テラーノベル
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君が遺した目を。僕は持っていた。
いつだっただろうか。私、もうすぐ死ぬから。そう言い残して、彼女が自分の右目を自ら外し、うんざりするほどの防腐剤を注入していたのを見たのは。
それ以降、確か彼女は眼帯をしていた気がする。やけに似合っていて、それもまたうんざりした。
それからほどなくして彼女はオーバードーズの末に自殺へと至り、僕の元には彼女の目だけが残った。
彼女の葬式の際に、全員が腰を抜かした。と葬式に出席していた僕の友人から聞いた。
なにせ、眼帯を外した彼女の右目には、目玉が嵌っていないのだから。
これを幸いと言うにはひどく安いと自負しているのだけれど、警察沙汰にはならなかった。なぜか? 彼女の両親の性根がどこまでも腐っているせいである。
娘を虐待し、挙句の果てには自殺に至らしめた両親は、家を警察に踏み込まれる可能性があったのを恐れ、わざと警察に何も言わずにいたらしい。それくらい、彼女の両親はクズだった。
話が少々脱線したように思う。いけない癖だとは認識しているが、昔から治らないのだ。
さて、話を彼女の目のことに戻そう。
彼女は目を外してから、僕に一言だけ言い残した。
―色んな場所に行って、そのたびに景色を見たい。最後に海を見れたらラッキー―
よかった。一言一句違わず覚えていた。もし一字でも違っていたら、僕は彼女に呪い殺されていたことだろう。
そういうわけで、僕は半分くらい呪いじみた言葉を背負って旅を始めた。それが、18歳の時のエピソードだ。
海外にも何度か行ったし、国内で名所と呼ばれる場所は全て網羅したはずだ。そして、場所ごとに彼女に景色を見せた。周囲にバレるか否か、毎度ひやひやしていたのは言うまでもないだろう。
そのくせ、もう死んでいる人間だ。景色を見せるもくそも。あったものではないのだが。
そうして、僕らは海―というには少々意地の悪い場所―へやってきた。彼女が最後に見たいと願った海だ。
とはいっても、そこはなんの変哲もない。ただの海だ。別の場所よりも、塩だらけの。だが。
僕たちが最後に行くのは、そこだ。
…そうだ。海と言えば、一つ。思い出すことがある。
中学生の修学旅行だっただろうか。
京都に行く予定が狂い、鎌倉へと行き先が変更されたのだ。
鎌倉のホテルから見えていた海。彼女はあれを、目が痛くなるほどに屈託のない笑顔で眺めていたな。その時に、僕は、確か…。
……いや、僕は何を考えているんだ。これ以上思い出してはいけない。
話を戻そう。
海だのなんだのとほざいてこそいるが、その実態は海とは程遠い。
死海って知っているだろうか。
死海。それは、塩分濃度が馬鹿ほどに高い海外の湖である。僕たちは、最後。そこへ向かった。
はっきり言おう。この行動は、僕なりの彼女への仕返しだ。
海を見たいといった彼女に、海ではなく、塩分濃度の高いただの湖を見せる。要するに先ほど言った通り、面白みさえない子供っぽい仕返しだ。僕の人生の半分以上と多大なる財産を消費させられたことへの。
それに、彼女の台詞を覚えているだろうか。海を見られればラッキーだと彼女は言ったのだ。つまり最後に海を見せるかどうかは、僕の裁量に任せるということだ。だから、僕がしているこの行動に少しの問題だってないわけである。
そうして僕たちは死海の畔にたどり着いた。
塩分濃度の高い湖なので、生き物はいない。魚なんてもってのほかだ。魚がいないということは、それを獲ろうとする漁師だっていない。
途中まで僕たちを乗せてくれた心優しい軽トラックのおじさんもとっくに通り過ぎ、僕たちは二人きりになった。
「君にはすごく苦労させられたよ。正直うんざりさ」
この時、僕ははじめて声を発した。そういえば、彼女が死んでから、必要以上に喋らなくなっていたことを思い出した。無論、話そうと思えば話せたのだが、如何せんそれに対して必要性を見いだせなかったのだ。
「だけどもう。これで終わりさ。もうこれ以上、僕は君の呪いに付き合ってられない」
僕は、この旅のうちに気づけば20代後半にも差し掛かる、いわばおじさんと言われてもおかしくない年齢にまでなってしまった。いかんせん金もたくさん使ったが、それのさらに上を行ったのが時間である。
「…ああくそ。何言えばいいんだろ。いや、もう死んでるから言うもくそもないのか?」
僕は独り言を怨嗟のように呟きながら、彼女を握りなおした。
何を言うか数秒悩み、最後なんだからと割り切って口を開くことにした。
「実はね。僕は君のことが好きだったんだ。高校生。いや、もっと言えば君が死ぬ寸前までね。18歳になったらすぐに君を、あのくそったれな両親から救い出して結婚しよう。だなんて企んでいたのさ。笑っちまうだろ」
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月白
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こはる
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感情が吐露したりはしない。もういいんだ。
今日こそ言うんだ。これで終わりだと。
「でも、君を連れて旅をして分かったよ。君って、すごくめんどくさい奴だったんだな。何回か防腐剤を入れなおしたし、君がバイトをして貯めていたものすごい額のお金の取り合いも、君が死んで起こしたことだぜ? これを面倒と言わないでなんて言えばいいのやら」
僕は肩を軽くすくませてから、彼女を持っていた腕を湖に向けて伸ばし、口を開いた。もう迷わない。
「…これから僕は、君をここに置き去りにする。死海ってのはすごいんだよ。塩分濃度が高すぎて、僕たちの体でさえ水に浮いてしまうらしい」
言いながら僕は彼女を振りかぶって、死海の中に放り投げた。
彼女は、ぽちゃ、と言いながら水上へと身を沈め、また浮いて見せた。
波は立たなかった。
白く濁った水面に、小さな円だけが広がって、すぐに消え失せる。
彼女は、いつも通り、ただ静かにしていた。
「これは、僕から君へのプレゼントだ。変わらない景色を、変わらないその姿で。永久に見てるといい」
…腹いせだ。それっぽいことを言って、彼女に罪を擦り付ける。自分だけが気持ち良くなっているだけに過ぎない、彼女の両親のしたようなくずの所業だ。
「それじゃあね。もう二度と、会うこともないけど」
そう言って僕は彼女に背を向け、ゆっくりと死海を後にした。
吐露すべき感情はない。そう。ないはずなのだ。
「…つくづく思うよ。僕は君が好きで仕方ないんだな」
…けれども涙だけは、最後まで僕の言うことを聞かなかった。
コメント
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ああもう、これすごすぎるよ…!!😭💔 「彼女の目を持って旅をする」って設定からして一発で心掴まれたし、最後の死海に投げ入れるシーン、何これ…切なすぎて泣いた。好きで好きで仕方なかったからこその仕返しっていう矛盾が、もうエモすぎて言葉にならないよ…「涙だけは言うことを聞かなかった」で完全にやられた。次どうなるの?続き読みたいよ〜!!🌸✨