テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
人々の騒めきが聞こえる。多くの話し声に笑いさんざめく声、そして時折怒声が混じる。楽の音が絶えることはなく、神々を称えるでもない、ただ人々の心を浮足立たせるための軽妙で軽薄な旋律が響いている。それは歌うための音楽であり、踊るための音楽であり、賭けに興じるための音楽だ。
祝福は聞き飽きた楽の音を拒むように眉間にしわを寄せ、鏡台に映るそれを指でつまんで解す。若く美しく見せる化粧に覆われた田舎娘が鏡の中で虚ろな表情を浮かべている。
「あらあら、一世一代の博打に負けたような顔をしてるわね。もう一年経つのよ? まだ慣れない?」と言ったのは隣の椅子に座る精巧な人形だ。
ただ目と口をぱくぱくさせて、腕と腰をひねる程度の絡繰り人形が、与えられた絡繰りにできる以上の動きを見せる。鏡台にもたれかかり、上目遣いでホニーを見上げている。
そこは豪勢な衣装が所狭しと並ぶ更衣室であり、楽屋でもある。今はただホニーと絡繰り人形だけがいた。
「一世一代の博打に負けたりしたら、もっと絶望的な表情をしますよ」ホニーは立ち上がり、身に着けた夜会向けの薔薇色の衣装を眺める。「賭ける者さんはずいぶん楽しそうな表情を作りますね。陶器製なのに」
「それはもう、念願の人間の姿を手に入れたんだから」そう言ってネリーアイズも立ち上がってくるりと回り、紺碧の衣装の裾をふわりと咲かせる。「見てちょうだいな、この琥珀の瞳。お揃いなのよ?」
ネリーアイズが冷たくも柔らか気な陶器の顔を寄せる。
「お揃い?」ホニーはネリーアイズの瞳を見つめる。「もしかして私に似せたんですか!?」
「瞳だけだけどね。材質は本物の琥珀なの。まあ、琥珀といってもぴんきりだけど」
「何でまた」
「とっても大事で大切で大好きな私のホニーに似せたいと思うのは当り前よ」ネリーアイズがホニーの腕を取る。「さあ、今宵も参りましょう。狂乱と破滅の宴へと」
ネリーアイズに付き添いされて、ホニーは更衣室を歩み出る。長い廊下には踊り子たちが待ち構えており、ネリーアイズの合図を受けて子羊のように従順に、子兎のように軽やかに、舞台へと走り去っていく。
既に舞台で準備を整えて待ち構えていた楽師たちが盛大な楽を奏でる。掻き鳴らされる琵琶が心をはやらせ、打ち鳴らされる太鼓が熱気を高める。壮大な音楽に乗せて歌手が高らかに歌うのは叙事詩のようであり、まるで神や栄誉を称えるかのように賭博と享楽を歌い上げる。踊り子たちは時に戦場に臨む英雄のように勇ましく、荒波に潜む怪物のようにおどろおどろしく、通りすがりの通行人のようにさりげなく舞い踊る。
ホニーとネリーは舞台袖にて出番を待つ。
「この一年でもうずいぶん稼ぎました」と楽の音の合間にホニーは呟く。
「あらそう? 大家族をずっと養えるくらいかしら?」とネリーアイズは分かっていて尋ねる。
「初めからそこまで高望みしちゃいないです。でも一番上の子が独立するまで養えます」
「まあまあ、では一番下の子が独立するまで養えるくらい稼ぐ目標まであと少しね」
「あと少しなんてことはないですけど。まあ、順調です。怖いくらい。それもこれも貴女のおかげです。ネリーアイズさん。本当にありがとうございます」
「お互い様よ。得体のしれない存在である私に喜びを与えてくれたのは貴女だわ。私には貴女しかいないの。絶対に。貴女ほどの器はいない」
「運が良かっただけですよ」
「何よりだわ」
音楽が止むと同時にホニーとネリーアイズは女王のように堂々と舞台へと躍り出る。同時に歓迎するような新たな楽が奏でられ、控えめに抱擁するような律動と共に舞台の真ん中に立つ。
踊り子たちは忠臣の如く左右に控え、正面では紳士淑女たちが二人を歓迎するように拍手している。博徒たちは美しい衣に身を包み、各々に独特な仮面をつけている。硝子質の聖女。黒檀の鴉。継ぎ接ぎ細工の道化。趣向を凝らした怪物たち。
ここはとある国、とある都の地下鉄火場だ。無数の水晶に煌めく特別な照明がその遊技場を照らし出している。日ごとに違う華やかな天井画、控えめで気品ある壁紙、常に清潔な絨毯。王室の調度品にも劣らない繊細な彫刻を施された机に椅子。どこをとっても最高級だ。
