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砂塵が吹き荒れる中、その地は暗闇に包まれる。
みすぼらしい荒野をどれほど見渡そうと、生物の類は見当たらない。
例外は魔物だけだ。
四つん這いの大トカゲが、のっしのっしとさまよっている。迷子なのか、人間という標的を探しているのか、意思疎通が出来ない以上、正解はわからない。
陽が沈んだ今となっては、それらと出会うことも困難だ。もともとの生息数が少ないため、訪問者にとっては好都合と言えよう。
大地を駆け抜けた足音が、徐々にテンポを落とし始める。
減速の理由は眼前に広がる森だ。ここが目的地であり、夜の森林ゆえに不気味ではあるが、恐れることなく足を踏み入れる。
(晩御飯食べたら寝ちゃったか。休憩を多く取り過ぎたせいか、思ってたより時間かかったな)
少女をおぶりながら、ウイルは木々を避けつつ駆け足で進む。
背中のパオラは幸せそうに就寝中だ。眠るにはまだ早い時間帯ながらも、満腹感と疲労、何より心地良い振動が眠気を誘ってしまった。
(ルルーブ森林でキノコ狩って食べたり、シイダン川の甌穴群を観察したり、畑や山を眺めたり……。パオラに色々見せることが出来たけど、一度に詰め込み過ぎちゃったかな?)
その結果、少女は寝息をたてている。先ほどまで駆けていたミファレト荒野にも観光名所があったのだが、次回以降のお楽しみだ。
樹木が鬱蒼と茂るここは迷いの森。その名の通り、足を踏み入れた者は方向感覚が狂わされ、気づけば森の外へ排出される。そのような結界が作用しているのだが、ウイルに関しては例外だ。客人として認識されており、少女をおぶっていようと問題はない。
とは言え、いつものように警戒はされてしまう。
暗闇の中、少年に集まる多数の視線。その多くが野良猫ながらも、そうでないものが混じっているとウイルは既に知っている。
(未だに慣れないというか、ちょっと緊張しちゃうな。気配すら感じ取れないんだから、さすがだよね)
猫に紛れた異物感は、見張り番から漏れる殺気だ。彼女らにとって侵入者は敵以外の何者でもなく、この地を去るまでは監視しなければならない。
しかし、今回だけは対応が異なる。
ウイルの顔は既に知れ渡っており、だからこそ、業務フローも専用のものが用意されている。
つまりは、持ち場に待機だ。この少年は里へ入ることを許可されており、監視はおろか尾行すらも必要ない。
マジックランプの暖かな灯りを頼りに、ウイルは森の中をスイスイと進む。頭上の枝葉が月光を遮るため、手元の光源にすがるしかない。
パオラをおぶっていなかったら。
そして、彼女が眠ってさえいなかったら。
もっと速く走ることも可能だ。
そうしない理由は起こしたくないという配慮であり、時間がかかろうとジョギングのようなペースを維持し続ける。
(ハクアさん、まさか寝てたりは……。まだ八時くらいだし、大丈夫か。パオラのこと見て、どんな反応するんだろう?)
