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季節は巡り春になる。
空澄に、俺は「教師になる」という夢を語って早かなり時が経った。言うまでにためらいはあった。でも、あいつが描いた卒業制作……タイトル『友人』という俺と空澄との絵を見て何だか勇気が出た。こいつになら、言ってもいいって。そしたら、あいつはいつものように、馬鹿正直に俺を応援してくれた。この話は、俺の初めての教え子である叶葉にも言った。そしたら、自分事のように喜んでくれて、まだ小学生のくせに「順当にいったら、梓弓おにーさんに高校で教えて貰えるってことだよね」と言って来た。これは、また期待がデカいな、と俺は苦笑いした。でも、そういう未来もあり得るって分かってからは、よりいっそ勉強に力が入った。勿論、苦労も沢山あった。元から、勉強は得意ではなかったためだ。それでも、死にものぐるいでやった。
そして、教師になるという夢は、最後まで粘った結果、志望校にギリギリ滑り込むことが出来、合格をつかみ取った。俺よりも遥かに早く合格が決まっていた空澄は、デッサンはこれからも必要だとか言って、ずっとデッサンばかりをやっていたのを覚えている。空澄は空澄、俺は俺と個人勝負が続いたこの半年は、空澄が刺客に狙われることもなかった。
あの後、空澄財閥の書斎……地下実験所は爆発し、手のつけようがなくなった。空澄に何があったのかと聞いたが、珍しく彼奴は答えてくれなかった。AMUSIがどうなったのか俺は知らない。たが、空澄財閥の傘下である企業などに脅迫状が届いたりなど悪質な嫌がらせはあったらしいが、直接空澄に手を出してくることはなかったので、脅威は一時的に去ったと言えるだろう。
あの地下で、何があったか俺には分からない。でも、聞かないでくれといっているようにも思えて、俺は無理に聞きだそうとは思わなかった。それが、友人として正しい行動だと思ったから。
それから、先生の……父さんの意思は、記憶は俺の心の中にある。教訓だ。
(……眩しいな)
そして三月一日、卒業式。その日は雲一つない晴天で、真っ青な空が広がっていた。何処までも続くその空に、一本の飛行機雲が尾を引く。それを呆然と眺めつつ、貰った証書の筒を握りしめて、まだ開花には早い桜の木を通り抜け、校舎裏へ行く。
角を曲がった辺りで、何者かの気配を感じ、背中に何かが突き立てられる。
「それはナイフじゃないぞ、綴」
「分かってるって。さすが、腕は落ちちゃいないようだな」
「ああ……だが、依頼はもう受けてないけどな」
証書入れを俺の背中に当てたのは綴だった。一応卒業式には出席していたようだが、気づけば姿が見えなくなっていた。俺もそうだが、綴もああいう式典というのは嫌いらしい。最も、人が集まること自体俺も綴も苦手なのだ。それでも、卒業の意思はあったのか、依頼を影で受けつつも単位を取得し、出席日数も上手いこと稼いでいた。
「……綴は、卒業後どうするつもりだったんだ?」
「留学、という名の武者修行。先生がいなくなって、各地に散らばっている教え子達がわーわー言い出しててさ、誰かがそういう奴らを導いてあげなきゃいけねえだろって思って。僕もガラじゃないって思ってんだけど、僕は此の世界で生きていくって決めたからよお。指導者になれるよう腕を磨くって訳」
「そうか」
「梓弓は違うんだろ?」
「そうだな……俺は、もう頼まれて人を殺すことも、守る為にこの腕を使うこともないだろう。守るための力は拳じゃなくて手のひらでいいんじゃないかって思っている」
「くっせえ台詞」
と、綴は鼻で笑ったが、何処となく嬉しそうな表情を浮かべていた。
反対するかと思っていたが、綴は俺をすんなりと受け入れていた。俺が、先生になるために大学に行くと言っても、こいつは反対をしなかったのだ。珍しいこともあるもんだと思いつつ、きっと綴の中でも何か変化があったのだろう。先生が死ぬ前は、何度か依頼を一緒に受けて遂行していた相棒だったが、その相棒とも離れる日が来てしまった。
きっと綴は一人でもやっていけるだろうと思ってはいるが、何だか放っておけないとも思ってしまう。お節介はほどほどにしろと俺は自分に言い聞かせているが、多分俺は空澄にも、綴にも甘いのだ。
「臭い台詞言ったついでに、僕からも言うけどよ。梓弓、僕はお前に出会えてよかったと思ってるぜ。自分の孤独に向き合ってくれる奴、僕の本質に気づいて叱ってくれる奴。きっとそういう奴に出会いたかった、求めてたんだろうなって、今になって思う。だから、ありがとうって感謝してるぜ、梓弓」
「……そうだな。俺も、自分の過去と向き合うきっかけをくれたのは綴だった。お前は最初敵だったくせにな。最高の相棒だった」
「だったじゃねえよ。これからもそうだ。お前が引退しても、僕の隣は梓弓だ」
と、そう言うと綴は俺の背中を押した。どうしたのかと振り向けば、「あいつが待ってるだろ」と言われ、前を向く。すると、俺の名前を呼びながら空澄が俺を探しているのが見えた。
「言ってやれよ。僕より大事なんだろ?」
「お前とはベクトルが違う。どっちも大事だと思ってる。ありがとな、綴」
そう言って俺は背中を押されかけていく。
「あ! あずみん、いた! もう、探したんだぞ」
「悪い。それで、何だった?」
「最後に写真撮りに行こうって思って。いい場所あったら教えてくれ」
「いい場所知ってるんじゃないのか……でも、空澄らしい」
空澄が駆け寄ってきて、俺の手を握る。
そして、二人で並んで歩いて行く。
これが、最後の別れじゃない。また、何処かで出逢うかもしれない。それでも、この手だけは離さないようにしようと、俺は強く握り返した。
「俺様、感謝してるよ。あずみんに、出会えてよかったって思ってる」
「どうしたんだよ、急に……そんな最後みたいな」
「最後じゃない。ここから、俺様達は別々になるけどスタートラインに立ったって事だと思う! 新しい人生というか、生活というか! そういうのが待ってるって! でも、あずみんのことは、絶対に忘れない!」
「忘れられたら困る」
俺がそう言うと、空澄はギュッと手を握り返してきた。
勿論、とあの時の笑顔で、あの時のままの笑顔で俺に笑いかける。開かれたルビーの瞳は、太陽の光を受けてキラキラと輝いている。
「俺様達は離れても、この空の下で繋がってるだろ! だから、空見あげたら、思い出してくれ」
「そんな遠くには行かない……でも、そうだな。たまには見上げてみることにする。ありがとな……あすみん」
「おぉお!? 今、あずみんが、俺のことあすみんって! もう一回!」
「いや、言わねえから」
目を輝かせる空澄をよそに、俺は顔を上げた。
青い空。
今はしっかりとその色が色付いて見えた。あの頃は、狭いスコープ越しに灰色のモノクロの世界が広がっていた。空なんて汚いものだと思っていた。でも、その空に色をつけてくれたのは、空澄だった。
(空を見上げれば、繋がってるって……か。空澄らしい)
「あずみん、いこうぜ!」
「ああ、そうだな」
俺の手を離れて先に駆けだした空澄を追いかけて、俺は一歩を踏み出した。
これから始まる新しい生活に、新しい道を踏みしめて、俺は前へと歩き出した。