ホニーが一歩前に進み出て、美しくも奇しく装った遊び人たちに語り掛ける。「今宵もまた夢と幻想の館へようこそお出で下さいました。本日はこの館が設立された記念すべき日であり、その一周年の祝賀と同時に更なるご愛顧を賜るべく様々な催しをご用意いたしました。楽に踊り、古今の酒に溺れ、東西の食事に満たされてくださいますように。是非とも楽しんでいただきたく存じます。とはいえ皆様は『金とさへ聞けば鉄の火も握りかねる』根っからの勝負師、特別な日でなくとも脳が燃え上がり、心臓も凍るような危険な賭博に胸を躍らせておられることでしょう。そちらも更なる充実を致しました。とはいえ早々にご破産なさったせっかちさんもおられるようですが……」
次に全てを失うのが自身だとは思っていないばくち打ちたちが大袈裟に笑う。
「さて、本日はご紹介したい方が一人。以前より話には聞いておいでの方もおられましょう。私の隣に立つこの方こそがこの地下賭場の共同経営者であり、その遊戯の全てを実現なさっている魔法使いネリーアイズ様です」
どよめきと共に躊躇いがちな拍手がまばらに聞こえる。好奇心と不安が怪物の仮面の奥から滲み出ている。
「ネリーアイズと申します。以後お見知りおきくださいませ」と言ってネリーアイズは優雅に辞儀する。「思い返せば一年と少し前。ホニーに見出された私にあったのは名前と無数の魔法のみ。どのように生きるべきかも分からなかった私を彼女は支えてくださいました。皆さんが夢うつつの中に過ごすこの館も、ここで行われる賭け事も、確実に行われる取り立ても。全てが私の魔法によって成り立っています」
客たちの瞳の不安の色が更に濃くなる。
「帳面は私がつけています」とホリーは軽口を言うが、笑みはまばらだ。
「私にはとんと縁のないものですが、この館での喜びや悲しみが皆様の人生をより美しく彩ることを願ってやみません。そして何より運命渦巻く大海に漕ぎ出す皆様の勇姿を称え、その手に勝利をつかみ取ることをお祈り申し上げます」
再びネリーアイズが辞儀をし、ホニーが締めくくろうとしたその時、一人の獅子仮面の男が声を上げた。
「おい! ちょっと待て! 魔法だと!?」
声を聞けばホニーにはその男が何度この館を訪れ、どれだけ失ってきたかを思い出せる。飲食業を成功させた中年の男であり、妻はいるが子はいない。裏社会との関わりがあることもホニーは知っている。
「これはこれは若き鷹様」ホニーは丁寧に冷静に答える。「確かにそのように申し上げました。魔法があればこそ、この地下賭場はありとあらゆる賭け事をご用意でき、一切の揉め事なく、お上ややくざ者の目からも逃れられているのでございます」
「なるほどなるほど。しかし疑わしい話だ。皆がそう思っている」
「と、おっしゃいますと?」とホニーはかまととぶる。
「いかさまだよ! いかさましてるんじゃねえかって思うのは無理もねえよな!? 魔法使いさんよお」
「三下が。偉そうに」と囁いたのはネリーアイズで、それを聞いたのはホニーだけだ。
相棒が大きな声で口を滑らせる前にホニーが対応する。「エバホン様。魔法といえど、何でもありという訳には参りません。そしていかさまできるということと、いかさまするということは別でございます。また、魔法でいかさまをすることと魔法を使わずいかさまをすることに何の違いもありません。ことさらに我が館に魔法使いがいることを非難される謂れはないものと存じます」
「結構なことだ」と言って獅子仮面のエバホンは手に持った杯を呷る。「だが疑惑は晴れねえな。それは賭場を経営するには強い毒だ」
「疑惑、ですか」そう呟いてホニーはお得意様方を見渡す。
魔性の如き仮面の客たちの見えない眼差しは、確かに舞台上の二人の女たちを非難するように突き刺している。
このままでは客が離れてしまうかもしれない。しかしホニーにとっては大したことではなかった。別の街に行き、同じことをするのは多少面倒だがさほど苦痛ではない。元々元手は無いに等しく、しかしネリーアイズの魔術があればいかさまなどしなくても賭場の経営に支障はない。なかったのだ。
しかし、やはり、魔法使いであることを明かす必要はなかったのだ。確かに余りにも豪勢で多様な地下賭場が、何の後ろ盾もなく、しかし順調に経営されていたならば要らぬ疑惑を招くだろう。それならば魔術によるものだと明かした方が客は安心感を得られるだろうと踏んだのだ。
