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エージェント67
#いじめ
#仕事
鏡の中に映っているのは、僕であって、僕ではない「誰か」だ。
鋭く整えられた鼻筋、涼しげな二重の目元。
かつての、どこかおどおどとして地味だった「湊」の面影はどこにもない。
数年間に及ぶ、執念の記録がそこにはあった。
工事現場での肉体労働、深夜の清掃員、治験のアルバイト。
文字通り血を吐く思いで稼いだ金は、すべて「自分を殺すため」に使った。
整形手術の痛みなんて、あの夜に右手を焼かれた激痛に比べれば、愛おしいほどの刺激でしかなかった。
「……これなら、あいつも気づかない」
僕は、手袋をはめた右手をそっと動かした。
最新の皮膚移植とリハビリ。
完全には戻らなかったが、包丁を握る最低限の機能だけは取り戻した。
ただ、その肌の下には、今も醜く引きつれた火傷の痕が、あの日の屈辱を忘れるなと叫び続けている。
テレビを点ければ、嫌でもあいつの顔が目に飛び込んでくる。
『若きカリスマ・蓮シェフ、三店舗目をオープン。美食の帝王が贈る新たな一皿とは』
華やかなスポットライト、取り巻く美女、自信に満ちたその笑顔。
あいつが今踏みしめているその場所は
僕のレシピを、僕の人生を土台にして積み上げられたものだ。
「笑っていられるのも、今のうちだよ……蓮」
僕はキッチンに向かい、一本の包丁を研ぎ始めた。
あいつは僕からすべてを奪ったつもりだろう。
だが、唯一奪えなかったものがある。
それは、僕の舌だ。
あいつがどんなにレシピを盗もうと、それを進化させ
時代の好みに合わせて微調整する力はない。
あいつの店が人気なのは、僕が教えた数年前の「遺産」を切り崩しているからに過ぎない。
実際、最近の口コミでは
「味が安定しない」「新作に精彩を欠く」という不満がポツポツと漏れ始めている。
あいつは今、渇いているはずだ。
自分の名前を守るための、新しい「才能」を。
僕は、用意していた履歴書を手に取った。
名前は、カナタ。
経歴は「海外の隠れた名店で修行した新鋭」として
協力者───あいつに恨みを持つ別の元従業員に用意させた完璧な偽造品だ。
あいつの店の厨房は、今や要塞のように厳重だ。
だが、中から崩すのは容易い。
あいつは「便利な道具」を見つければ、必ず手を伸ばしてくる。
そういう強欲な男だ。
◆◇◆◇
翌日
僕は蓮がオーナーを務める超高級フレンチ『レクラ』の裏口に立った。
扉を開けると
かつて僕が愛した、そして僕を追い出した厨房の匂いがした。
熱気と、油と、傲慢なプライドが混ざり合った、吐き気のするような匂い。
「……新人か?」
奥から、聞き覚えのある声がした。
数年前よりさらに横柄になった、あの忌まわしい声。
ゆっくりと振り返る。
そこには、僕の人生を壊した男が、純白のコックコートを纏って立っていた。
「カナタと申します。こちらで働かせていただきたく、参りました」
僕は丁寧に頭を下げた。
視界の端で、僕の右手がわずかに震える。
それは恐怖ではない。
これから始まる「最高の復讐」を前にした、抑えきれない歓喜の震えだ。
「海外帰りか。フン、口先だけじゃないだろうな?」
蓮が僕の顔を覗き込む。
至近距離
だが、あいつの瞳に、かつての親友を懐かしむ色は微塵もなかった。
映っているのは、ただの「使えそうな駒」を値踏みする強欲な光だけ。
「……精一杯、蓮シェフのお力になれるよう尽くします。僕のすべてを捧げる覚悟です」
そうだ。
僕のすべてを、お前を地獄へ引きずり下ろすために捧げてやる。
ようこそ、蓮。
僕が仕掛ける、地獄のフルコースへ。