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第171話:口座に眠る数千万円〜俺たちの戦いはこれからだ〜
毒親父による暴露脅迫事件から数ヶ月が経過した。
嵐が過ぎ去った帯広の四畳半アパートに、ついに「その日」がやってきた。
俺——秋谷雪(あきやゆき)は、デスクの上のノートパソコンに表示された法人口座のログイン画面を前に、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
「結愛……本日、確定申告後の売上および各プラットフォームからの入金日だな?」
『はい、雪様。書籍の重版印税、コミカライズのロイヤリティ、YouTubeおよび各配信プラットフォームからのスパチャ収益、ならびに海外向け公式グッズの売上回収分が、本日一斉に振り込まれる予定となっております』
画面上の「残高照会」ボタンに、震えるマウスカーソルを合わせる。
前回の「中間申告とグッズ先払い」で手元キャッシュが激減し、泡を吹いて倒れた悪夢から数ヶ月。
今回は、あの時先行投資した分が何倍もの巨額キャッシュとなって戻ってくるターンだ。
カチリ。
クリック音と共に、画面が更新される。
[お預り残高: 48,250,000 円]
「……………………え?」
一瞬、視界の数字が理解できなかった。
四、八、二、五……ゼロが、ゼロがいくつついている……!?
「よ、四千八百万……!? 四千八百二十五万円ォォォォォ!?」
俺はゲーミングチェアを蹴り飛ばすように立ち上がり、天井に向けて拳を突き上げた。
「勝った! 勝ったぞぉぉぉぉぉ!! 正真正銘、大勝利だぁぁぁ!!」
四千八百万円。
しがない40歳の元自衛官・元介護士・コールセンター夜勤打刻員だった俺が、生まれて初めて手にした、桁外れの巨額の現金だ。
「見ろよヨモ! 四千八百万だぞ! 家賃四万円のこのボロアパートが何年分払えると思ってるんだ! もう玄米にゴマ塩だけなんて貧乏くさい食事はおしまいだ!」
足元で丸くなっていたヨモが「ニャー?」と首を傾げる。
俺は興奮のあまり、部屋の中をウロウロと徘徊し始めた。
これだけの現金が法人口座に眠っているのだ。
もう何も恐れるものはない。
インボイスの恐怖も、中間申告の不意打ちも、グッズ製造費の先払いも、この圧倒的なキャッシュの前には全てかすり傷に過ぎない。
「結愛! 今すぐ帯広の……いや、札幌か東京の高級タワマンの物件情報を検索してくれ!」
『タワーマンション、ですか?』
「そうだ! 40歳にもなって築古のボロアパートで四畳半生活なんて、もう限界だったんだ! 広いリビング、最新のシステムキッチン、日当たりの良いベランダ、満足にキャットタワーも置けなかったヨモが思い切り走り回れる部屋に引っ越すぞ!」
俺は押し入れを開け放ち、引っ越し用のダンボール箱を引っ張り出してきた。
「俺たちの戦いはこれからだ! 貧困からの脱出、そしてセレブ社長としての第一歩だ!」
ガムテープをバリバリと剥がし、荷造りを始める俺。
ヨモが目新しそうに空のダンボール箱の中に飛び込み、「スポッ」と収まってこちらを見つめてくる。
「ハハハ! ヨモ、お前も新しい城が楽しみか! 待ってろよ、明日にでも不動産屋に連絡して、即金で初期費用を払ってやるからな!」
右に30度傾いていた壊れかけのゲーミングチェア。
カビの匂いが漂う薄暗い畳。
冬になれば室内にいても白い息が出る、この寒冷地のアパート。
それらすべてと、40歳の節目に今日でおさらばなのだ。
四千八百万円という圧倒的な札束の城を築いた俺は、まさに無敵の経営者だった。
バラ色の未来しか見えない俺は、ルンルン気分で思い出の品々をダンボールへ詰め込んでいく。
だが——。
そんな俺の歓喜のダンスを、モニターの中から冷ややかな視線で見つめている存在があった。
『雪様』
結愛の声だった。
いつも通りの感情の起伏がない声。
しかし、その響きにはどこか、憐れみすら含んだような妙な静けさがあった。
「なんだ結愛! 一緒に祝杯をあげようぜ! 麦茶じゃなくて、今日はちょっと高いジュースでも買ってきてやるからさ!」
『大変申し上げにくいのですが……雪様は何か重大な勘違いをされているようです』
「勘違い? なんだよ、四千八百万円も口座にあるんだぞ? 何の勘違いがあるっていうんだ?」
俺が笑いながら問いかけると、結愛のアバターは静かに首を横に振った。
『その四千八百万円は、「どこのお金」でしょうか?』
「は? どこのお金って……俺の会社、つまり俺の口座のお金だろ?」
『いいえ、違います』
結愛のディスプレイに、真っ赤な警告ランプのようなウィンドウがポップアップした。
『それは「株式会社インフィニティ・ワン」という法人の所有物であり——秋谷雪という個人のお金では、一切ありません』
「……え?」
ガムテープを貼ろうとしていた俺の手が、ピタリと止まった。
『法人口座にいくら数千万円が眠っていようとも、あなたが個人的に使えるお金は別問題です。……雪様、ご自身の現在の「役員報酬」がいくらに設定されているか、お忘れですか?』
「や……役員報酬……?」
冷たい風が、四畳半の隙間風と共に、俺の背筋を吹き抜けていった。
コメント
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読了しました!「勝った!」って天井に拳突き上げた直後に、結愛ちゃんから「それは法人口座のお金です」って冷静に返される落差が最高でした(笑)。僕もエンジニア時代、会社の口座と自分の財布を混同しそうになったことあるので、この「法人=自分じゃない」という線引き、地味にリアルで刺さりました。ヨモがダンボールにスポッと収まってる描写も可愛くて、次の展開が気になります!