しかし読みは甘かったらしい。エバホンが騒ぎ出す以前から雲行きが怪しかったことをホニーは思い返す。ネリーアイズをちらと見ると、何でもないかのように陶製の微笑みを浮かべている。
「ではどういたしましょう?」とホニーは臆さずに問い返す。「予め言っておきますが私どもにはったりは通用しませんよ。この館とて今すぐ引き払ったところで痛くも痒くも――」
「だめよ」とネリーアイズが一言で拒む。「ホニーがここでこれまで通り賭場を開くのでなければ……」
ホニーは窺うようにネリーアイズの方を見る。そこにあるのは怒りや悲しみではなく喜びだった。
「なければ、何です?」
「お別れだわ」とネリーアイズは断言する。
「お別れ!?」ホニーは我が耳を疑う。「私しかいないって言ったばかりじゃないですか」
お別れするには早すぎる。多くを稼いだが、不運と不幸にあえぐ大家族を救うにはまだまだ足りない。
獅子仮面のエバホンの方はというとホニーたちの事情を推し量れずに困惑しているようだった。そこへ一人の老人がやってくる。仮面を着けず、とてもこの場にはふさわしくない襤褸をまとったしわくちゃの男だ。一見して魔法使いだと分かる。どうやらエバホンの連れらしい。
老魔法使いはエバホンに耳打ちし、エバホンはその言葉に驚愕しているようだった。
いかさまの証拠を見つけられなかったのだろう。ご苦労なことだ、とホニーは心の中でだけほくそ笑む。しかし実際の表情はネリーアイズの冷たい物言いに驚いたままだ。
ネリーアイズは楽しげに、ホニーとエバホンの二つの苦渋の表情を見比べて、ホニーにだけ聞こえるように囁く。「思う壺ね」
そして今度は嬉しそうにはっきりと宣言する。「では一つ勝負をしてもらうわ。ホニーが勝てば疑惑を取り下げてくださる?」
「いやいや、待て待て。賭けの疑惑を賭けの勝ち負けで晴らすだ? 大体俺が取り下げたところでどうなる?」
エバホンの当惑ももっともだ、とホニーも頷いた。既に疑惑は全ての客に伝染している。今更エバホンが口を閉じたところで何も変わらない。
「まあまあ、そちらの魔法使いさんにお伺いを立ててはどうかしら? きっと何かお知恵を貸してくださるはず。そしてそれは我々にも都合が良いこと」
老魔法使いが再びエバホンに耳打ちをすると、エバホンの表情が困惑から余裕のある笑みへと変わる。
「なるほどな。良いだろう。うちの顧問は不正ってものを暴く魔術を修めていてね。それは賭博のいかさまにも有効らしい。その魔術で勝負の一切を調べさせてもらう。当然あんた方の疑惑も晴れる、という狙いか。それで構わないんだな?」
「ええ、もちろん。ね? ホニー?」とネリーアイズは安請け合いする。
「私は、別に、ネリーアイズさんがそれで良いなら、それで構わないですけど。そもそもエバホン様は何をお求めなのですか? 私は何を賭ければ?」
エバホンは真っ直ぐに指をさして宣言する。「ネリーアイズさん。あんただ。あんたをもらい受ける」
それはそのまま賭場を譲れというのと同じだ。しかし勝負を断ってもネリーアイズは出て行くのであり、ホニーの戦いは避けられないものだった。
「それで? 何で勝負するんですか? 札? 双六? 賽子?」
特別に机を舞台の上に用意し、ホニーとエバホンは向かい合って座る。立会人であり、いかさま監視者であるネリーアイズと老魔法使いは二人のそばに立つ。
「それはもちろん私が決めるわ」とネリーアイズが断言する。「私の用意した賭け事が疑われているのだから。魔法使いさんはしっかり疑って、最後には信用してくださいな」
ホニーは思い出しながら話す。「ネリーアイズさんの好きな賭け事というと運否天賦に身を任せるような――」
「そう! 駆け引きなんてものが一切無い。技術なんてものが一切通用しない。完全に運任せの賭け事です」ネリーアイズの言葉はいつにもまして熱が籠っている。
「駆け引きがある遊びの方が人気あるんじゃないか?」とエバホンは真っ当なことを言う。
「もちろん。それは否定しないわ。だからこの賭場にはそういうものをたくさん用意してる。でも私の好みは別。ただの運に身を任せ、ただの偶然に人生を支配される。そういう戦いを見たいの。才覚を証明したければ戦場にでも行けばよろしい」
誰も反論せず、ネリーアイズの更なる言葉を待つ。特に共感を示す者はいなかった。