ハクアの家には大量の書物があるため、読書に励んでいると予想するも、もう一つの疑問については予想もつかない。
しかし、彼女の知人は平然と言ってのける。
(腰抜かすんじゃないかな~。こ、ここここの子はー、みたいな)
テレパシーのように語りかけてきた相手は、白紙大典。本でありながらその思考や口調は、人間の女性そのものだ。ハクアと共に巨人戦争を経験しており、千年の眠りから覚めた際にウイルと契約に至った。
(そうかな? 説教し始めそうですけど……。ガリガリに痩せてるわねー、もっと食べさせなさいよ、感じな)
(昔のハクアならありえるけど、今はサバサバしてるからな~。お、村が見えてきた。さぁ、答え合わせだ)
彼女の言う通り、進行方向がぼんやりと色づき始める。
柔らかな地面を踏みしめながら、二人と一人はついにたどり着く。
森に囲まれた、牧歌的な集落。王国から追われ、逃げ延びた彼女らにとってはかけがえのない土地だ。
魔女の隠れ里。ハクアを長とするこの地は、本来ならば客人など受け入れないのだが、ウイルは少女を背負ってトコトコと奥を目指す。
建物から漏れ出た光が集落を照らすも、外出している人間は非常に少ない。魔物狩り等の用事は日中に済ませるため、夜間くらいは彼女らも静かに過ごしたいのかもしれない。
家々はその多くが年代物だ。
また、建築技術が王国より数段劣るためか、そのどれもが掘っ建て小屋に見えてしまう。
そうであろうと、この少年は見下さない。貧困街のボロ小屋で寝泊りをし続けた結果、貴族特有の高慢さはすっかり消え失せた。
(ふぅ、後ちょっと。パオラ寝ちゃってるし、こんな時間だから、要件だけ伝えてさっさと寝ちゃおうかな。その後については……、任せた!)
(はいはい。す~ぐ押し付けるぅ)
(適材適所です。あ、女神教の魔女についてもさりげなく探り入れといて。さすがにハクアさんなら何か知ってそうだし……)
頭の中で問答を続けた結果、丁度良いタイミングでたどり着く。
集落の最奥に建設された、年代物の家屋。四人家族に適した敷地面積だが、この家の住民は一人暮らしだ。
左手はパオラを支えたまま、右腕だけを動かして玄関を二度ノックする。
待つこそ、おおよそ十秒。扉が静かに開かれ、両者の視線が交差するも、その後の反応は正反対だ。
「こんばんは」
「突然ね。まぁ、いいわ、マリアーヌ様をさっさと出しなさ……、え? な、なに、その子? ま、まさか……」
予想ほど大げさではなかったものの、女はよろめくように後ずさる。
血のように赤い髪。その長さは常軌を逸しており、先端は膝に届きそうなほどだ。
茶色いブラウスと黒のズボンだけでなく、羽織っている白衣も彼女にとっての普段着と言えよう。
見開かれた瞳は、当然のように魔眼だ。
それが今、ウイルを凝視している。
正確には、おぶさっている少女の方を見つめており、ついには腰を抜かすように尻餅をついてしまう。
その光景は、白紙大典を笑わせるには十分だった。
「あはは~。ほら~、言った通りでしょ~」
「ぐぬぬ、さすが千年コンビ……。と言うか、ハクアさん驚きすぎですって。大丈夫ですか?」
玄関での立ち話を続けるつもりなど毛頭ない。ウイルはそそくさと入室を果たすと、少女を背負ったまま右手をハクアに伸ばす。
「この子がパオラね」
「そうです。あのう、何か感じるものがあったり……、って訊くまでもなかったか」
雑談を交えながらも居間の片隅に布団を敷き、先ずはパオラを寝かす。
身軽になったタイミングで話し合いの始まりだ。
テーブルで向かい合うと、ウイルはチラリと少女を眺めてから疑問を口にする。
「パオラが超越者であることに疑問の余地はありませんけど……。見ただけでわかるもんなんですか?」
そんなことはない。
当人から事情を説明してもらい、その境遇を把握しなければ、到底不可能なはずだ。
そのはずだが、ハクアは平然と言ってのける。
