?」
菊名は「本気で言っているのか彼は」という心情を含んだ表情を、寸前で何とか堪えて、続いて指にはめた謎の金属から光をだす。壁に投影されたのは、正装を纏った3人であった。100年のジェネレーションギャップを感じた後、菊名は語る。
「これが現在の首相と官房長官、外務大臣です」
どれどれ……、画面上の3人は客観的に見ても美形である。僕の観測によれば、素の美人である。整形の跡はない。2人の男と女は2025年なら、100年に一度の云々と持て囃される。確かにこれらの顔には、男も女も無条件で食い付くかも分からない。
ただ、顔面至上主義を掲げた意図は分からない。何に不満があるのだ。
結局の所、日本は疲弊した結果、時代に逆行した。これがことのあらましだ。どうやら至上党が政権与党として絶大な権力を握り、それを打破すべく民衆党が活動しているのだという。
勝手な妄想だが、美容整形を禁ずるのは、単に元ブスの血が混入する、リスクを避ける為でもあり、万一彼らより優れた顔面が誕生して、国民からの支持を得て国家転覆を図ろうものなら、彼らの地位は危うくなるわけで、それを阻止したい思惑があっても可笑しくはない。
理屈は分かった。分かったが、この非人道的な政策に、過去からの訪問者である僕は、純粋に首を縦には振れない。
…漫画でももう少しまともな展開が繰り広げられるのに、この時代は狂いに狂っている。やがて菊名は語る。ルッキズムが猛威を振るうとは、万博に祝杯を上げていた日本人の誰が想像できたか。
まもなく民衆党と書かれた大看板の前で立ち止まる。そして菊名は言う。
「私達は、かつての民主主義を取り戻すことに命を注いでいます。幸い普通の顔で産まれてきた私は、国民としての最低限の権利は保持していますが、ルッキズムの非妥当性の主張は行き届きません。美人以外の言う言葉は信頼性に欠けるのです。」
…悲痛の叫びは分かるのだが、僕的には彼女から告白されたら、二言返事でプロポーズをする程度には美麗だと思う。凄い時代に産まれたもんだ。
続けて菊名は
……私だって、美人に産まなかった両親を恨みました。でも恨んでも美人にはなりませんでした。親も苦しめました。だから今後、こんな苦痛のどん底で這いずり回るであろう子供達を、私は見るに耐えないのです。」
…僕はふと疑問に思う。今の日本人は、よくもまあ美人とブスという、個人の価値観に大いに委ねられる要素を、明確な区別の元で了承する。これが洗脳なのか。200年前のドイツの歴史は、無下になってしまったのか。
そして僕たちは党本部に進入した。