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代案を考える暇は、どうやら残されていなかった。
屋敷の一階から、激しい物音が響き渡る。
窓ガラスが割れる乾いた音。
家具が倒れ、何かを引きずる音。
そして――耳を塞ぎたくなるような、屍人の唸り声。
その合間に、使用人たちの悲鳴が混じった。
「……みんなが危ない。助けないと……!」
その声に突き動かされるように、お姉様は扉へと向かう。
迷いのない足取りだった。
「お姉様、お待ちください!!」
「でも……!」
きっと、無理をしてしまう。
お姉様は、そういう人だ。
自分のことより、誰かを優先してしまう。
「……私が行きます」
はっきりと、そう告げる。
「安心してくださいませ。焼き尽くすような、愚かな真似はいたしませんから」
「……ここから出たら、イリアが危険でしょう!?」
思わず、くすりと笑ってしまった。
――自分の身も顧みず、助けに行こうとした方が、よく言う。
「大丈夫ですよ。私、強いですから」
今日一番の笑顔を、お姉様に向ける。
その瞬間、お姉様の表情が、ほんのわずかに歪んだ。
「……そうやって、昔も……」
言葉は途中で途切れ、飲み込まれる。
代わりに浮かべられたのは、静かな微笑みだった。
「怪我、しないでね。無事に戻ってきなさい」
「……待ってるから」
その一言で、十分だった。
私は頷き、踵を返す。
そして――
お姉様の部屋を、勢いよく飛び出した。
一階は、目を覆いたくなるほどの有様だった。
玄関フロアには無数の屍人が群がり、
倒れた使用人たちの肉を、まるで獣のように引き裂いている。
助けを求める声。
痛みに耐えきれず上がる絶叫。
そして――その声が、唸り声へと変わっていく瞬間。
生と死の境界が、踏み荒らされていた。
私は、ぎりっと奥歯を噛み締めた。
お姉様は、きっと使用人全員を救いたかっただろう。
けれど、それはもう叶わない。
ならばせめて――
一人でも多く、助けなければ。
……もっとも、それは建前だ。
正直に言えば、
誰が生きようが、誰が死のうが、私にはどうでもいい。
お姉様さえ生きていてくれれば、それでよかった。
(でも……そんなことをしたら、お姉様が悲しむ)
だから。
私は、助ける。
それが、お姉様の望む“正しさ”だから。
「――ほらほら、間抜けな屍人さんたち」
階段の手すりに足をかけ、私は高みからフロアを見下ろす。
唇の端が、自然と吊り上がった。
「極上のエサは――こちらよ?」
挑発する声に反応して、
濁った視線が、一斉にこちらを向く。
いい。
それでいい。
全ての“視線”を、
この身に集めてやる――。
本当は、すべて燃やしてしまいたい。
跡形もなく、灰になるまで。
けれど、そんなことをすれば――
まだ息のある使用人まで、火炙りにしてしまう。
だから、最小限。
必要な分だけ、燃やす。
私は視線を走らせ、屍人の位置を一体ずつ確認していく。
そして、燃やす“場所”を選び取った。
まずは、入口。
ここを塞げば、大多数の屍人の侵入を防げる。
次に、階段付近。
――お姉様に、近づかせるわけにはいかない。
そうして、一つ、また一つと、
火を放つ地点を決めていく。
「……燃えなさい」
小さく呟いた、その瞬間。
私の背後に、巨大な魔法陣が展開される。
同時に、入口と階段にも、いくつもの小さな魔法陣が浮かび上がった。
次の瞬間――
轟ッ――!
爆ぜるような音と共に、激しい火柱が立ち上る。
灼熱が空気を歪ませ、屍人たちを一瞬で包み込んだ。
肉が焼ける臭いが、辺り一面に広がる。
生き物が、完全に“終わる”時の臭い。
……けれど、なんてことはない。
胸の奥に湧き上がるのは、嫌悪でも恐怖でもなく――
物足りなさ、だった。
もっと。
もっと燃えて、
きれいさっぱり、無くなってしまえばいいのに。
そうすれば――
お姉様の世界から、汚いものは、全部消えるのだから。