「あんたが凡人な証拠。私くらいになると一目見ただけで感じ取れるの。あの子、素養と言うか、生命力のオーラが桁違い……、マリアーヌ様が前におっしゃってた通りだわ」
「だよね~。王にすら引けを取らないかも?」
「私も同感です」
白紙大典はテーブルの上に鎮座しており、ハクアの綺麗な指に撫でられている最中だ。普段なら再会を祝して接吻はおろか舐めまわすこともあるのだが、今回に関してはパオラの存在がハクアのペースを乱している。
「オーラとか言われても、本当に何も感じないしなぁ。いや、強い子だとは思いますけど……」
居間は広く、その奥はハクアにとっての研究スペースとなっている。
読みかけの本や小物が散乱している机。
それを取り囲むような本棚。
彼女が一日の大半を過ごす場所であり、三人はその手前に陣取って議論をぶつけている。
「超越者にしかわからない領域だもの、雑魚は黙ってなさい」
「はいぃ……」
手厳しい言い方だ。
それゆえにウイルも萎縮してしまう。ハクアの毒舌は今に始まったわけではないのだが、それでもその切れ味に慣れることは難しい。
「ハクア~、ウイル君のこと雑魚って言わないの」
「も、申し訳ありません……」
「やーい、叱られてるぅ」
しかし、立ち直るのも一瞬だ。白紙大典という後ろ盾がある以上、少年は意地悪く反撃を開始する。
ここまでは会う度に繰り返される恒例行事と言えよう。
主従関係、もしくは力関係が明確に示されている以上、この展開は必然だ。
もっとも、今回は遊びに来たわけではない。
縮こまる魔女を眺めながら、ウイルは本題に入る。
「実は、ハクアさんにお願いしたいことがあります」
「人をおちょくった直後に、よくもまぁ、そんな話を切り出せたものね……」
「迂闊だったとは思いますが、いかんせん衝動を抑えられませんでした」
彼女の指摘は的を射ている。
そうであろうと、過去を変えることは出来ない以上、ウイルは開き直るしかない。
襟元を正し、ゆっくりと頭を下げる。
「一年間、僕に稽古をつけてください」
理由や動機の類を一切添えず、依頼内容だけを簡素に伝えることから始める。
姿勢を正し、ハクアの魔眼を真っすぐ見つめるも、彼女は全く怯まない。
「やぶからぼうに……。あんたは雑魚なりに十分強いでしょう? それで満足なさい」
「ハクア?」
「う……、弱いなりに傭兵として困ることはないでしょう? 今更何がしたいの?」
事情を知らぬがゆえの疑問だ。
その指摘通り、ウイルほどの傭兵なら、依頼をこなすことで金策はいくらでも可能だろう。ミスリル製の武具を購入したいのなら話は別だが、贅沢を言わない限り、困ることはない。
「来年の光流武道会に出場して、優勝したいと考えています。そうすれば、女王に直談判が出来るんです」
「ふ~ん。で?」
「魔女が人間だと認めてもらえれば、エルさんが帰国出来ます。それこそ、ハクアさん達だって王国に引っ越せるかも……」
夢みたいな願望だとは承知している。
それでも、現状だと挑戦するしかないのも事実だ。
そのはずだが、ハクアは反射的に鼻で笑いだす。
「馬鹿なことを。腕っぷしだけでなく、頭の方も……」
「ハクア?」
「だけど話だけは聞いてあげるし、問題点も指摘してあげる」
白紙大典が一言発するだけで、魔女は手の平を返す。ハクアがどれほどの強者であろうと、両者の上下関係だけは絶対に覆らない。
「王国が魔女を迫害しなくなったとしても、根付いた差別意識は払拭されないでしょうね。だから、王様がどうこう言ったところで魔女の受け入れなんて不可能。あぁ、でも、エルだけは戻れるんじゃない? あの子だけは特別だもの。だけど、他は無理。これだけは断言出来る。それと、光流武道会についてはぼんやりとしか知らないのだけど、確か、四英雄も出場するんじゃなかった? だったら……、あ、面倒見てもらいたいのってそういうこと……」
