「六月って、人間だったら絶対嫌われ者だよ……」
思わず自分に語りかけてしまう程、私は梅雨が嫌いだった。
『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』ということわざの通り、『ジメジメ』というオノマトペさえ嫌いだ。
この時期になると気分は下がるし髪は乱れるしポテチはしなしなになるしで得した経験は一つもない。
そんな憂鬱を吹き飛ばしてくれることを祈りながら、下駄箱から約束の公園へと向かった。
緩い坂を登って公園に着くと、ミツル君がブランコから降りて嬉しそうに駆け寄って来た。
「ユリさーん!こんにちはー!」
「ごめんごめん、待たせちゃったかな?」
私が申し訳なさそうに尋ねると、ミツル君は横に首を振った。
「いいえ、今来たばかりです!」
なんだか初デートをしているような言葉遣いで思わずクスっと笑ってしまう。私が黙ってニヤニヤしていると、ミツル君が話題を変えてきた。
「あの、なんで今日は制服なんですか?」
「ああ、さっきまで部活があったの」
私は中学では無所属だったけど、高校からは手芸部に所属している。今朝も手芸部として裁縫したり他の部員と話したりしてのんびり過ごしていたのだ。
「そういえば制服見せたの初めてだよね、どう?似合ってる?」
私がスカートの裾を持ってクルっと一回転すると、ミツル君は頬っぺたを少し赤らめた。
「とても……似合ってますよ…」
初々しい反応をもっとよく見たくて顔を近づけると、彼はぷいっとそっぽを向いた。それは決して私のことが嫌いになったのではなく、照れ隠しのものだった。
「もー!素直じゃないなぁ」
私がミツル君の頬に手を当てて、少し強引にこちらを向かせる。
「むぐっ!?」
「ほら、話す時はちゃんと相手の目を見ないといけないでしょ?」
最もらしい理由をつけ、ミツル君の心を揺さぶる。
「うぅ…」
照れながらこちらを見るミツル君の目は少しだけ潤んでいた。どこか扇情的な瞳にこちらの心か揺さぶられてしまう。
「あー…それで、何して遊ぶ?」
私は彼の視線に耐えきれず、話を変えた。
しばらく公園で遊んでいると、空が徐々に陰りを見せた。今にも降りだしそうな空模様は私たちを不安にさせる。
「ねぇ、ミツル君。そろそろ帰ろっか」
私がそう言うと、彼はこくりと頷いた。どちらも傘を持ってきておらず、早めに解散した方がいいと思ったからだろう。
私たちの判断はよかったものの、時すでに遅し。
私たちが公園から出て歩いていると、すぐに雨が降り始めた。
「うわ、降り始めた!」
私が叫ぶ間も雨は絶え間なく降り注ぐ。始めはポツポツとしたものだったが、すぐにザーザー降りになった。
『ポツポツ』も『ザーザー』も嫌いになってしまいそうだ。
「ユリさん、あのコンビニ!一旦あそこに入りましょう!」
ミツル君が指差した方向にある一軒のコンビニ。
私たちはそこに向かって駆け出した。
「いらっしゃいませー…」
眠たそうな店員の挨拶を聞きながら入店する。
私がビニール傘を買おうと思い、辺りを見回していると、ミツル君がどこか一点を見つめていることに気づいた。
「それ欲しいの?」
彼が見ていたのはお菓子コーナーの板チョコだった。
「えっ…あ、はい」
少し動揺しながら答えるミツル君を見て、ここはお姉さんらしさを見せるチャンスだと思い、一つ手に取る。
「ユ、ユリさん、僕お金持ってないです」
「大丈夫、私が払うから後で一緒に食べよ?」
ミツル君の通ってた小学校は私の母校でもあるので、お金のやりとりが禁止されているのは知っている。だから、あくまで私が食べたいという体で購入した。
店先に出て、アルミニウムに包装されたチョコレートを半分に割る。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとう…ございます…」
さっきから妙に歯切れの悪い返事をするミツル君。気になった私は思い切って聞いてみることにした。
「ねぇ、ミツル君。さっきからなんか変だけど調子悪いの?」
「あー…えっと…」
ミツル君が口をモゴモゴさせた後、申し訳なさそうに喋りだす。
「ユリさんの服から肌が透けて見えて……えっちだったので…」
「え?」
確かに私のワイシャツは雨を吸って少し透けていた。しかし、肌と言っても腕ぐらいしか見えていない。
「…あはははっ!」
どこまでもうぶな彼に思わず笑ってしまった。
「なっ、なんで笑うんですか!?」
恥ずかしさや怒りが混じって真っ赤になったミツル君の頭を撫でる。少しからかってみたい気分になった。
「ミツル君がそんなこと考えてたなんて思わなかったなー、私のこと、えっちな目で見てたんだぁ…」
ミツル君が反論しようと口を開くが、何も出てこずにパクパクと口を開閉するだけだった。そしてそのまま俯いてしまう。
「私悲しいなー、ミツル君がそんな子だったなんて…」
私がからかい続けていると、いきなりミツル君が私の方を向いた。
「うわあぁぁん!ユリさんごめんなさいぃいいい!」
彼は大声で泣き始めた。
「こんなえっちな子どもでごめんなさいぃぃ!嫌いにならないでえぇぇえ!」
彼は、私のからかいを愚直にもネガティブに捉えてしまったのだった。当然、私にはそんな気はなかったので、慌てて宥める。
「あわわ、そんなつもりで言ったんじゃないよ。大丈夫だから……ね?」
「ぐすっ……でも、でもぉ…」
まだ涙を流しながら私の方を見つめてくる。私はミツル君と目線を合わせられるように膝に手を当てて少ししゃがむ。
「おいで」
ひっくひっくと痙攣しながら私に近づく彼を離さないように抱き締める。
「うぅ…」
「よしよし、ミツル君のことを嫌いになんかならないよ」
しばらく抱き締めていると、段々落ち着いてきたようでミツル君が泣き止む。
「ユリさん、本当に嫌いにならない?」
心配そうに何回も聞いてくるので、その度に返事をする。
「本当だよ。ずっと好きって約束する」
「…ありがとう、安心した」
ミツル君がいつも通りの明るさを取り戻してきたのて、最後に一つだけからかうことにした。
彼の耳元に顔を寄せ、ボソッと呟く。
「えっちなミツル君も好きだよ」
その日のミツル君はずっと頬を赤らめて黙ったままだった。
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