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台風十五号は市内のあちこちに大きな爪痕を残して去っていった。


くるみの愛車『くるみの木号』も、くるみの実家も、それはもう惨憺さんたんたる有様。


完全にエンジンが水に浸かったくるみの木号は廃車を余儀なくされたし、家の方も汚泥を取り除いたところで住めるようにするにはかなりの修繕が必要になりそうだった。


くるみがパンを焼くために使っていた業務用オーブンやパンを発酵させるための焙炉ほいろ など、様々な設備もみんな水没で駄目になっていて、今すぐパン屋を再開するのは困難そう。


水が引いた後すぐ、くるみとともに家の様子を見に行った実篤だったけれど、汚泥がすごくて長靴をはいた足が泥に捕らわれてなかなか前に進めなかった。


乾燥してきたらしてきたで歩きやすくはなったけれど、今度は細かくなった泥やカビが空中に飛散して衛生上好ましくないため、マスクが外せなかった。


畳や家具なども汚泥にまみれ、屋外に運び出して水道水で綺麗に洗い流しても一朝一夕には綺麗にはならなかったから…… くるみと話してほとんどのものを廃棄処分しようと決めたのだ。


床などを剥がして汚泥を洗い流すのにも相当な労力と時間を要したし、何より家の主要な柱の一つに大きな亀裂が入って家自体が傾いてしまっていたから、とうぶんの間、御庄みしょうの家で生活するのは無理だと思われた。


ただ、幸いなことに二人には実篤さねあつが住んでいた由宇町ゆうまちの家があったから、 とりあえずはそこに移り住もうということになった。

でも――。



***



「家やら車やらはダメになったですけど……仏壇だけでも何とかなりそうでかったです」


くるみが言ったように、高い所に置かれていた仏壇は思ったほど浸水しておらず、下段げだん(膳棚)から下を取り換えてダメになった仏具を買いそろえれば大丈夫そうだった。


それを確認した実篤は、すぐに仏壇屋に修繕を手配したのだけれど、 仏壇を引き取ってもらって由宇の家へ戻って来た時、両親の位牌と遺影の前にちょこんと座って実篤を見上げたくるみが淡く微笑んだのが、実篤にはたまらなく辛かった。


「くるみちゃん、俺の前では無理して笑わんでもええんじゃけぇね?」


くるみにとって、パン作りはある種の生き甲斐だったはずだ。

その機材も、それを売り歩くための愛車パートナーも、そうして生まれ育った家さえも酷い有様になってしまったのに、 仏壇が無事だから良かっただなんて割り切れるわけがないではないか。


くるみをいたわるように彼女の前でひざを折った実篤に、

「実篤さん……うち……」

くるみがギュウッとしがみ付いてきて声を震わせるから……。

実篤はそんなくるみを腕の中にしっかりと抱き締めた。


くるみの実家の台所に、彼女の成長記録を刻んだとおぼしき柱があったのを覚えている実篤だ。


ああいう思いが詰まったものを、心の中から切り捨てるのは難しい。

ましてやくるみはそれをしてくれた両親を失っているのだから尚更だ。


御庄みしょうのくるみの家は修繕費も建て替え並みに莫大にかかるし、また大水が出たら同じてつを踏み兼ねない。


「今回は巻き込まれたのがうちだけじゃったけぇ良かったですけど……もし子供が出来て……その子らがおんなじ目にって考えたら怖いけん……」


――あの家を直すのもあの家に住むのも諦めます、とくるみが言うから……実篤は御庄みしょうの家を修繕することをひとまず諦めたのだけれど。


「くるみが本当ホンマに望むんじゃったら……俺、いくらでもあの家を元通りに直すよう、手配出来るんじゃけぇね?」


ことある毎に実篤が何度言っても、くるみはかたくなに首を縦に振らなかった。


ばかりか――。


「うちね、あの台風の日、実篤さんが家に入って行ってくれて……お父さんとお母さんの位牌と遺影を持って来てくれた時、すごい嬉しかったん。じゃけど――」


それと同時に実篤まで失ってしまうんじゃないかと言う恐怖に襲われたのが忘れられないのだとくるみは続けた。


「あれもこれも自分では上手にうもぉー守られんのんじゃったら、うちは何が一番大事なんかちゃんと見極められる人間でおりたい」


――ハザードマップに赤で記載されるような危険区域にある以上、あの家にはもう住まれん。


そう言って実篤を見詰めてきたくるみの目は、少し涙で潤んではいたけれど強い光を宿していて、 実篤は「分かった」と引き下がったのだ。


だけど――。


「ねぇくるみ。うちの事務所の近くにね、元々パチンコ屋があったところを売りに出しちょる広い空き地があるんじゃけど……。俺ね、そこを買おうと思うちょるんよ。――今度一緒に見に行かん?」


麻里布町まりふまちは商業地域だ。土地の用途制限があったりするが、実篤が目星を付けている土地は店舗付き住宅などを建てるのには問題のない場所だ。


「土地?」


「そう、土地」


実篤は不動産屋を営んでいる身。


以前父親から『不動産屋の経営者らしくらしゅう中心部の方へ良いええ物件見つけて新たにきょを構えようとは思わんのか?』と聞かれたのを覚えている。


御庄みしょうの家を修繕しないとくるみが断言するのなら、今こそそれをする時だと思った。


「実はね、クリノ不動産をそっちへ移転しようと思うちょる」


「事務所、移転されちゃってんですか?」



場所的には今のクリノ不動産から徒歩数分圏内。

だが、JR山陽本線の岩国駅へグッと近付くので、車を利用出来ない客の来店も今よりたくさん見込めるはずだ。


そうしてそれは、不動産屋としてのクリノ不動産のメリットと言うよりも――。


「うん。ほいでね、折角じゃけ、うちの事務所の一画に、パン屋さんも一緒に組み込もうって思うちょるんよ」


そこへ、一階は店舗、二階、三階は居住スペースになった店舗付き住宅を建てるつもりの実篤だ。


そうしてその時に――。

社長さんの溺愛は、可愛いパン屋さんのチョココロネのお味!?

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