今の実力では優勝など夢のまた夢だ。そう指摘するも、同時に気づかされた。
向こう一年間を修行に費やしたい。その申し出は決断そのものであり、ハクアもその意思を察する。
「だから、お願いします。どうか、この通り!」
ウイルは改めて頭を下げるも、演技かかった言動が魔女の機嫌を損ねてしまう。
「なんで私が。魔物でも狩ってなさいよ」
「それじゃ届かないんです。さすがに僕も身の丈をわきまえていると言いますか……。あ、ちなみに断られた場合、一年間はここに寄り付きませんから。それが何を意味するのか、ハクアさんならおわかりですよね?」
「ぐ、本当に姑息……。私に選択肢なんて初めからないじゃない」
つまりは出来レースだ。
ウイルがここに足を運ばないということは、白紙大典とも離れ離れになってしまう。
ハクアにとってこの古書は特別な存在であり、千年近くも離別していた弊害か、今ではその一年が耐え難い。
「じゃあ、明日からよろしくお願いします」
「ほんと急ね……」
「明日からは白紙大典とずっと一緒ですよ?」
「受けて立つわ! 私に任せなさい! マリアーヌ様ぁ! ぺろぺろぺろ」
「もう、くすぐったいって~。気づけば私が取引の道具に使われてたけど、ウイル君は平然とそういうことする男の子だもんね。うん、手段を選ばないところ、好きじゃないけど嫌いでもないかな」
こうして交渉は終了だ。
明日から、ハクアにしごかれる日々が始まる。
ウイルの決意は本物だが、今はまだ気づけていない。
その過酷さが、想定を上回るということを。
ゆえに今は満足そうに笑顔をこぼすも、話題はあっさりと次に移行する。
「そういえば、あの子供を連れて来た理由は? 私に会わせて、はい終わりってわけじゃないのよね?」
ハクアの疑問は当然だ。
パオラは部屋の片隅でぐっすりと眠っており、ここがどこかもわかってはいない。
わからないという意味ではこの魔女も同様だ。顔合わせは済んだものの、ウイルの思惑については汲み取れない。
「本当はもう少し太ってから連れて来たかったんですけど……。もし良かったら、パオラのことも面倒見てもらえませんか? ただ、パオラ自身がぐずったら帰そうと思っています」
「ふ~ん。まぁ、構わないわ。あの女を……、セステニアを殺しきれるとしたらその子だけでしょうし。こうして確信が得られた以上、遅かれ早かれ、私が徹底的に鍛えることに変わりなんてないんだし。それこそ、本人が嫌がっても帰すつもりなんてないわ」
「わお、スパルタ。でも、まだ九歳ですし、体も出来上がってませんから、今回は本人の意思を尊重してあげたいんですけど……」
「そうね。不健康なほどに痩せちゃってるし、オーディエンの出方次第だけど未だ焦る必要もなさそう。だけど、その時が近づいたら強制的に連れ戻すわよ? それこそ、あなた達の意思なんてお構いなしに」
ハクアの力強い念押しに、ウイルはわずかながらも気圧される。
パオラを完全に巻き込んでしまった。
改めて、そう感じずにはいられない。
「それほど……なんですか?」
ゆえに、このタイミングで再び問う。覚悟のためにも知り合いと思わずにはいられなかった。
「それはどっちの意味? セステニア? それとも眠り姫?」
「セステニア、です」
ウイルとハクアは四年の付き合いだ。
そのはずだが、実はまだ教わっていない。
詳細を尋ねるも今まではあしらわれてしまい、最低限の情報しか提示してもらえなかった。
セステニアという名前がその内の一つだ。
それ以外となると、現在は結界によって封印されていることと、巨人戦争にて初代王とその部下達が一丸となって戦ったということくらいか。
「適任者が千年ごしに現れたことだし、あんたも部外者じゃなくなったものね。マリアーヌ様、構いませんか?」
「いいんじゃない? 私はもともとハクアに一任してたし~」
