私たちの町は、都会に比べると静かな町。
田舎に比べると賑やかな町。
いまや人を寄せつける名所もなく、日がな長閑な町並みが、世情の足並みをほのぼのと映している。
寂れた砂浜、堤防の名残。
夢から覚めた歓楽街の跡。
とっくに廃業した旅館へ向かう順路を、誰にともなく伝え続ける古びた看板。
それら栄衰の残り香が、いつまでも変わることのない松の青葉と共に、市内のあちこちに散見されるのみだった。
そんな町に生まれ育った私が小学生のとき、子供たちの間で、とある奇怪な話題が持て囃され、流行したことがあった。
“◯◯公園の近くにある田んぼの貯水池には、ザリガメがいる”
今にして思えば、子どもに特有の与太話。 もとい、屈託のない童心が反映した噂話の類である。
一種の都市伝説と言ってもいい。
けれども、当時の私たちにとっては、ひどく冒険心を擽るものだったと記憶している。
“水中で、でかいハサミがゆらゆらしているのを見た”
“隣のクラスの人が、公園で遊んでいる時に襲われたらしい”
“好物は煮干し。 もし襲われたら、それを投げつけて逃げろ”
いつしか、尾ひれを何枚も重ね着した噂話は、日ごとに大きく膨れていった。
噂話の怖いところは、それが知らぬ間にひとり歩きを始めるという点だろうか。
人口を膾炙するうちに、なにが真実なのか分からなくなる。
重要な核心が、どんどん人目を忍んでゆくという点だろう。
“口裂け女みたいなもんかぁ? おっちゃんが子どもの時分はなぁ───”
“ランドセルが煮干しくさい!”
“ザリガメなんていません”
もちろん、大人たちからすると、笑い話もいい所ではある。
中には目くじらを立てる親御さんだっていたのかも知れないが、所詮は子どもたちの戯れ言であるわけだ。真剣に取り合うことをしない。
しかし、先述の通り、噂話はひとり歩きをする。
舵の壊れたそれは、無差別に人口を席巻した。
“人が襲われるのを見た!”
“警察! はやく警察を!!”
“当分の間、あの公園は立ち入り禁止”
こうなると、もはや嘘から出たまことと言っても差し支えはない。
根拠のない噂話という核心には、誰も焦点を当てようとしない。
最初は笑っていた大人たちでさえも、日に日に顔色を悪くしていったように思う。
そんな、ある日のことだ。
私たちが、数名のクラスメートから成る“調査隊”を、意気揚々と結成したのは。
まったく以て、子どもの悪ノリである。
けれども、たしかな義勇心めいたものを、幼気にもきちんと持ち合わせていたように思う。
あの日のことは、よく覚えている。
ちょうど、夏の盛りだった。
青々しい草の匂い。 淀んだ水面の色。 そして、大きなハサミ。
忘れようとしても、容易に為せるものではなく。 そもそも、当の記憶をぬぐい去る意味そのものが、ひどく希薄なのである。
“これ、食べれると思います? や、このサイズだと、たぶん大味かな……?”
それは、私たちが出逢った日。
いつまでも褪せることのない、大切な思い出の場面なのだから。
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