ネリーアイズが机の中心を叩き、呪文を唱える。土に命じ、水を誘い、火をおだて、風と語らう陶芸家のあらゆる験担ぎを言語化し、詞にまとめたものだ。
すると机の中心から壺が生えてくる。まるで何百年も前に形作られたかのような古い壺だ。
「すなわちお御籤よ!」
ホニーもエバホンも老魔法使いも観客も誰一人盛り上がらない宣言がネリーアイズによってなされた。
「本当にただの運任せですね」とホニーは素直な感想を述べる。
壺の中には沢山の金貨が入っている。どれ一つをとっても一切の差異を見出せない完璧な鋳造貨幣だ。
早速老魔法使いが一つ一つ点検を始める。金貨は百枚あり、零から九十九までの数字が記されている。要するに各々が一枚ずつ引き、数字の大きい方が勝ち。たったそれだけだった。
「一本勝負で良いんですか?」とホニー。
「何本勝負でも構わないけど」とネリーアイズ。
「ま、待て。十本先取にしよう」とエバホンが注文する。
「ええ、どうぞ。でも何の駆け引きにもならないわよ?」とネリーアイズは忠告する。
「分かってる! 分かってるがもしもたった一度のいかさまを見逃してたなら取り返しがつかんからな」とエバホンは言う。
「そうでしょうとも」とネリーアイズは憤慨する。「それでお仲間さんの鑑定やいかに?」
老魔法使いはやはりエバホンに耳打ちする。エバホンは静かに頷く。
「じゃあ、どっちから引きましょう。同時にします?」ホニーはネリーアイズに尋ねるが、ネリーアイズは不思議そうに見つめ返す。
「何を言ってるの? 肝心なことがまだよ?」
「えっと? 何か忘れてましたっけ?」
「まだ皆さんに賭けてもらってないわ?」
「ああ、そうでしたね」ホニーは慌てて客に呼びかけ、従業員に指示を出して取りまとめさせる。
「もう一年も経つのに賭場に人生を捧げた自覚が足りないわね」とネリーアイズに説教される。
「ちょっと認識の齟齬があるみたいですね」更なる説教を受ける前に話を戻す。「さあさあ、それより引く順番ですよ。エバホンさんから引きますか?」
エバホンが少し悩み、老魔法使いと囁き交わしてから答える。「いや、そっちから引いてくれ」
ネリーアイズは相手が客だということも忘れ、「さあ、ホニー。ため口きけなくしてやんなさい」と激励する。
皆に、特に老魔法使いの強い眼差しに見守られるなか、ホニーは躊躇いなく壺に手を突っ込み、一昔前までは一生目にすることさえないだろうと思っていた金貨の山から一枚の硬貨を取り出し、読み上げる。「やった。九十九です」
「は?」エバホンは勢いよく立ち上がり、奪い取るようにしてホニーの金貨を確認する。
信じられないという様子でエバホンは老魔法使いの方を見るが、老魔法使いも同じ顔になっていた。そこにいかさまはなく、ホニーは九十九を引き当てたのだ。
エバホンは何かを言いたげに口をもごもごするが遂には何も言わず、金貨を壺に戻す。
「次は俺からだ。良いな? 交代だ」
「どうぞ」とホニーは促す。
エバホンは壺に手を突っ込み、疑わし気に混ぜ、一枚の金貨を取り出して、ちらと見ると舞台の床に叩きつけた。釘と金槌のような硬質の音が響く。
「ふざけるな! こんな、馬鹿なことがあってたまるか!」
引き当てたのは『零』だった。自動的にエバホンの負けだ。
「そういうこともありますよ」とホニーは言う。「まだ十本先取の内の二本です。勝負はこれからですよ」
二人のばくち打ちは金貨を取り出しては数字を読み上げる。
「五十三」とホニーは淡々と述べる。「三十二」とエバホンは悔し気に漏らす。
「四十六」とエバホンが不安げに呟く。「七十八」とホニーは安堵の溜息と共に発する。
「六十五」とホニーは嬉しそうに読み上げる。「七」とエバホンは信じられない様子で囁く。
「八十一」とエバホンが自信たっぷりに誇示する。「八十六」とホニーは申し訳なさそうに伝える。
「十」とホニーが悲し気に告げる。「九」とエバホンは絶望に打ちひしがれながら口にする。
「九十」とエバホンが疑わし気に宣言する。「九十一」とホニーも疑わし気に言葉にする。
「九十八」とホニーは言う。「九十七」とエバホンは何とか声に出す。
瞬く間に王手がかかり、エバホンは頭を抱えて項垂れる。「嘘だ。ありえない。いかさまに決まってる。なあ?」