方針が定まったことを受け、ハクアは手元の白紙大典をやさしく撫でながら話し出す。
「千年前の戦争で、巨人族を率いていた存在こそが、セステニア。だけどこいつは巨人族でもなければ魔物でもない。人間……なのかもしれないし、そうとも思えない」
「見た目だけなら美人だったね~。戦闘が始まったら化け物だったけど~」
「変身でもするんですか?」
白紙大典が容姿について補足するも、ウイルに新たな疑問を抱かせる。
そもそもの前提として、人間であるかどうかなど外見から容易に判断可能なはずだ。
そのはずだが、ハクアが言葉を濁す以上、少年は首を傾げてしまう。
「あの女は何も変わらない。終始、肩をそびやかし、黒髪を垂らし続ける。白いワンピースが血で染まろうと、手足が切り落とされようと、表情一つ変えない。顔をえぐられても、お腹に大穴が空いても、奴は死なない。いいえ、死んでもなお、生き続けるの。それがセステニアに勝てない理由。そして、王が初めて敗北しかけた理由。マリアーヌ様が己を犠牲にして結界術を発動してくださらなかったら、今頃は……」
イダンリネア王国の敗北、つまりは根絶されていたはずだ。
明かされた事実にウイルは相槌すらもためらうも、説明は道半ばゆえ、沈黙は正しい反応と言えよう。
「単純な身体能力だけで言ったら、今の私でも時間稼ぎくらいは出来るかもしれない」
「もうちょい良い線いくと思うよ~」
「ありがとうございます。ですが、セステニアの戦い方は偶然にも王と同じです。ましてや、不死なのだから消耗するのはこちら……」
「あいつは回避も防御も捨てて攻撃に専念出来るから、そこが厄介なんだよね~。まぁ、それでも王は終始圧倒してたんだから、さすがと言う他ないんだけど。私なんか足手まといだったから、ハクア達の判断は正しかったと思うよ?」
巨人戦争を経験した二人だからこそ成り立つ会話だ。
一方で、少年は困惑しながらも説明不足を訴えずにはいられない。
「あ、あの、オージス王ってどのくらい強くて、戦闘系統は何だったんですか?」
「王は覚醒者だよ~。だから戦闘系統は不明なの」
白紙大典の言う通り、建国の初代王、オージス・イダンリネアは天技を先天的に習得していた。
実は、この情報については絵本にすらほのめかされており、ハクアが間髪入れずに補足する。
「光の剣、光流剣の使い手よ。あらゆる物質を断ち切れるばかりか、王の意思で自由自在に呼び出せる。その上、魔法のように魔源を消耗することもない」
「光流剣の何がスゴイって、同時に七本も出せちゃうの。一本は手に持って、残り六本を矢のようにシュパパパパッて発射! 思い出すだけでかっこいいし、圧巻だったな~」
その速度は、弓から放たれた矢とは比較にならない。銃の弾丸すらも置き去りにするほどだ。
ゆえに、視認してからの回避など間に合うはずもなく、それゆえに初代王はその場から一歩も動かず、仁王立ちのまま、あらゆる戦闘を終わらせることが出来た。
「光流剣は何度もセステニアを切り裂いたわ。何十回、何百回と致命傷を与えても、あの女は死ななかった。ううん、正しくは……」
「すぐに蘇生するっぽいね~。一瞬だけ死ぬけど、意識はすぐに再開する、みたいな? 頭と体が分断されてもね。だ~か~ら~、勝てなかった! だけどまぁ、私の結界に閉じ込められたから……、よし!」
そのはずだった。
千年どころから、未来永劫、平和な時代が続くはずだった。
しかし、状況が変わってしまった。
その原因を、ウイルが言い当てる。
「だけど、オーディエンが……、結界の解き方を見つけてしまった」
「やつが出現したことで、歯車は完全に狂わされたわ。そ、その……、マリアーヌ様には申し訳ないのですが、結界自体にも既に綻びが生じていまして、終戦後、王が国を捨て私達と合流してからおおよそ十年後の出来事がきっかけで……」
「そうみたいだね~。くぅ、悔しい~」
