テラーノベル
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山あいの静かな宿舎を後にし、俺は夜行バスを乗り継いで
かつての戦場―― 新宿へと戻ってきた。
一年ぶりに踏む歌舞伎町の土は、以前よりもどこか冷たく
無機質な高層ビルの群れが俺を睥睨しているように感じられた。
「……変わらねえな、この街の匂いだけは」
俺は、写真の裏に記された暗号を頼りに
ゴールデン街の隅にある一軒の古びたバー『リリィ』へと向かった。
看板も出ていないその店は、街の再開発から取り残されたようにひっそりと佇んでいた。
扉を開けると、カビ臭い空気と安ウィスキーの匂いが鼻を突く。
カウンターの奥でグラスを拭いていたのは、白髪混じりの、だが眼光だけは鋭い老女だった。
「……『黒い百合』を探している」
俺がそう告げると、老女の手が止まった。
彼女は俺の顔をじっと見つめ、やがて深くため息をついた。
「……あんた、榊原の息子かい?似てるね、あの馬鹿正直な眼差しが」
「…知ってるって顔だな。詳しく聞かせてくれるか」
「……いいだろう。座りな」
彼女はカウンターの下から、埃を被った一冊の台帳を取り出した。
「『黒い百合』……それはかつて三和会が台頭する以前、この国の中枢を裏から支配していた秘密結社。あんたの親父、榊原と、あの三和会の大河内は、もともとその組織の『掃除屋』だったんだよ」
衝撃が走る。
親父と大河内。
宿敵同士だった二人が、かつては同じ根を持つ同胞だったというのか。
「連中は、国の汚点となる人間を消し、その資産を吸い上げてきた。だが三十年前、あんたの親父は組織を裏切り、その秘密の一部を持ち出した。それが、榊原組を興すための『血の資金』になったのさ」
老女が語る真実は、俺が知る「義理と人情の親父」のイメージを根底から覆すものだった。
親父が俺を極道から遠ざけようとしたのは、ただの親心ではない。
いつか『黒い百合』が、その裏切りの報いを取りに来ることを知っていたからだ。
「……志摩や山城はどうなった。この件に触れたはずだろ」
「刑事は一週間前から行方不明。山城って小僧は、今、横浜の地下刑務所にぶち込まれているよ。……『黒い百合』の息がかかった連中の手によってね」
俺は拳を握りしめた。
終わったと思っていた戦いは、まだその入り口にすら立っていなかったのだ。
「……場所を教えろ。山城を助けに行く」
「やめときな。死にに行くようなもんだよ、和貴」
「……っ」
老女の制止を振り切り、俺は店を出た。
腰に差した脇差が、夜風を吸って鳴った気がした。
親父の過去、組織の正体。
そして、消えた仲間たち。
すべての謎は、黒い百合が咲き誇る「深淵」に眠っているはずだ。
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