コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「一緒に行こうって誘ってくださった腐戯画展も、もう終わってしまいましたね……」
「ところがだよ! 来年に二期をやるんだって。新しく発見された絵巻が展示されるんだよ」
「あ、あんなものが、また発見されたんですか……」
「そうなんだよ! BL学は、これからどんどん発展していく学問だよ」
「えぇ? はぁ……」
微妙な温度差など何のその。
蓮は笑顔を弾けさせた。
「来年こそ一緒に行こうよ! 俺、もっともっと勉強して、立派に解説してみせるから」
「解説……いや、まぁ。はい。一緒に行きましょう。今度こそ」
蓮がピョンと飛び跳ねる。
前途ある若人を日本史BLの魅力に目覚めさせたぞ、なんてガッツポーズをしている。
「ついに小野くんをBL学に夢中にさせたぞ」
「い、いや、先生? 僕は別にBL学は……」
「この勢いで、秋の検定試験も受験するよね?」
邪気のない蓮の笑顔に、梗一郎が言葉に詰まる気配。
「えぇ、BL検定ですか? あれ、難易度が高いって言うじゃないですか。そんなの受けるんだったら、普通にTOEICとか受けたほうが……」
身も蓋もない梗一郎の反論も、蓮は聞いちゃいなかった。
「超難関の日本史BL検定試験に一人でも合格者を出したら、来年の春からまた大学で雇ってもらえるんだ。頑張ってくれよ、小野くん!」
「そうなんですか。じゃあ頑張ります!」
梗一郎、今日イチ良い笑顔である。
現金なものだ、などと蓮は思わない。
ただただ、うれしいのだ。
彼を見上げ、ほぅと溜め息を漏らす。
星の光を受けて、梗一郎の容貌がキラキラと輝いているように見えた。
慎重に歩を進めながらも、ふたりはもうテントの前に到着していた。
入口の布をまくるものの中に入らず、布端をいじいじと丸めている。
満天の星空の下、早々とテントに入ってしまうのはもったいないから。
「僕も、もう少し勉強に集中しなきゃいけないですね」
実は──と、梗一郎は続ける。
学費が払えなくて学校を辞めようかと思ってたんです、と。
「親は歴史なんて勉強しても何の役にも立たないって。言うことを聞かずに別の大学を受験したから、学費は全部自分で払うことになっていて。大学の奨学金は借りてるんですけど、とても間に合わなくて……」
早朝バイトからデリバリーの仕事まで、梗一郎が忙しく働いていたのにはそういう理由があったのかと、蓮は言葉に詰まる。
教務課で退学の手続きについて聞いていたところを、趣味の悪いスーツを来た中年に見つかったという。
「蘇我野……って言いましたっけ? 先生の、ただの従兄の方。やけに高そうな趣味の悪い服を着た中年のおっさ……先生に勧められて」
言い回しに僅かに棘が感じられるのは、蘇我野征樹が梗一郎にチクチクと嫌味を垂れた経緯があるからだろう。
しかし征樹は事情を知ると、嫌味を言いつつも金利の低い奨学金を紹介してくれたという。
成績の維持を条件に一定額は支給されるというものだ。
現在受給している奨学金と併用すれば、学費の支払いに苦しむということはないだろう。
「だから僕もこれからはしっかり授業に出て、ちゃんと勉強します。バイトは荒物屋とスーパーの早朝品出しに絞ろうと思って」
「そうだったんだね。小野くんが大学を辞めるかもってモブ子さんたちに聞いて驚いたんだ。俺に相談してくれればよかったのに……」
「すみません。先生に余計な心配をかけたくなくて。それにちゃんと解決したので」
「謝らないでよ。心配くらいさせてくれよ」
自分が頼りないのは自覚しているが、相談してくれなかったのは少しさみしくもある。
柾樹が梗一郎に力を貸したことは知らなかったが、ひとまず彼が抱えていた悩みが解決したのなら、それはほんとうによかったと思う。
「君がホッとした顔してるから、俺はうれしいよ」
このキャンプに参加しているのも気持ちの余裕の表れなのだろう。
蓮は空に輝く星を見上げた。
きっと歴史上の人物もこの星空をみていたのだろう。
大活躍しているときも、失敗して逃げているときも、今と同じ空を。
「たしかに歴史は過去の出来事だけど、役に立たないって言われる筋合いはないよ」
「先生?」
蓮の語尾がいつになく強く聞こえたのだろう。
戸惑ったように梗一郎が声をあげる。
「過去を学び続けることで蓄積された知恵は、現在や未来に活かされるんだよ。頑張って勉強するのに相応しい立派な学問だよ」
歴史なんて役に立たないと親から言われた梗一郎を慰めているつもりなのだろう。
あるいは不安定な雇用態勢のなかで学問を続ける蓮が、自らに言い聞かせているのかもしれない。
「それにね、何百年前の人が残した変な落書きや変な手紙を見たら、会ったことはないけど友だちみたいに思えちゃうんだ」
蓮の笑い声は、ちょっと熱くなってしまった自分への照れに違いない。