白紙大典が珍しく唸るも、話はまだまだ終わらない。
ハクアは一息つくと、天井を見上げながら語りだす。
「あの時の封印術があまりに強大だったがゆえに、マリアーヌ様の体から因子が漏れ出てしまったようで……。散り散りに放棄されたそれらが、どういうわけか各地で魔物に変貌してしまったらしく、炎を操る謎の魔物を王と私達が倒してしまったがゆえに、封印の鍵が一つ解除されてしまいました。ただ、どうやらそれであの女が自由を取り戻すことはなかったようで、それだけが不幸中の幸いと言えるでしょう」
「そだね~。四年前に目覚めた時、なんで火の因子が戻ってるのか不思議だったけど、まさかそんな経緯があったなんてね~。あ、ウイル君がコールオブフレイム使えるのも、そういうことよ?」
真っ白な表紙を撫でながら、ハクアはその魔眼をマリアーヌに向け続ける。千年を生きる彼女らにとって、当事者はこの二人だけ。十六年しか生きていないウイルには、想像すらも出来ない境遇だ。
「だけど僕には、グラウンドボンドもあります」
「うん。私がオーディエンから奪い取ったからね~」
「あいつは単独で土の因子、土の魔物を倒してしまった……。本来ならばありえない芸当なのだけど、そういうことが出来てしまう。それほどに、オーディエンは強い。もしかしたら、水の因子以外も倒せてしまえるのかも? だから、警戒は必要だし、覚悟もしないといけない」
白紙大典の結界は、残り四手で解除可能だ。
氷。
風。
雷。
水。
これらを司る魔物を見つけ出し、討伐することでセステニアは自由を取り戻してしまう。
実は、イダンリネア王国もハクアも、そしてオーディエンもその所在を把握済みだ。
知らないのはセステニア本人だけであり、だからこそ、封印は解かれていない。
「た、確かに火の魔物と水の魔物じゃ、相性は最悪ですね……。オーディエンがどんなに強くても、さすがに勝てない……のかな? だとしたら安心しても良いような?」
「ふん、甘い甘い」
ウイルだけが安堵するも、ハクアは見下すように言い捨てる。
普段ならこのタイミングで委縮するはずだが、今回のウイルはそうではない。即座に足元のマジックバッグを漁りだし、俊敏な動きで緑色の物体を二つ取り出す。
「この草餅より甘いでしょうか⁉ あ、お土産です!」
薬草が練り込まれた饅頭だ。中にはたっぷりのつぶあんが潜んでおり、独特な風味とその甘さが人々を虜にする。
「あら、気が利くわね。一つ頂くわ」
「私達の時代になかった食べ物よね~。食べてみたかったなぁ」
「へえ、そうなんですね。香りだけでも楽しめないんですか?」
「うむ、無味無臭! なーんにもわからんちん!」
「そうですか、わからんちんですか。あ、食べながらでいいので追加で教えて欲しいのですが、パオラが頭角を現したとして、セステニアに勝てる見込みはどのくらい……?」
ウイルが質問を投げかけたことで、一刻の静寂が訪れる。魔女の口は草餅で占有されており、租借にはもうしばらくの時間が必要だ。
「んぐ……。さぁ? 私の方こそ訊きたいくらいだわ。ただまぁ、私やあんたよりは見込みがあるでしょうね。何にせよ、本人のやる気次第なところはあるでしょうけど。仮に嫌がったとしても、甘えなんて許さないんだから」
(おぉ、怖い。まぁ、世界の命運がかかってる以上、仕方ない……のか? う~む、無理やりは嫌だなぁ)
緊急事態であろうと個人の意思を尊重すべきか? 思案しようと答えなど見つかるはずもない。
少年は一瞬だけ悩むも、諦めるように次の話題を提供する。
「明日からの鍛錬って具体的に何をするんですか? 僕に関しては、ビシバシしてもらって構わないです」
「そうね……。私に出来ることなんて、実戦形式の組手くらいだし……。マリアーヌ様はどう思われますか?」
「それでいいっしょ~。どうせあっという間にパオラちゃんの方が強くなるだろうし、そしたら二人で戦ってもらえばいいしね~」