老魔法使いはありとあらゆる呪文を試し、時折囁くがいかさまは見つからない。
そんなものが存在しないことをネリーアイズは知っており、ホニーは信じており、観客たちは信じつつあった。
「さあ、エバホンさんの手番よ。勝負はまだ終わってないわ」とネリーアイズが促すが、エバホンは小さく唸るばかりだ。「ねえ、しかとしないで? ここから十連勝すればいいのよ」
「ふざけるな。そんなこと」エバホンは怒りと困惑に呑まれているようだった。「もう一度だ! もう一度調べさせろ!」
「ずっとその一点張りね。別に構わないわ。勝負の間中ずっと調べていたように思うけど」
ネリーアイズの言葉を受けて老魔法使いはもう一度丹念に魔術で調査するが結果は芳しくないようだった。
「信じられない」と言ったのは老魔法使いだった。「いや、あるいはエバホン自身に、か?」
あらぬ疑いをかけられるもネリーアイズは平然としている。そんな魔法は使えず、使えても使わない。
少しうんざりした様子でネリーアイズは言う。「好きなだけ調べてくださいな、とずっと言ってるでしょ? さあ、四の五の言ってないで勝負なさい」
老魔法使いは睨みつけながら要求する。「私にも勝負させろ」
ネリーアイズは陶器らしい冷たい笑みで返す。
「魔法使いさんが買って出るのは勝手だけど。それはエバホンさんとの戦いの後でね」
「いや、選手交代だ。一本先取で良い。頼む」と老魔法使いは無理を言うのだった。
さすがのネリーアイズも呆れ、白けているようだった。これはホニーとエバホンとの勝負。たとえ運否天賦任せとはいえ、他者が介入する余地はない。
「私は構いませんよ」とホニーが言うと、ネリーアイズは驚き半分喜び半分の表情になる。
「どうして? いくら何でもホニーに得がないわよ?」
「それは魔法使いさんが賭けるものによりますよね」とホニーが言うとネリーアイズの顔は喜びに占められた。
「何が欲しい?」とかすれた声で老魔法使いは問う。
「ネリーアイズさんに任せる」とホニーは返す。
「じゃあ魔法使いさんの知識と財産を全て」とネリーアイズは容赦なく伝える。
「それで良いなら」と老魔法使いは応じるが、
ネリーアイズは念を押す。「財産は言わずもがなだけど、知識も手放すのよ? 文字通り」
老魔法使いは老いを忘れたかのように素早く顔を上げ、だらだらと冷や汗を流す。しかし覚悟を決めた様子で頷く。「良いだろう」
ネリーアイズが嬉しそうに呟く。「うふふ。一か八かね。素敵」
そっちのぼんくらと違って、とネリーアイズが囁いたのをホニーは聞き逃さなかった。
老魔法使いは金貨の詰まった壺にしわくちゃの手を震わせながらゆっくりと入れる。
「大体どうしてこうも疑うのか分からないわ」とネリーアイズは打って変わって愚痴る。「私の魔術はただ賭場を経営するくらいしかできないのに。ただ遊び場を用意して遊びを用意する。それだけよ。そうそう、逃げることもできないのよ? 取り立ての魔術があるんだから」
老魔法使いは金貨を取り出し、しかし中を見ずにホニーを促す。同時に開こうという訳だ。ホニーはその誘いに乗る。
「あらら。零」とホニーは残念そうに言った。
うなだれ、存在感を失っていたエバホンが勢いよく起き上がる。喜色満面だ。老魔法使いのしわくちゃの顔も嬉しそうに歪み、金貨を握りしめた拳を掲げる。
「一つ言い忘れてたわ」とネリーアイズは付け加える。「ここでは、私の賭場ではどんないかさまもできないの。そういう魔術を行使しているのよ。お忘れなくお願いしますね」
老魔法使いの表情が凍り付き、金貨を握っている手が更に固く握りしめられる。
「さあさあ、硬貨を見せて」とネリーアイズが促す。
エバホンも仲間の様子に困惑する。「おい。どうした。勝負はついたんだ。そうだろ? さっさと引導を渡してやれ。もうこいつらの顔なんて俺は見たくないんだ」
エバホンが無理やり老人の枯れ枝のような手を開くと、その袖から大量の金貨が流れ出した。壺の中の硬貨と全く同じで、数字も記されている。
「裏目に出たわね。さあ、勝負はここまで」とネリーアイズが宣言する。「さすがホニー。ぴかいちね。やっぱり私には貴女しかいない」
「運が良かっただけですよ」
「何よりだわ」
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!