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ある土曜日の昼下がり、伊吹は自室で大学の課題のレポートを作成していた。キーボードを叩く乾いた音が、静まり返った部屋に響く。両親は朝から出かけているらしく、家の中には伊吹と、同じく自室に籠っている妹のもかしかいない。ふと、喉の渇きを覚え、伊吹はPCから目を離し、冷蔵庫へと向かった。階段を降りて一階に向かう途中、何やらキッチンの方から物音が聞こえる。嫌な予感がして覗き込むと、そこにあったのは、目を疑う光景だった。
キッチンの作業台の上に、白いモコモコした生き物がちょこんと座っていた。手のひらよりも一回り大きい程度の、丸みを帯びた体に短い手足。頭には赤色のリボンらしきものが結ばれている。その奇妙な生き物は、勝手に冷蔵庫を漁っていたらしく、イチゴジャムのビンに頭を突っ込んでいた。
「……な、なんだこれ!?」
伊吹の思わず漏れた声に、白い生き物はびくりと肩を震わせ、ゆっくりと振り返った。その愛らしい口が小さく動き、「ん?あなた誰シュガ?」と、可愛らしい声を発した。
「うわ喋った!って、そうじゃねえ!何他人ん家のもん勝手に食ってんだよ!やめろやめろ!」
「いきなり何するシュガ!放せシュガ~!」
伊吹が白い生き物をジャムのビンから引き剥がしていると、そこへ、二階から降りてきたもかが、呆れたように言った。
「伊吹ー?さっきから何騒いでんの?うるさいんだけど…」
しかし、キッチンでの攻防を目の当たりにすると、慌てた様子で駆け寄ってきた。
「ちょっとちょっとやめてよ!シュガリをいじめないで!」
もかは、白い生き物を伊吹の手から奪い取り、大事そうに腕に抱きかかえながら怒鳴った。
「シュガリはわたしのパートナー妖精なの!もううちの子なんだから、伊吹ももうちょっと丁寧に扱ってあげてよ」
「…は? パートナー妖精?…どゆこと?家で飼うの?」
伊吹が訳も分からず尋ねると、もかは当たり前のように言う。
「どゆことって…わたしが魔法少女として一緒に戦う相棒ってことだよ!何言ってんの?てか、飼うって言い方なくない?シュガリはペットじゃないんですけど」
「何言ってんのはこっちの台詞だよ。パートナー妖精とか魔法少女とか…現実とアニメは違うんだぞ?ついに頭おかしくなったのか?」
「違うもん! わたし、本当に魔法少女になったの!オブスキュア王国に襲われたスウィート公国を救う伝説の魔法少女に選ばれたんだから!」
もかは訴えるように、必死に叫んだ。
伊吹が言葉を失って立ち尽くしていると、もかの腕の中からシュガリがふわりと宙に浮き上がり、伊吹の顔の前まで移動した。その小さな体からは想像できないほど、シュガリの声には有無を言わせぬ響きがあった。
「もかは、スウィート公国を救う運命の魔法少女シュガ! もかの兄も、もかのこと応援してあげるシュガよ!それと、魔法少女のこともシュガリのことも、誰にも言っちゃダメシュガよ?分かったシュガね? 」
シュガリは、偉そうな態度でそう言い放つと、満足げにくるりと宙で一回転し、リビングのソファの上に着地した。まるで昔からそこにいたかのようにくつろぎ始め、伊吹は呆れて何も言えなかった。この奇妙で、そして現実離れした状況を、伊吹は全く理解できなかった。スウィート公国、魔法少女、そして、喋る妖精……まるで、悪夢か、あるいは幻覚を見ているかのようだった。そして、魔法少女アニメのマスコットキャラクターっぽい割には、で
勝手に冷蔵庫を漁り、我が物顔で家に居座る図々しさにも言い知れぬ違和感を覚えた。
その日の夜。もかは、自室でシュガリと楽しそうに話しているらしかった。時折、部屋の隙間から小さな魔法のような光が漏れるのが見えた気がしたが、伊吹は「気のせいだ」と自分に言い聞かせた。伊吹は、一日の終わりの習慣として、ベランダに出てタバコに火をつけた。夜風が火照った頬を撫で、少しばかり心地良い。
(マジで、何が起こってんだ……?)
