この作品はいかがでしたか?
56
この作品はいかがでしたか?
56
どこかすれ違っている。そう思った。いつまでも揺らぐことのない、この世の暗い部分だけ見てきた目。その”揺らぎ”を見たいがための好奇心が、俺の1歩を滑らせた。
学校でも、あまり話しかけてくれない。まあ元々口数が少ないけれど、あまり話が展開しなくなったり話をしなくなってしまったのだ。
…で、その過ちが今の俺の覗き見の主な理由だ。
彼の部屋のパソコンに映る画面は、いつも音楽制作ソフトか投稿アプリだけ。”人物F”というアカウントページの1番上、ひとつだけ投稿された”未完成”という題名の動画は、あの日の楽譜のメロディがアレンジされた曲が載せられた、これもまたいい動画だった。
こちらでもかなり心を開きにくいらしく、相互フォローされている数人の人しか再生ができないようになっている。人間的にも才能的にもまあそのうちの一人になる価値はあるな、と思ったところで、響の部屋の偵察はやめにした。
「─鳴宮くんならもっとできるはずだと思う。…最近、調子悪い?」
「…見通しが立てていなかっただけですから。大丈夫です。……貴重な1時間、有効に使えずすみません。機会があれば、次こそは頑張れます」
「そこまで気負いしなくていいのに。次回また、頑張ろうね」
「はい」
「無理しないで、困ったら相談して」
先生はそう言って微笑み、去っていく。自分の無駄な悔しさや意味の無い向上心、前向きなんて言葉は初めから存在しない頭をわかっているかのような言葉は、ありがたいにはありがたいが何回聞こうが違和感と苛立ちしか覚えない。
なんだか違う。目指したものはそんな生半可なもんじゃないんだよ。
完璧でいなければ。自分じゃ剥がせない天才のレッテルを守るために。
─やっぱりすごいね。
─お前、天才!
─羨ましいなあ…
─やっぱり暁には勝てないわ。
そんな薄っぺらくて小さな、人を喜ばせる一瞬だけのために即興で作られた簡単な賞賛の言葉ひとつひとつが、俺という名の偽善を造っている。”塵も積もれば山となる”と言うべきだろうか。
いつの間にかそれが当たり前になってしまった俺にとって、小さなミスや習得したはずの不能は許せない。
注意をされる。冷やかされる。プレッシャーに負ける。自分のせいでしでかす。
認めたくない過去の事実。そんなものは嫌いだ。大嫌いだ。
ネガティブでしかない不要な言葉だけが、渦を巻いて体を蝕む。
あの時ああしてれば。
指摘すらできなかった俺なんかがやったって無駄なのに。
他人に甘えてばっかりで、
その程度でレッテルがどうとかほざいてんなよ。
無能で、
平凡で、
救いようのない猫被り。
目まぐるしく回る思考に虫唾が走る。自分に対して思う。気色が悪い、 と。
都合よく自分の自己評価を変え、相手の顔色を伺ってよく振る舞う。
俺は馬鹿だ。
俺は無能だ。
俺は凡才だ。
俺は─
「─暁。帰ろ」
「……え」
思考を断ち切るように、誰か白い手を肩に置く。振り返ると、澄まない瞳と目が合った。
「思考パンクしてなかった?テンパってたけどあんた大丈夫なの?」
「…いや、なんでもない。帰ろっか、響」
「─大変そうだったね」
「やっぱりそう見える?」
「発音ぎこちなかった…人が隠してること、大体すぐわかるから」
「すごい特技じゃん」
「まあ、そうかも。話変わるけど…最近、俺の事避けてる?」
「えっ?」
「話してくれないじゃん」
「……何も、気にしてないの?」
「気にする要素なんてないよ。…逆に何があった?」
─そう言って薄く笑う響を見て、大きな安堵に包まれる。
なんだよ。よくある空回りじゃないか。響は俺が思ったより、ずうっと強い人だったみたいだ。
「…もっと人に頼れよ?心配性」
「頼れると思う?」
「いや、無理」
「即答するなよ。躊躇しろ」
「だってあんた何言ってもひねくれのままだもん」
「間違ってはないけどさ…」
「肯定するなよ…ははっ」
予想外の明るい笑いに、俺もつられて笑った。響が笑い疲れても、ずうっとひとりで笑い続けた。話が面白かったんじゃなく、響と笑えるのがとっても嬉しかったことで笑っているのを薄々感じ、30分前には考えもしなかった幸せな気分で家に着いた。
「…響」
「何?」
「俺さ、本心さらけ出せる人ができて嬉しい。…いっつも人の顔色伺ってさ。俺は自分のこと大っ嫌いだけど、響のことは大好きだ」
「愛の告白ですか。俺はそう受け取る」
「そう受けとってくれるの?」
「……皮肉のつもりで言ったけど割とマジだったわ」
「そうかも」
次の話題を提示しようとしたが辞めた。─響の歌が聞きたい。そう思ったから。あの秘密の場所に連れて行ってもらおう。うんうん、それがいい。
「…ねえ、また連れてってよ。秘密の場所」
「え?」
「今日は親いるし、深夜には行けないけど…今ならまだ間に合うよね」
「課題は?」
「徹夜しよう」
