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そう、日本史BL検定対策講座は前学期でおしまいなのだ。
九月末に開始される後学期に蓮の担当講座はない。
つまり彼女たちと接するのは、このキャンプが最後となる。
講座を受け持った当初はモブ子らを前に、手汗でマイクの柄がしっとり濡れたものだ。
最近になって、あまり緊張せずに講座を務められるようになったのは、明るく楽しくサポートしてくれる彼女たちのおかげだろう──と、蓮は思う。
吹く風が、不意に冷たく感じられて蓮は瞬きを繰り返した。
「先生、先にテントで休んでいてくれたらよかったのに……」
「何言ってるんだい。君ひとりを働かせるわけないだろう」
気遣う様子の梗一郎に、ことさらに勢いよく首を振ってみせて蓮は笑みを返す。
洒落たログハウス調のコテージはモブ子らに譲るかたちで、蓮と梗一郎の男子二人はテントをあてがわれていた。
そもそも一回生を対象としたキャンプである。
半期だけの有期雇用である蓮には参加義務などない。
申し込みに行った教務課では「本当に行きたいんですか」と何度も念をおされたものだ。
きちんと参加費を払うのなら行ってもいいけどと、首をかしげるスタッフの顔を思い出す。
故に蓮の待遇は学生らと変わりなかった。
こういった集まりが好きらしいモブ子たちと、彼女たちに押し切られるようにして参加を決めた男二人。
人数に応じて蓮と梗一郎に割り振られた寝床がテントなのである。
ここから歩いて数分かかろうか。
山あいのキャンプ場には最小限の電灯しか灯されていない。
懐中電灯の灯かりが頼りだ。
そろそろと足を一歩踏み出すと、キュッと地面で草が音をたてた。
クローバーの爽やかな香りが辺りに立ちこめる。
「見なよ、小野くん。星がいっぱい……わわっ!」
「大丈夫ですか、先生?」
どうぞと互いに譲るかたちで、今度はそろって押し黙る。
数秒の静けさ。
「先生、もしかして僕のこと見て、ずっとムラムラしてたんですか」
「腐戯画ペンをなくしたら、もう君に会えないんじゃないかと……」
またもや言葉が重なり、蓮も梗一郎も苦笑した。
端正な顔がやわらぐのを見つめて、蓮は目を細める。
「家の中が水浸しになって、君にあげた腐戯画ボールペンもどこかに行っちゃって。もしかしてもうダメなのかなって思ったときに君が来てくれたんだ」
でも、もう二度としちゃダメだよ。
台風が来てるのに外を出歩くなんて危ないからねと、慌てて大人の顔をしてみせる蓮。
微笑んだ梗一郎は肩に下げているサコッシュをポンと叩いてみせた。
「先生にもらったフ……フギガボールぺン、もう絶対になくしません。大切にします」
フギガと少々言いにくそうなのは、梗一郎とて人前で使うには抵抗があるデザインだからだろう。
だが、きっと大切にしてくれるに違いない。
スニーカーの靴底を滑らせた蓮の腕を、梗一郎がつかんだ。
一面の星空を堪能できるものの、移動するとなると足元はおぼつかない。
「わぁっ……!」
彼の腕と胸、唇を夢にまで見て反芻していた蓮としては、大きな声が出てしまうのは致し方ないことだろう。
「す、すみません」
過剰な反応に驚いたか、梗一郎が手をひっこめる。
「あの、調理のときもすみませんでした。いきなり手をつかんだりして。先生、びっくりされてましたよね」
梗一郎の視線が少々沈んでいることに気付いて、蓮は慌ててブンブン。首を振る。
「違うよ? すみませんとか言わないで。違うんだよ。びっくりしたんじゃなくて……その」
「その?」
「その、君の顔を見るとムラムラしちゃって……」
「ムラムラ?」
「あっ、違う。ムラムラじゃなくて、ドキドキ。その……思い出しちゃうんだ」
「……何を思い出すんですか」
「あの……」
沈黙は数秒のことであったろうか。
星がキレイとか、風が心地よいとか、そんなことを感じていられる数秒では、もちろんない。
「だから、その……ドキドキするのは、台風のとき来てくれたことを思い出して。あと、ムラムラするのはキスされた感触を思い出したりして」
再びの沈黙。
夜の冷気と、キュッキュッと下草を踏みしめる音だけが二人を包む。
「それってやっぱりムラムラしてるんじゃ……」
「台風のときは、本当にダメかと思ったよ……」
同時に口を開き、そして二人は顔を見合わせた。
ぱちくりと目を見開く蓮の前で、梗一郎の頬は少し赤くなっていたろうか。