妹の突飛な言動と、ありえないはずの生き物の出現。伊吹の頭の中は、未だ混乱と疑問符でいっぱいだった。
ふと、背後から低い声が響いた。
「どうやら、此処にいるようだな」
伊吹が振り返ると、ベランダの隅の暗闇の中に、目が金色に光る、小さな黒い影がいた。それは、猫よりも少し小さいくらいの
大きさで、黒い毛並みを持ち、コウモリのような翼が生えた奇妙な生き物だった。
「え?は?誰!?」
伊吹が警戒して声を上げると、その影はゆっくりと闇の中から姿を現した。額には、青緑色に輝く宝石のようなものが埋め込まれている。
「あぁ、驚かせて済まない。オレはヴァイス。オブスキュア王国の妖精だ」
その生き物、ヴァイスは、低い声でそう告げた。
「お前は、あの魔法少女の兄だな。一つ忠告しておこう。お前の妹が出会ったシュガリは、甘い言葉で少女たちを誘い、恐ろしい運命を辿らせる悪質な妖精だ。気を付けろ。」
ヴァイスの唐突な言葉と、再び目の前に広がる非現実的な光景に、伊吹は早速置いてきぼりを食らっていた。
「……ごめん、頭の整理追いつかなさすぎてシュガリがヤバい奴ってことしか分かんなかったわ。えっと…あとは、恐ろしい運命…とか言ってたっけ?」
伊吹が問い返すと、ヴァイスは静かに、そして重々しく告げた。
「あぁ。魔法少女には、メレンゲの代償というものがあってな。…それは、魔法を使うたびに、少しずつ体が魔力に蝕まれ、最後には、メレンゲドールになると言うものだ。…そして、彼女たちはそれを知らされていない。」
その言葉で、伊吹は更に困惑した。莫大な情報量となかなかに残酷な話に、理解が追いつかない。
「待て待て待て、情報量えぐいって。何、メレンゲになるってどういうこと?死ぬの?てか、よく考えたら代償知らされないってほぼ詐欺じゃん」
頭が真っ白になっている伊吹に、ヴァイスは落ち着きを払って説明した。
「順を追って説明するから、最後まで聞いてくれ。…スウィート公国の公爵、ガレットはメレンゲドールになった魔法少女たちの魔力を取り込み、大いなる力を手に入れようと企んでいる。シュガリは奴のメイドで、魔法少女をメレンゲ化させて、連れ帰るよう命じられているんだ」
ようやく話が見えてきた。つまり、あの砂糖菓子みたいな妖精は、もかを騙して、公爵とやらに食わせようとしていると言うことだろうか。
「……なるほど。ってことは、お前はあいつを止めに来たってことか?」
伊吹が尋ねると、ヴァイスは僅かに頷いた。
「そうだ。オレは、オブスキュア王国の命により、ガレットの企みを阻止するため、偵察に派遣された。だが、奴の計略は想像以上に狡猾で、この世界の人間を巻き込むものだった。お前の妹も、その罠にかかってしまった一人だ。」
伊吹は、その言葉に思わず冷や汗をかいた。頭が混乱する。妹が、まさかそんな危険な陰謀の渦中にいるとは。妖精だの、魔法少女だの、メレンゲだの、まるでアニメや漫画の世界の話だ。だが、目の前のヴァイスは、紛れもない現実としてそこに存在し、彼の言葉にはどうにも嘘偽りが感じられなかった。
「……まだ色々信じらんないけど…とりあえず状況は分かった。要するに、シュガリはもかを騙して、メレンゲにしようとしてるヤバい妖精。それで、そのボスのガレットってやつが、メレンゲになった魔法少女の魔力を奪って、取り込もうとしてる、ってことだな?」
伊吹は、必死に頭を整理するように確認した。ヴァイスは、無表情に頷いた。
「理解が早いな。その通りだ。ガレットの真の目的は、魔法少女から魔力を搾取し、それを使ってこの世界にまで手を伸ばすことにある。奴が語るスウィート公国がオブスキュア王国に襲われたという話も、その魔力搾取の目を逸らすための欺瞞に過ぎない」
「は!?それも嘘なの!?何だそれ、タチ悪すぎだろ……」
伊吹の困惑は募るばかりだったが、妹の危機がすぐそこまで迫っていることは、痛いほど理解できた。このまま放っておけば、もかが本当にメレンゲドールになってしまうかもしれない。
「オレが今、お前に話したのは、現状と奴らの目的の全てだ。これから奴らは、お前の妹にさらに魔法を使わせ、より急速にメレンゲ化を進めようとするだろう。お前が、それを止められる唯一の存在だ」
ヴァイスは、そう告げると、懐から何かを取り出した。それは、伊吹の掌のサイズほどの、深く澄んだ青緑色の宝石だった。
「これは、オブスキュアに古くから伝わる秘宝の一つだ。こちらの世界と、この宝石を渡した者の世界、つまりお前の世界を繋ぐことができる。有事の際に、オレを呼ぶことができるだろう。使い方は、ただ心の中でオレの名を呼べばいい。ただし、使用は慎重にな」
伊吹は、差し出された宝石を、恐る恐る受け取った。ひんやりとした感触が、掌に伝わる。こんな得体の知れないものを渡されても、拒否する理由がなかった。妹を救うためには、この妖精の言葉を信じるしかない。
「……分かったよ。世話んなる。で、次会うのは、いつになるんだ?」
伊吹が尋ねると、ヴァイスは既に体が夜闇に溶け込み始めていた。
「必要な時に呼んでくれたら良い。では」
その言葉を最後に、ヴァイスの姿は完全に闇に消え失せた。
伊吹は、一人ベランダに立ち尽くした。掌に残る宝石の確かな感触だけが、夢ではない現実を告げていた。
(何なんだよマジで……もかが、魔法少女で、しかもメレンゲになろうとしてる……?意味分かんねぇよもう…)
頭の中は混乱と、どうしようもない焦燥感でぐちゃぐちゃだった。