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匡のスマホに起こされた時、窓から差し込む日差しはオレンジ色に変わっていて、私は彼を押しのけて飛び起き、洗濯物を取り込みに階段を下りた。
洗濯物はしっとりしてしまっていた。
仕方なく室内に干し直していると、匡が階段を下りてきた。
手で首を抑え、動作確認のように首を回しながら。
「帰るわ」
「あ、うん」
私は手に持っていたハンガーをまとめてポールに引っ掛け、匡の背中を追う。
匡は玄関のあがり框に座って靴を履いている。
「あ、靴ベラ――」
「――なぁ」
匡は顔を上げ、玄関ドアを見ながら発した。
「既読スルー、もうヤメロよ?」
「……うん」と、私は彼の背中に言った。
パンッと、彼が自分の腿を叩き、立ち上がった。
その場で振り返る。
私は玄関脇の小窓から差し込む夕陽に照らされる匡から目が離せなかった。
上質なスーツを纏い、真っ直ぐに背を伸ばして立つ姿は、私の知っている彼とは違って見えた。
十六年……か。
離れていた年月を思い知る。
リクルートスーツを着て、窮屈そうに首のボタンを外していた頃とは違う。
その彼が、大人の男の表情《かお》で私を見ている。
対して、私はすっぴんにTシャツ、スェット生地のタイトスカート。寝起きで髪はぼさぼさだし、普通のおばさんだ。
あの頃とは違う洗練された佇まいに、嫉妬さえ覚える。
「千恵」
「……ん」
「俺、本気だぞ」
「なにが?」
「お前が死にたいなら、付き合う」
買い物にでも付き合うような軽い物言いだが、表情は真剣そのもの。
「やめてよ。なんで私と匡が心中すんのよ」
私がふいっと視線を逸らすと、匡は胸の前で両手を組み、腰をくねらせた。
「現世では結ばれなくても、来世では一緒になろう! みたいな?」
「いつの時代よ!?」
ははっと笑い、手を解く。
「だな。現世でも来世でも一緒にいればいーんだよな」
「だからどうして――」
「――一度でいい。ちゃんと向き合ってくんないか」
過剰反応した心臓が、ドッドッドッと激しく暴れだす。
「とりあえず! デートしようぜ」
「今更――」
「――昔とは違う、大人のデート」
昔とは、違う……。
「土曜と日曜、どっちがいい?」
「は?」
「デート」
「だから――」
「――なんでも好きなもん、食わしてやる」
にやりと、自信ありありに口角を上げた、その表情に対抗心のスイッチが入る。
「……なんでも?」
こうなったらめちゃくちゃ高いものをリクエストしてやる、と頭の中では寿司や焼肉、フレンチのフルコースなんかがぐるぐる回りだす。
「食事だけなら」
「初回は健全に紳士らしくエスコートしてやるよ」
「絶対よ」
「おう!」と、匡は私がかつて心底愛した男の顔で笑った。
「じゃ、明日な」
勝手に約束を明日に決めて、匡は帰っていった。
ハッとして洗面所に行き、泣き腫らした目を濡らしたタオルで冷やす。
美味しいものに釣られるなんてチョロ過ぎるのは分かっているけれど、心のどこかで素直に喜ぶ自分がいる。
悔しいから絶対言わないけど。
目の腫れを気にし、着ていく服を気にし、化粧を気にしていることも、言うつもりはなかった。
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