第37話 「終わりと始まり」
「責任感とか、友達だからとか、そんなのどーでもいいんだよ。だって、俺は――」
続く言葉は一瞬のはずなのに、夏実にはとても長い時間に思えた。
「――ずっと桜木が好きだった」
「……え?」
言われた言葉そのものが、夏実の脳内に届くまでに時間がかかったからだ。
「あの日だって……責任がとか色々言ってたけど、そんなのほんとは……二の次で……ああ、これなら……付き合う理由ができるって思って……」
「あ、え」
「今だって……他人から見たら、落ち込んでる子につけ込むようなもんだし……しかも、別れたばっかのヤツが傍にいたって……いい気分じゃないよな」
言いながら、京輔は小さく笑う。
「でも、桜木のこと好きなんだ。好きな子が落ち込んでるの、遠くで見てるだけなんて……嫌だ」
笑っているのに――京輔が缶を握る手に、力が篭ったのがわかった。
まるで――怯えているように。
何に、怯えているのか。
「無理して……何でも話してほしいわけじゃない。だから桜木が嫌じゃないなら――」
「――待って!」
ようやく、夏実は言葉を発することができた。
勢いよく出た声に、京輔が固まる。
「あたし……こんな……心配してもらえるよう人間じゃない……」
好きだと言われた。
責任感でも、友達としてでもない。
傍にいたい人として、好きだ、と。
だからこそ、夏実は黙っていられなかった。
「桜木?」
「あたしが、何で別れようって言ったかわかる?」
その問いに返事はなく、京輔は夏実を見つめるだけだった。
「あたしは――その他大勢になりたくなかっただけなんだよ」
京輔に彼女ができるたびに傷つきながらも、「自分は女友達。すぐに別れる彼女たちとは違う」と思い込もうとした。
「篠塚がどんな気持ちなのかとか、自分の気持ちとか――そんなのより、自分の立場が大事だっただけ。だから……篠塚の彼女になれて嬉しかったけど、ずっと怖かった」
「……っ」
京輔が何か言いかけるが、すぐに口を閉じる。
「いつか別れるくらいならって……あたしは保身を取った。自分の都合で、別れようって言った」
「……お前が、彼氏を捨てたのか。夏実」
父親の言葉が、夏実の頭をよぎる。
「あたしは――卑怯だ」
缶を持ったままの手が震える。
喉が潰れそうなくらい苦しい。
こんな汚い自分を、京輔はどう思うだろうか――
「――どうして、その他大勢になりたくなかったんだ?」
「……え?」
突然の問いに、夏実は目を見開いた。
どうして――そう返されて、咄(とっ)嗟(さ)に返事ができない。
「――俺のこと、好きだからじゃないのか?」
嬉しそうでもあり、それでいて不安そうでもある――そんな複雑な表情で、京輔はまっすぐ夏実を見つめる。
「す、好きな人にとって……他の人と違う、特別な立場になりたいって……そう思うのって、そんなに悪いことか?」
「っ」
「俺は……そうは思わない」
「篠塚……」
急に色んな情報が溢(あふ)れ、自分が何を言えばいいのかわからなくなっていた。
「けど……俺の勘違いかも、しれないから……桜木の本当の気持ち、聞かせてほしい」
「で、も……」
「俺は、もう言ったからな! 今度はそっちが正直に言って! 俺がどうとかはどーでもいい! 桜木の、本当の気持ちを――知りたい」
期待するような眼差しには、やはりどこか不安も見え隠れしている。
――言っても、いいんだ。
夏実は、今までのことが嘘のように――そう思うことができた。
「あた、しは……」
唇も、声も、震えているのがわかる。
まだどこかで、怖い気持ちが消えない。
(でも、伝えなくちゃ――)
夏実は覚悟を、決めた。
「あたしは篠塚が――京輔が、ずっと……好きでした……!」
「!」
顔が熱い。
夏実を見つめる京輔の表情が――みるみる幸せそうに緩んでいく。
「……気を遣ってとかじゃ、ないんだよな」
「うん……」
「ホントに……そう思ってくれてたんだよな」
「うん……高校のときから、ずっと……」
「!? そ、んな前から!?」
「そ、そうだよ……!」
「っ……んだよ……ほんと……もっと早く……言えばよかった……」
「!」
ほっとした声と同時に、京輔は夏実に腕を伸ばし――抱きしめる。
あたたかい。
缶をベンチの端に置き――自然と、夏実の手は京輔を抱きしめていた。
しばらく抱きしめ合い――ふと身体が少し離れる。
「っ」
――顔が、思ったよりも近い。
「――夏実」
呼ばれた名前が、身体中に甘く響いた。
「……キス、してもいい?」
「! こ、ここで?」
「すぐ、離すから」
「……」
真剣な目に射すくめられ――答えるように、目を閉じる。
同時に、京輔の気配が近づき――
唇が、触れた。
いつかのキスのように長いものではなく、ほんの少し触れただけで、気配は離れていった。
「――ありがとう」
目を開くと、頬を染めた嬉しそうな京輔の顔が見つめる。
「……あたしたち、今まで何してたんだろうね」
「……ほんとにな」
「でも、お互い様……だよね」
「いや……俺がだいぶ悪い」
「そう、かな。何にしても、これから……だよね。あたしたち」
申し訳なさそうにする京輔だったが――ふと、再び表情を引き締めた。
「だな。これから……しなきゃいけないこともあるし」
そう言って、京輔の真剣な眼差しで夏実を見つめるのだった。
次回へつづく。