テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
bouton
503
コメント
1件
読み終わりました……! 日常と非日常の境界がじわじわ曖昧になっていく導入、すごく好きです。最初の「大きな口」の描写から不穏な空気が漂っていて、目が離せませんでした。「アリスだよ」って何度も言い張るのに、本人は必死に否定する——その掛け合いが可笑しくてちょっと切なくて。最後の消え方も、廊下の異変も、「これからどうなっちゃうの?」と続きが気になる終わり方でした。想像殺害って言葉、思わず笑っちゃいました。次も読みたいです!
夢を見た後は、現実と夢の境目が曖昧だ。目が覚めてもしばらくは、どちらが夢でどちらが現実なのかはっきりしないことがある。
?……これなんだろう?
私は目の前の物体をぼんやりと見ていた。三日月が寝転んだ形の口、その中に黄ばんだ鋭い歯が並んでいる。
ああ、大きな口だなぁ。赤ずきんちゃんを食べる狼の口みたい……。
「おはよう、アリス」
口が動いてそう言った。……口!?
「!!」
私は跳ね起きる。
「だ、誰……!?」
あんまり驚きすぎて、危うく椅子からずれ落ちるところだった。その人は手足を折りたたむようにして、自習室の机の上に乗っかかっている。
な、なんで……なんで机の上に人が!? ううん。それより誰なの、この人!! ここは高校の自習室で、関係者以外は立ち入りできないーーはず、なんだけど。
不審者は黒色のフードを深く深く被っているので、顔は見えない。見えるのは、ニンマリと笑った口元だけだ。
今日は文化祭でも体育祭でもないんだから、こんな妙な格好の人が校内にいていいはずがない……!
私はそうっと椅子から立ち上がって、距離を取った。どうして誰もーー。
「あ、あれ……?」
私はようやくそこで、周りに誰もいないことに気づいた。いるのは私と黒色のフードの変な人だけ。
「あれ、真緒は……?」
確か……友達の真緒とテスト勉強をしにここへきた……んだったよね?
私は寝ぼけて曖昧になった記憶を探る。そこで私はついに眠っちゃって……。
「マオはいないよ」
フードの人は、机の上に蹲ったまま言った。声が低い。男の人……なのかな。顎の辺りはほっそりしていて、女の人みたいに見えるけど。
「……先に帰っちゃったのかな」
窓から差し込む光が室内を茜色に染めていた。もうすぐ日が沈む。
「マオはいない」
私の呟きに答えるように、黒色フード男はもう一度繰り返した。
「あ、あの……じゃあ、私も帰りますね……」
私は机上の変なモノを見据えたまま、じりじりと机を離れる。ギクシャクした動きでドアに向かった。
先生に言わなくちゃ……変な人がいるって!
自習室の引き戸に手をかけたところでよせばいいのに、私はチラッと後ろを振り返ってしまう。
「キャアアっ!!」
ばんと引き戸に背中をぶつける。男は私のすぐ後ろにぴったりと寄り添っていた。近、近いっ! 近すぎる! いつの間に背後に!? なんの物音もしなかったのに!!
私は戸にもたれかかるようにして、ずるずると尻餅をついた。男はただニンマリと笑って、私を見下ろしている。
「な……なな何か御用ですか……!? あなた誰……!?」
「僕はチェシャ猫だよ」
「チェ、チェシャ猫さん? ……外国の人?」
「さあアリス。シロウサギを追いかけよう」
「は……ウ、ウサギ?」
何? なんで突然、ウサギ?
「ウサギを……探しているんですか?」
どうでもいいけど、もうちょっと離れて欲しい……。
私は扉にぺったりと背中をはりつけたまま思った。
「僕は探してないよ。アリスが追いかけるんだよ」
「アリスって?」
「君だよ」
「ちっ……違います! 私、アリスじゃないです!」
私は激しく首を横に振る。
「あ、ああ、そっか……なんだ、人違いなんですね」
私はほっと息をついた。それなら全く話がわからないのも頷ける。
「違わないよ。僕らはアリスを間違えたりしないよ」
「でも、私はアリスじゃないんです」
「アリスだよ」
「いえ、違いますってば!わ、私は有栖川美穂っていうんです」
「…………」
「そりゃあちょっとアリスは入ってますけど、私生枠の日本人だし、英語もかなり苦手だし……ええと、だからつまり」
私は勢いこんで言う。
「私はアリスじゃないんです!!」
「…………」
ややあってチェシャ猫さんは、コクッと頷いた。
「じゃあ、アリス。シロウサギを追いかけよう」
「!」
全く……私の話、伝わってない……!! 私の説明はなんだったの!
私は言葉を失って男を見上げる。フードの奥は何も見えない……いや、暗い闇が見える。吸い込まれそうな闇に私は少しゾクリとした。すうっと闇が近づく。
男が手を差し出した。
「いやっ!」
思わずその手を振り払う。パシンと小気味いい音が室内に響く。しまっ……た。振り払っちゃった……。ど、どうしよう……!!
「…………」
「ごごごごごめんなさい。でもあの、もう帰らないと暗くなるし……!今日のところはお引き取りいただいて、後日また改めてっ……」
黒色フードの人は笑ったまま首を傾げた。
「オヒ、キトリ?」
妙なイントネーションだった。お引き取りの意味がいまいち分かっていない感じだ。やっぱり外国の人なのかな。
「……消えろってことかい?」
「ああ、いえ。あの、ええと……」
そうですとも違いますとも言いにくい……!
どうしよう、怒らせたかも! 逆上して差し掛かってきたりとかしないよね!? そこまで悪い人じゃないよね!?
その時、不意に脇腹がずきんといたんだ。?……まだ刺されてないのに。想像妊娠っていうのは聞いたことがあるけど、想像殺害っていうのは聞いたことがないな……。
そんなどうでもいいことを一瞬のうちに考えながら、私はぎゅっと目を瞑る。けれど、そこに返ってきたのは、なぜか満足げな声だった。
「僕らのアリス、君が望むなら」
なに、その大袈裟な言い方……。
私はそろそろと目を開けて。
「!?」
絶句。男の足元から膝の辺りまで、黒色のローブが消えている。
「は……」
膝から上はあるのに、膝から下がない。その境界線がするすると上がっていく。やがてその境目はにんまりした口を呑み込み、黒色のフードを呑み込み男は消えた。
「え……ええっ!?」
そういう消え方は、余計怖い!! だ、大体消えるって何!? そりゃあ日本語で、目の前からいなくなることを消えるって言うけど!! それはあくまで表現であって……う、ううん。それより、き、消えるって……消えるって何!?
「な、なんでえっ……!?」
私はフラフラと立ち上がる。
きっと幻覚か気のせいだ。だって普通、人は消えたりしないもん。なんだかわからないけど、きっと私はものすごく疲れているんだ。早く帰ろう……。
私は自習室のドアを開けた。
「…………」
せっかく立ったばかりなのに、再び崩れるようにその場にへたり込む。廊下は長く長く延びていた。延びすぎて、霞んでいる。
異変はそれだけじゃなかった。すぐ右にあったはずの階下の階段も跡形もなく消えている。
「どうなってるの……?」