「おっしゃる通りです」
そして二人だけが笑い出すも、ウイルだけは顔をしかめずにはいられなかった。
そもそも、面白くない。
ライバルが九歳の少女ということもあるが、一年以内に追い抜かれるとは思えず、ゆえに反論は至極当然だ。
「僕はこう見えて四年も傭兵やってますしー。そう易々とパオラに抜かれるとは思えませんけどー」
「それ言っちゃうと、たったの一年で四英雄を負かそうとしてる自分自身を否定することになるのよ? そんなこともわからないの?」
「ごめんなさい……」
ハクアに論破された結果、少年は涙を流しながら草餅を口に運ぶ。草の風味には情緒があり、弾力のある食感も最高だ。
なぜかほんのりとほろ苦いものの、つぶあんの甘さによって上書きされる。
もむもむと噛みしめながら、魔女と古書がじゃれ合う光景をただただ眺め続ける。
もしくは、見せつけられる。
「マリアーヌ様、今日から一緒の布団で眠れますね」
「え……、普通に寝たいんだけど」
「ふふふ、さぁ、そろそろ寝る準備しましょう」
「ふ、普通に……、あの、ハクア? 聞こえ……、聞こえてるー⁉」
赤髪の魔女が軽やかなスキップでその場を後にする。
着替えか、布団の準備か、その両方か。
残された白紙大典がカタカタと震えるも、ウイルは無視するように草餅を味わう。
(明日からはすっごく大変なんだろうな。僕もさっさと寝とかないと。そういえば、僕用の布団あるのかな? いつものはパオラが使っちゃってるし……。まぁ、床でも余裕だけど……)
貧困街での暮らしは伊達ではない。廃墟の中は冷えるだけでなく汚れており、当然ながらベッドも布団もないのだから、土埃との添い寝は必然だ。
そうであろうと安眠を貪れるのだから、今のウイルなら床がどれほど硬かろうと関係なしに眠れてしまう。
(タイムリミットは一年ちょっと。長いようで短い……と思う。あっという間ではないけれど……。死ぬ気でがんばらないとな。と言うか、やっぱり草餅って美味しい)
もっちもっちと味わう。
これから眠るのだから、不健康な間食だ。
それでも今だけは見逃して欲しい。
なぜなら、この少年は今日だけで千キロメートル以上の道のりを走破してみせたのだから。
ましてや明日からは地獄の特訓が始まってしまう。英気を養ったところで罰は当たらないはずだ。
(パオラに見られたら、私も食べたい、とか言いだしそうだけど……。はっ!)
その予想は的中してしまう。
視線に気づいた時には手遅れだった。
右手に食べかけの草餅を持ちながら口をもぐもぐ動かしつつ、ゆっくりと首だけを動かすと、その先には布団ごと上半身だけを起こしたパオラ。
その結果、二人は恋人のように見つめ合う。
「わたしもたべたい!」
「はいはい……」
寝起きでありながら、テンションは急上昇している。腹の底から湧き出た声は、近所迷惑なほどには大音量だった。
変な時間に起きてしまったがために、なかなか寝付いてはくれなかったが、ハクアへの紹介を済ませた後は、魔女の里を散歩すれば済む話だ。
ここはイダンリネア王国でもなければ、今まで過ごした我が家でもない。
新天地であり、少女にとっては未知の土地だ。目に映る全てが新鮮であり、兄として慕うウイルがいれば、どこであろうと楽しくて仕方ない。
「ねこちゃん!」
「大きな声出さないでねー。猫は怖がりだから」
「わかた!」
(わかってないがな……)
魔法のランプで照らしながら、真夜中の集落を二人だけで歩く。これも王国では味わえなかった体験と言えよう。
明日からも毎日が発見だ。
そして、成長の日々だ。
二人はそう宿命づけられており、抗う術など知る由もない。
そもそも受け入れるつもりでいるのだから、今日の自分より強くなれるのなら、歯を食いしばっても耐えるだけだ。
その決心は揺るがない。
原動力に、明確な殺意が混じっていたとしても。