「うげ………まあ、否定しても聞かないでしょ?5分後に玄関集合」
「準備できた?」
「うん」
「懐中電灯いる?」
「昼も暗いしなあそこ…まあ一応」
「さあ、行こ」
─やはり酒の匂いが漂って水音と鈍い音が鳴り響く路地裏を渡り、階段を上る。夜景ほど綺麗じゃないけど、見晴らしがよくて素敵だ。ネオンに溢れた夜とは違う、どこか優しい風景だった。
「…夕方でも素敵だね」
「まあね」
「……響の部屋ってさ、覗き見いいタイプの部屋?」
「は?…見たの?」
「昨日…ごめん」
「いやいいけど…暁なら」
「”未完成”。かっこよかった、あの曲」
「…恥ずかしいな」
顔が赤くなった。そっぽを向いて少し頬を膨らす響。なんか初心でかわいい。
「でも、あれもう完成間際なんだよ」
「え、そうなの?」
「暁見てたらいい旋律思いついた」
「…誇らしいな」
「─完璧じゃないけど、完成されてる。まあそんなようなイメージ」
「俺より俺の説明上手いじゃん…」
「…気分いいから弾くわ」
「どういう意味だよ。…ふふ」
「じゃ…今から、歌ってもいい?」
「…うん」
響が小さく息を吸う音が聞こえた。その音は、瞬く間にギターの音に吸い込まれていく。澄んだ音色は全てを包み込んで俺を夢中にさせ、周りの音など聞こえなくなってしまった。
響の歌声。ギターの音と相まって、とっても綺麗だった。
勇敢で、楽しげで、優しい。きっと、俺の人生観を変えてくれたはずのその歌声は。その声の持ち主は。
─怪獣みたいで、すごく、すごく強いひとだって。きっと、そうだと思った。
目が会う度に、ファンサービスのようににこりと微笑んでくれるが、その度にミスる。
ミスがあってもなお、こんなにも楽しそうに弾いている。…こんな感情が、自分にも持てたらな。
一瞬だけ我に返り、また聴き惚れ、惹き込まれていった。
「…どう?」
「すごい…うん、すごいよ。すっごい!」
「そっか…隣来て」
響の隣に行き、フェンスにもたれる。微かな鉄の匂いが、響のいい匂いで上書きされる。何も手を加えていない白い髪が、木の葉みたいに風に揺れた。
「髪の毛邪魔でしょ」
「うん、邪魔」
「家帰ったら、俺が結ってあげるよ」
「…楽しみにしてる」
「うん」
そっと、響の髪を耳にかけてあげる。さらさらしていて、軽やかだった。
微笑んだ彼を見つめていたら、ふと疑問が浮かんだ。
「……完璧、じゃなくてもいいのかな」
「…完璧なんてなれると思ってないよ、俺は」
「そっか」
「この世界に、完璧な人なんていないんだよ。あんたも、俺も。…みんなそれぞれ、ただの人間なりに必死にもがいて足掻いて生きてる。完璧なんて言葉は、最初からこの世に存在してない。話して、時に喧嘩して、認めあって。その愛おしい工程があって、みんなが認める本当の”完璧”なものができる。ひとりで抱えんのは完璧のあり方なんかじゃない。苦痛と孤独にまみれた後悔だけだよ。…何人でもいい。誰だっていい。分かち合える存在を見つけて、自分を好きになれ。そして普通の人生を、誰か大切な人と…最後までやりとげろ。」
個人の意見だけどな、と付け足すように呟いた響が、涙でぼやける。溢れて、それが服に染みを作っていると気づいたのは、その数秒後だった。
「…泣くなよ。…まあでも、そんなに抱えて、辛かったんだよな」
「……ありがとう…すっごいうれしい…もう、っ…泣かせないで…」
「はは…涙脆いな」
「…ひびき」
「ん?」
「響は…あんたはさ、もう何も抱えてないの?」
響はそんな大胆な質問に、少し気まずそうに目を逸らす。
もう、失敗を恐れないために。愛想笑いを浮かべるだけの完璧を捨てるために。
笑って、俯いて、泣きそうになって。…それから、潤んだ目でまっすぐ俺の目を見つめて、響はこう言った。
「俺が抱えてなんかいたら、説得力ないだろ」
「…強いひとだね、響は」
「頑張ってる誰かさん見たら、自分のことどうでも良くなってきた。……殴られて、蹴られて、罵声を浴びて。あんな奴捕まって正解だ。あいつの人権なんて無くなればいい。同情なんて馬鹿みたいだ。あいつのことに脳の容量使ってられるかよ」
「そっか…あんたらしいね。…ねえ、響」
響に少し近づいた。頬に、そっとキスをする。
響は困惑の表情を浮かべ、その後顔を赤くして、けらけらと笑った。
「…愛情表現下手くそすぎんだろ…」
「……大好きだよ。友達以上恋人未満としてね」
「ふうん…」
「…さて、帰って徹夜する?」
「ギリ間に合うだろ」
「じゃ、帰ろうか。響」
「ん…分かったよ、”鳴”」
(─名前呼びじゃなくなってるな…)
「仲良くなったんだね、俺ら」
「はあ…急に何を言ってんの」
「…いいや。忘れて」
この過去は、最後の一文を忘れるくらいに綺麗で幸せな物語。
そんな言葉で誤魔化そうとした時、俺の物語は終わる。
そう、今みたいにね。
end
出演
【猫被りの優等生/鳴&██に怯えていた少年/響】
コメント
2件